シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

復讐者

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復讐者 作者:見越入道 

 古来より人間は闇を恐れた。それは単に視力を奪われ、行動の多くを制限されてしまうからだけでは無い。遥かな宇宙へと視野を広げれば一目瞭然だが、広大な宇宙において光が届く場所などほんの一握りにすぎない。その極極狭い光の領域にしがみつく我々を、広大な闇を自由気ままに跳梁する戦慄すべき大いなる存在は、いとも容易く翻弄し、蹂躙し、消し去る。光に包まれた我等のあまりにも狭いその領域は、常にその周囲を取り囲む闇によってじわじわと浸食されている。我々はその極極矮小な領域を何とか守ろうと懸命に闇を押し戻すのだ。
 これはまだ私が若く、光に照らし出される世界こそが全てだと信じて疑わなかった、そして世界の大部分が本当は闇に覆われているという事を知らなかった頃の物語。


 当時、私は県立高校に通う学生だった。
 私の友人たちはスポーツや勉強、あるいは流行のアイドル歌手やなんかに夢中になっていたが、私の場合それは小説・・・それも到底一般受けしそうにもない怪奇幻想小説の類だった。その中でも特に私が愛したのは「暗黒神話」とか「クトゥルー神話」などと称される一連の怪奇小説郡である。これら一連の小説郡はアメリカの怪奇小説家だったハワード=フィリップス=ラヴクラフトが生み出し、オーガスト=ダーレスをはじめとする作家たちの手によって育てられ、世界に広まっていったものだ。しかし、当時の私はこれら海外の作家の作品よりも、これらを日本に紹介した日本人作家の作品に大きな興味を持っていたのである。
 その中でも特に私の心を魅了して止まなかったのは甲斐岬先生の作品群だった。
 甲斐先生は、若干25歳で「クサナギ賞新人賞」を受賞して華々しくデビューを飾り、さらに次々と新作を発表して稀代の文豪誕生などともてはやされたものだった。当時の先生の作風は極めて叙情的な恋愛ものなどで、その豊かな表現力によって揺れ動く男女の心理を克明に描き出す作風は「甲斐文学」などと評され、およそ二十年近くものあいだ日本文学界をリードし続けた。しかし、45歳頃に事故かなにかで息子さんを亡くされてからは作風を一変させ、怪奇と幻想の物語を書くようになって行く。もっともこの作風の変更は世間的にまったく受け入れられず、文壇からは総スカンを食うことになり、挙句の果てには「甲斐文学」をもじって「怪文学」などと陰口を叩く輩すらいたのである。
 しかし実のところ私は、この後期の作品群にこそ心引かれていたのだ。先生の作品は伝統的な怪奇小説特有のスタイル、所謂ゴシックホラーの形式を取りながらも、既存の怪奇小説のように幽霊や吸血鬼、あるいはサイコな殺人鬼等というありきたりなテーマに収まることなく、遥かな外宇宙に恐怖の源泉を求めるスケールの大きさがあり、粗悪で矮小な怪奇小説に熱を上げていた私の目を衝撃を持って覚まさせてくれたのである。
 私は先生の作品に夢中になる一方で、自分でも小説を書いてみるようになっていた。もっとも、この当時の私の稚作は到底人前に出せるような代物ではなかったが、若気の至りというのだろうか、何作か書くうちに自分の作品にある種の自信が沸いてきたのだ。
 当時の甲斐先生は、文壇からも変人扱いされていたため、その作品を低俗な怪奇雑誌、特にその多くを「アトランチス」という怪奇現象やらUMAなどを扱う雑誌に掲載していたのだが、そのアトランチスの企画の一つとしてアマチュア作家の作品を募集し、甲斐先生が添削をするというものがあった。私はこれに「自信作」を投稿したのである。
