シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

銀河系一の蝗三十五

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銀河系一の蝗三十五 作者:清水光

「おい蝗君! ところで君は銀河系一霧生ヶ谷饂飩が何で銀河系一なのか知ってるか?」
 ぎりぎり午前中のうち、それでも外はまだ寒さが残っている、冬だから。ちょうどいい具合かなと思い、気まぐれに出勤してみて早々、俺の耳にはひゅっとその言葉が入り込んできた。ところで? 銀河系一? 饂飩? 知ってるか? えーとどーゆことなのん?
 蝗――というのは忘れるわけがあるまい、俺の名字である。フルネームで蝗三十五、わざわざ役所に変更申請したわけでもなく、生まれてからずっとこの名前だ。だから名前の三十五のほうも、別に直木三十五方式で一才ずつくわえていってそうなったわけじゃない。だいたい俺はまだそんな年には至っていない。
 そんな俺はとりあえず、扉を開けたままであたりを見渡してみることにした。ごちゃごちゃとやたらに物が多い、それも必要だか何だかわからないものだらけの空間。モップ、雑巾、セロハンテープ、着ぐるみ、柱時計、コショウ、ハブラシ、洗濯機、冷凍みかん、インスタントラーメン。その奥のほうに一人、でっぷりと恰幅いい四十すぎの男が座っている。完全ともいえる丸顔はとても現実とは思えないのだけれども現実で、どころかその丸々男は俺の上司に当たるカンフル編集長その人なんである。
 出勤直後の問い掛けという、ややいきなりな展開についていけない俺は、少しの間呆然として立ち尽くしていた。カンフル編集長はごほんごほんとわざとらしく咳払いをすると、こちらの注意を強制的に戻させる。俺はとりあえず冷静に考えてみた。銀河系一霧生ヶ谷饂飩は知っている。だけでなく馴染みの店と言える。だがなんで脈絡なくそんな話題が飛び出てくるのか?
「なんでそうぼうっと黙ったままでいるのかい、君は? おい、知っているのかい、知らないのかい? なんにしろなんとか言ってはどうなんだい?」
「あー、銀河系一霧生ヶ谷饂飩が銀河系一たる由縁ですか? きっとNASAとかそこらへんの調査でわかったんですよ」
「何を言ってるのかね、君は! 真面目に考えたまえ。NASAといえばNational Aeronautics and Space Administration、アメリカ国立航空宇宙局のことだろう。うどんとは何の関わりもないよ」
 まさかカンフル編集長に怒られるとは思ってもみなかった。かててくわえて編集長は俺に対してあからさまに落胆のためいきを聞かせる。いやそもそもそんな、適当につけてあるであろう銀河系一とかそんなのにとりあうのが、その時点でまともじゃないというのに、なぜにそこにきて俺にだけまともさを求めるのか? どうにも無茶なことをいいやがるおっさんだ、あいかわらず。
「君も知らないんだろう? わしも知らんのだよ。とそこで我々編集部が独自取材を敢行! 来月号の特集はこいつで決まりだ、ばっちりだ!」
 月刊霧生ヶ谷万歳!を読んだことがあるだろうか? そんな人がこの街にいるんだろうか? この街にいなけりゃ、それ以外にいるはずもなく、どこにもいないことになってしまう。それはさておき月刊霧生ヶ谷万歳!とは、霧生ヶ谷で起きること起こったことをとにかく網羅してやるという意気込みの、地域密着型月刊誌なんである。市内の各書店では毎月取り扱っていただいております。お求めの際はそちらのほうでお願いします。とにかくそんな雑誌。