 程なくして私の元に先生自ら添削された「自信作」が戻ってきた。そこには全文に渡る緻密な注意書きと訂正が赤いペンで書き込まれており、その全てがいちいちもっともで、私は我知らず顔を赤らめてしまったのであるが、思えばこれが甲斐先生と私の初遭遇だったのである。
 若者は壁にぶつかった時、選択を迫られる。挫折するか、突き進むか、だ。 私は突き進んだ。
 私は新しい小説を書き、先の反省を十分に踏まえ推敲に推敲を重ねた上で再びアトランチスに投稿した。なんとこの時投稿したものがアトランチス誌上で甲斐先生のコメントとともに全文が掲載されたのである。まさに天にも昇らん気持ちだった。そして作品が私の元に返ってきた時、以前と変わることなく赤ペンで詳細な添削が加えられていると同時に、文末に甲斐先生による一文が加えられていた。
「今回の作品には大いに感服するところがあります。是非一度、貴君と直接会って意見を交わしたく思います」
 私が自室で上げた驚喜の雄たけびは階下の母の耳まで届いた。

 初めて甲斐先生に直接お会いしたのは忘れもしない2001年の3月のことだった。
 先生のご自宅は首都圏から車で一時間ほど走ったところにある霧生ヶ谷という地方都市の、そのまた奥の田園地帯にあり、私の実家がある藻飾からは電車やらバスやらを乗り継いで行くことになった。もちろん、その日のためにと仕上げたばかりの「新作」も携えて。
 先生のお屋敷は大きな二階屋であったが、かつて一世を風靡した売れっ子作家だった頃に建てた家屋はすでに老朽化し、庭もあまり手入れされていないことが見て取れた。おまけに家屋の後ろから屋敷森が覆いかぶさるようにうっそうと繁っており、いかにも怪奇小説家の屋敷らしい不気味な雰囲気を醸し出していた。
 玄関先に現れた先生はすっかり白くなった髪をオールバックできちんとまとめ、口元にはこれまた綺麗にまとまったヒゲを蓄えた老紳士であり、服装から物腰に至るまでどこか英国紳士的とでも言うべき品性にあふれておられた。その眼差しはどこまでも優しげで、この柔和な表情のどこからあの怪奇譚が生み出されるのかといぶかしんだほどだ。
 私を応接間に案内された先生は少し申し訳なさそうに「今、家政婦が暇をとっているもので、君の口に合うかどうか分からないが」と、ご自身でお入れになった紅茶を出してくださった。
 私は挨拶とお礼を述べた後「新作」を手渡し、それを読んでいただこうと思ったのだが、先生は「では、これは後ほどじっくりと拝見しよう」と、それを脇に置き、身を乗り出してこう切り出した。
「時に君は、なぜ小説を書くようになったのかね?」
 私はやや当惑したものの、私自身の怪奇小説との出会いや、それに興味を引かれていった過程などを思い起こしつつ話した。先生はそれを頷きながらお聞きになり、さらにその他にもいくつもの質問を私に投げかけ、私はそれに答えた。先生と私はその日、日が暮れるまで多くのことについて語り合った。現代の怪奇小説の流行と変遷、外宇宙に広がる暗澹たる世界、狂気と恐怖の源泉などなど。さらに先生は私にラヴクラフトという作家が描き出した暗黒神話と、そこに登場するこの世ならざる存在についても熱心に語って下さった。特に印象に残ったのは、先生がこれらの怪奇小説に登場する人外の存在について語られる時、まるでそれが実在するかのように語られていることだった。
 私が帰る時に先生は門の所まで見送りに出て来られ「いつでも遊びにきたまえ」と仰られた。その数日後、あの日お渡しした「新作」がこれまたびっちりと赤ペンで添削されて戻ってきた。
 それから私は月に一度か二度は先生の御宅を訪ね、自身の作品の添削をしてもらったり小説の書き方のイロハを学んだり、小説にまつわる様々について議論を交わしたりして過ごした。この貴重な時間を有意義なものにするため事前に図書館で多くの本を読み、情報を集めることも日課になっていったが、この事がやがて小説を書く際の貴重な知の財産になっていった。
 そんな先生とのお付き合いが5年目に入り、私が大学二年になった頃、先生は私に一つの課題を出してこられた。
「ここらで一つ、本腰を据えて中編あたりをしっかりと作り上げてみてはどうか」
 これまでは時間的な制約があり、短編を中心に創作してきた私だったが、先生のこの言葉に励まされ、それなりに量のある作品を書いてみることにしたのだが何故か先生はこの作品に関して一切のアドバイスをなさらなかった。もちろん今まで通り先生の御宅に遊びに行くことは拒まれなかったし、今まで通り多くのことについて議論を交わすこともしていた。
 六月に入り、私は書きかけのその中編の出来に関してやや不安な部分もあったので、何とか先生に一言二言アドバイスを貰いたいと頼んでみたが、先生は「私はその作品に関しては一切アドバイスするつもりはありません。その作品だけは君の力で書き上げなさい」と仰られた。
 八月も終わりに差し掛かった頃、私にとって初の中編「影の中の時間」が完成した。その時先生はそれをじっくりと読んだあと「これを九月の末に募集がかかるクサナギ賞に応募してみないか」と仰られた。当然私は驚き、とても今の私の実力では恥ずかしくて送れたものではありませんと言ったのだが、先生は「今回の作品、確かに荒削りな部分もあるがこれだけの物を作り出せる君の実力は本物だと思っている。これから募集がかかる九月末までじっくりと推敲し、思い切って応募してみたまえ」と仰られた。
 それからの私は寝食も忘れ、ただただ自作の推敲に時間を費やした。思いもかけず巡ってきたチャンスをものにしたいというのもあったが、私の師とも言うべき甲斐先生の期待に答えたいという思いが強く、推敲は募集期間ぎりぎりまで続いた。
 九月の半ばを過ぎた頃、それを応募する直前に最終稿を見て頂いたが、その時先生はただ静かにうなずき「さあ、すぐに送りたまえ」とだけ仰った。
 十月、小説クサナギの編集部から一本の電話があった。今年のクサナギ賞新人賞として、私の作品が選ばれたのだ。
 喜び勇んで甲斐先生に電話をすると、先生も共に大喜びしてくださり、すぐにも町へ繰りだして祝勝会をやると言ってくださった。
 その日の夜は、私も先生もへべれけになるまで飲んだ。もちろん私はまだ成人したばかりで先生ほどに飲めたわけではないが、はじめてビールが旨いと思った。あまりに酔っていたのでその晩のことはろくに覚えていないのだが、先生がほろ酔い加減で仰った「本を読め。あらゆるものを見、聞き、学び、模倣しろ。その模倣の中から自分の体に、脳に、心にになじむものを汲み取れ。やがてそれが自分のものになっていくのだ」という言葉だけは今でも鮮明に覚えている。
 翌日の昼ごろ、二日酔いでがんがんする頭を押さえながら先生に昨夜のお礼を言うべく電話をしたが、先生は出られなかった。その時は「先生もまだ二日酔いで寝込んでいるのだろう」くらいにしか思わなかったが、次の日も、その次の日になっても、先生との連絡は取れなかった。
 三日目になり、いまだに連絡が取れないと分かるとさすがに心配になり、当時住んでいた学生寮から、買ったばかりの中古車を飛ばして先生の御宅へと向かった。着いた時はすでに辺りは夕闇に包まれており、中秋の澄んだ空には星が瞬いていた。

 屋敷の窓には明かりが灯っておらず、留守であるのか、はたまたもう寝てしまっているのか分からなかったが、家の後ろ、うっそうと繁る屋敷森の木々の奥に何か明かりがちらちらと灯っているらしいことが見て取れる。
 私は扉の無い門をくぐってゆっくりと家の裏手に回ってみた。距離が近づくにつれ屋敷森の奥にあるわずかに開けた広場が見え、そこにいくつの篝火が円状に灯されているのが分かった。篝火に囲まれた広場の中央には一人の人間が立っているのが見えたので、私は歩みを緩め、気づかれないようにゆっくりと木の陰に隠れて様子を伺った。
 近くまで行くとそれが甲斐先生である事が分かったが、その周りの状況の異常さに言葉を亡くしてしまった。
 先生は羽織袴にたすきをかけ、その傍らに薙刀を突き立てて立っておられた。その足元にはおびただしい数のカラスやネコと思われる小動物の死骸が積み上げられてあり、それらから流れる血であたりは赤黒く染め上げられている。さらに、篝火に囲まれたその広場には、中央に赤い顔料か何かで円と文様を組み合わせたものが描かれており、それはさながら怪奇小説に登場する魔法陣のように見えた。
 先生はといえば、白い袴を動物たちの血に赤黒く染めながらも直立し、円に向かって一心に呪文か何かを唱えているらしい。私はこの狂気じみた光景が現実に起こっていることにただただ呆然とし、進み出ることも出来ずにじっと息を潜めていたが、しばらく様子を伺っていると、辺りで静かに鳴いていた虫たちの声音が急に大きくなりはじめた。さらに虫の声音はまるで互いに共鳴するかのように響き合い「きりりり、きりりりり」という耳障りな音になってあたりを包み込んだ。
 その時不意に、はらりと私の頭上に落ちてきたものがある。驚いて振り払うとそれは一枚の枯葉だった。それだけではない。広場を取り囲む木々から、ざらざらと枯葉が落ちてくるのだ。
 耳障りな虫の声がぴたりと止み、私が再び広場に目を戻した時、奇妙にも魔方陣の中央から煙が立ち昇りはじめた。あたりにはその煙のせいなのか硫黄のような匂いが立ち込める。思わず口を覆ったとき、立ち上る煙の中から青緑色の炎と眩い閃光がほとばしり、一人の人間が忽然と現れた。
 その人間は異様なほど背が高く、褐色の肌に薄い布をまとっただけの姿であり、足元から立ち上る煙がゆるゆると流れ去るとゆったりとあたりを見回しながら、首を右へ左へと捻じ曲げ、肩のこりをほぐすような仕草を見せたが、それを見た先生は薙刀を地面から抜いて正眼に構え、こちらまで聞こえるような大音にて叫んだ。
「我が名は甲斐岬。我が息子の仇、這い寄る混沌、誅殺いたす!」
 私は驚愕した。這い寄る混沌の二つ名で知られる存在は唯一つ。闇と混沌の魔神、這い寄る混沌ニャルラトホテプだけだ。しかしそれは、怪奇小説の中の話。そんなものが現実に存在するわけが無い。
 先生の手にした薙刀の刃先から赤い炎が噴き出し、先生はその褐色の人物めがけて火を噴く薙刀を突きこんだのだ。
 私が「あっ」と思わず声を上げた時、甲斐先生の持つ薙刀は褐色の人物の腹部にぶすりと突き刺さっていたのだが、恐るべきことにその人物はよろけるどころか顔色一つ変えることなく自分の腹に突き刺さった薙刀とそれを力いっぱいに突きこむ甲斐先生とを交互に見比べ、ゆらりと右手を伸ばして甲斐先生の首を掴み、片腕一本で吊り上げたのだ。
 状況がさっぱり飲み込めない私だったが、それでも甲斐先生が極めて危険な状況であることだけは理解できたので、何か武器になるものはないかとあたりを見回した。そうこうするうちに褐色の人物は自分の腹に突き刺さった薙刀を自分自身の手で抜き取り、横合いに投げ捨てると甲斐先生をぎろりと睨み付け、獣の遠吠えのような気味の悪い声で何か喋ったようだが、それがどこの言語なのか、はたまた人間に理解しうる言語であるのかすら私には分からなかったが、それと同時に私の意識に直接言葉が入り込んできた。
「甲斐岬、その名は知っているぞ。うるさく嗅ぎ回っていたからな。余をここに呼び出して殺そうと思ったわけか?」あいつが話す言葉は理解できなくても、どうやら意思は伝わるらしい。それと同時に流れ込んできた感触は、いままで味わった事も無いようなどす黒い憎悪と狂気に満ちているようで、私の全身の感覚が激しくその侵入に拒否反応を示した。
 甲斐先生は首を掴まれながらも右手を伸ばし、相手の顔を掴もうと手をばたつかせたが、男が左腕で軽く先生の胸元を触っただけで先生は全身を硬直させ、激しく痙攣をしてかと思うとそのまま動かなくなってしまった。
 私が棒きれを持って広場へ躍り出た時には先生の体は動物たちの死骸の上に無造作に投げ捨てられていた。褐色の男は私の方に向き直るとあのおぞましい声で呟き、私の意識には「まだ一匹残っていたな」と声が響く。
 男の顔は篝火の明かりを背中に受けているせいで真っ黒い影に覆われていたが、赤い双眸がめらめらと燃え上がっている。私は手にした棒切れで上段から殴りかかったが、男は私が全力で肩口に打ち込んだ一発にまったく動じる様子も見せぬまま素早く右手を伸ばして私の首を掴み、ゆらりと私の体を吊り上げた。私は呼吸が出来なくなり、言葉が出せなくなった。
 男がゆっくりと横を向いたので、篝火に照らし出される男の顔が見えた。男はギリシャの彫刻のように端正な顔立ちの美丈夫であったが、次にこちらに顔を向けた時その口元にはおぞましいほどの邪悪に満ちた笑みを浮かべていた。
「脆弱な生命よ。矮小なる存在よ。無様な死に様よ」
 またもや男の意思が私の意識に直接流れ込み、その邪悪な意志が私の意識を包み込もうとした時、私の心の中に激しい怒りと憎悪が燃え上がるのが分かった。この男は甲斐先生や私の、存在すらもあざ笑っているのだ。私は両手を伸ばして男の顔をかきむしってやろうとしたが届かず、かわりに男は開いているほうの左手を私のほうに向けてきたので、私も先生同様に殺されるのだと直感した。その時である。
 私が睨み付けている男の顔から笑みが消え、男の動きがぴたりと止まった。男は私を片手で吊り上げたまま、ゆっくりと後ろを振り返る。私もその方向を見る。そこには倒れ伏して動かなくなった甲斐先生が見えたが、男の視線はそれらとは別の、はるか南の空を指している。私が見上げたそこには、不思議と屋敷森が南面だけ綺麗に切り払われているのが見え、そこから見渡せる田園風景の先、暗く影に沈んだ山々の上、瞬く星々のなかに唯一つ、ぎらぎらと赤く輝く星があった。
 それほど星座に詳しくない私だが、あの星は知っていた。日本においては十月半ば、南の夜空に浮かぶ星座、みなみのうお座アルファ星、フォウマルハウトだ。
 それは突然起こった。
 先ほど男が現れた魔方陣の外周に描かれた文様と中心部に描かれた文様とがギリギリと鈍い音と共に回転し、それまでと全く違う配列へと変化する。それと同時に赤い炎と猛烈な熱風が吹き出し、魔方陣を取り囲むように立てられた六つの篝火が信じられないほどの火柱を上げた。
 男はゆっくりと私の方を振り返ると、さも憎々しげに呟いた。その意思はすぐに私の意識に直接伝わってくる。「用意周到というわけか。良い手際だ、尾無し猿どもめ」
 私を投げ捨て、男が再び魔方陣に目を向けようとした瞬間、噴き出す赤い炎の中から真紅の光がほとばしり、男の左肩から腰にかけてを一撃で吹き飛ばした。それにもかかわらず男は絶命することなくよたよたと数歩進んでからどろどろとタールのように溶けだした。溶けながらも、獣のように野太い声でげらげらと笑っている。魔方陣から立ち上る炎と熱風は更に勢いを増して渦を巻き、辺り一帯の木々をなぎ払ってわんばかりの勢いで吹き荒れた。私は息をする事が出来ず、地面にへたり込んでいたが、吹き上げる炎から再び男に向かって真紅の光がほとばしった時には、男はすでに地面に溶け込み、ただの黒いシミになっていた。魔方陣から吹き上げる炎と熱風はそのまま天高く立ち上り、凄まじい突風と共に去っていった。
 しばらくして、あたりは元の静けさに戻り、今はもうか細く燃えるだけになった篝火のぱちぱちという小さな音だけが残った。魔方陣はすでに消し飛んでおり、魔方陣があった辺りを中心に半径10メートルほどにわたって木々がなぎ倒されていた。私は恐る恐る甲斐先生に近づいてみたが、先生はすでに息絶えていた。

 私は警察に匿名で電話を入れ、逃げるようにその場を立ち去った。
 あまりに常軌を逸した出来事で、私の神経はすっかり参ってしまいそれから三日ほどは大学の寮に篭り呆然と呆けていた。テレビをつけると怪奇作家甲斐岬の謎の死に関するニュースが流れていたが、それも僅か一日報道されただけで翌日にはどのチャンネルもまったく話題に出さなくなった。世間は怪奇作家の変死より芸能人のスキャンダルや明日の天気のほうが重要であるらしい。私はそうして呆けながらもあの日起こった事を自分なりに理解しようと努力していた。あの時先生は「這い寄る混沌」と小説に語られる存在を現実世界へと召喚した。その結果、先生はあの恐ろしい存在によって葬られたわけだが、直後に出現した凄まじい火柱は這い寄る混沌の手によるものではない。あれは小説の中において這い寄る混沌への唯一の切り札とされる炎の魔神クトゥグア、あるいはその眷属が具現化した姿だったのだろう。あの時あの広場を囲む林が南に向かって切り払われていたのは、這い寄る混沌を召喚した後みなみのうお座のアルファ星フォウマルハウトに住むとされる魔神クトゥグアを召喚して止めを刺させるつもりだったからではないのか。
 四日目の夕刻、私宛てに茶封筒が届いた。差出人は甲斐先生。消印を見ると丁度四日前、あの事件の日になっている。つまり、先生はこれを投函した後にあの事件に遭われたのだ。
 私は部屋に鍵をかけると封筒を開けた。中から出てきたのは私がクサナギ賞を受賞したあの「影の中の時間」に赤ペンで事細かに添削を加えたものと、便箋が一枚であった。便箋にはこうあった。
「これを君が読む時は、私はすでにこの世にいないかもしれない。突然のことですまないと思っているが、これは前々から計画していたことなのだ。まず、私の息子について知っておいて貰いたい。私の息子は今の私同様に暗澹たる外宇宙に強い関心を持っていた。当時の私はまだラヴクラフトという作家の存在すら知らなかったのだが、息子はいつのまにかこの作家の作り出した世界に没頭するあまり、自ら魔道を極めようとしたらしいのだ。その結果、無謀にもこの世ならざる存在を召喚した挙句、それに取り殺されたのである。まるで小説の中の話のようだが、誓って私は真実を語っている。
 愚かな息子ではあったが私にとっては大切な一人息子だ。息子に死なれて私は復讐者となった。
 その後の私は君も知っている通り、暗黒神話を探求し、なんとしても息子を取り殺した邪悪なる存在、這い寄る混沌を誅殺せしめんとしていたのだ。諸君らアマチュア作家から作品を募集していたのもそのためだ。私の研究から得た持論によれば、太古より連綿と暗躍する邪神共を打ち滅ぼしうるアイディアは、我々の想像力の中にこそ埋もれている。つまり我々人間は太古の昔よりその恐怖の存在に打ち勝ちうる手段をDNAの中に記憶しているというわけだ。
 これを投函した後、私は決着をつけるつもりである。
 私にもしものことがあったとしても、君はそのまま作家活動を続けてくれたまえ。君には日本の文学界を牽引しうるだけの素晴らしい才能がある。あとは日々怠ることなく研鑽に励めば、私が得ることが出来なかったほどの栄誉を手にすることが出来るだろう。それから、同封した「影の中の時間」はこの作家崩れの愚かな男が君に残せる最後の添削である。
 君に出会えたことは私の生涯でもっとも素晴らしい事の一つであった。ありがとう。 甲斐 岬」
 私は赤いペンでびっちりと埋め尽くされた「影の中の時間」を抱きしめながら、泣いた。
 そしてひとしきり泣いたあと、知らぬ間に忍び寄っていた夕闇に向かい、叫んでいた。
「這い寄る混沌、僕を殺し損ねたことを後悔させてやるぞ。今日から僕が復讐者、甲斐岬だ」

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