 俺はそこの編集部員かつ記者という、二束のわらじな非常にすぐれた人材なのだ。少数精鋭の我らが編集部は、俺とカンフル編集長とあと一人で、合計たったの三人。まあこれまでなんとかやってこれたというのは、それだけこの三人ががっちり組み合ったチームワークとかそんなんが凄いってことなんだろう。
「そんなわけで思いついたら即行動がわしの原則、早速君は現場に急行してくれ!」
 即行動がわしの原則とかいうんなら、あんたが行けばいいだろうに、なんで俺が寒空の下に舞い戻らねばならんのか? わざわざぬくぬくな布団を抜け出して、正午前に出勤してきたというのに。いやほんとのところの出勤時間は九時前で、結構な遅刻であるわけなんだけれども、そんなことは日常茶飯事で気にしたら負けだ。まあ編集長は現在気が立っておられるようで、ぐずぐずしてたら何が起こるかわからない。三十六計なんだか知らんが、逃げたもん勝ち、ひょひょいのひょいというやつだ。
「ばびゅーんと一発、ぶっこんでやろうじゃないか! ぐふふふふふっふふふふ」
 編集長のしゃがれた声が、雑居ビルの廊下に響きわたる。霧生ヶ谷をなんでか盛り上げてやろうと目論むカンフル編集長の常套句だ。カンフルってのは勿論あだなで、本名は神崎古光だったか、古田菅太だったか、そんなんだったと思う。なにがあろうとカンフル編集長はカンフル編集長以外の何者でもない、それで十分だ。
 いつもどおりのルートを通って中央区から北区へと俺は移る。北区にはとうの銀河系一霧生ヶ谷饂飩がどしんとその店舗を構えている。ついでにそのあたりは北区うどんロードと呼ばれ、銀河系一以外にもとにかくたくさんのうどん屋が軒先を並べている。んでさっきも言ったかもしれないが、俺はその中でも銀河系一饂飩の常連客というわけだ。なんであえてその店をなじみにしたのか? 日本一、世界一と来て、銀河系一というそのチープなインパクトにやられたんである。
「おっちゃん、モロ天うどん一つ頼むわ」
「あいよっと」
 暖房のむわっとした風につつまれ、銀河系一饂飩店主の威勢のよい声がとんでくる。俺はいつものカウンター席に座り込むと、目の前でせこせことうどんを作っている、店主へと視線を合わせた。年は四十前後といったところ。極端の罠でないとしたら、男性で間違いない。バイトはいない。この規模なら一人でやっていけるのだろう。今はというとぐつぐつと鍋の中でゆだるうどんをじっと見つめている。その目は真剣そのものといえなくもないだろう。
「おれの魅力にころっと参るというのはわからんでもないけどよう。残念ながらおれは男と乳繰り合う趣味はないねえ」
「勘違いもひどいところまでいってるなとだけ、コメントしとくよ」
 独占取材だとかそんなんはあとでいい。つーか、そんな実のあることがきけるとはまったく期待していない。俺の前にはぽんと黒い碗がおかれた。その中では透きとおった汁に、白いうどんが揺れていて、その上にはどでんとモロ天がのっている。モロモロの天ぷら、略してモロ天。紫蘇でくるむだとかなんだとか、そういう工夫は一切されていない。唐辛子をひっつかむと三フリほどして、割り箸をばきっとわったら、俺は早速うどんへと取り掛かる。
「毎度毎度あんたはモロ天うどんだなあ。モロモロが入ってんのなら他にいくらでもあるだろ。鬼百舌のなんて最高じゃねえかあ?」
「ちょっと待て、それだと他の店の話になんだろ? 仮にもいちうどん屋の店主が何いってんだ?」
「だって、ありゃうまいものはうまいから仕方がないだろうねえ。さすがこの町内一美味いは伊達じゃないよお」
「ウソでもいいからそこは、うちのがうまいとかいっときゃいいのに。まあなんだ、俺は普通の、何の変哲もない感じが好きなんだよ」
 俺はここ霧生ヶ谷市の生まれでない。大学に入る際にこっちのほうに移り住んできた人間だ。その卒業後、都合よくはたらくとこが見つかったから、そのまま霧生ヶ谷にいついてしまっているわけ。モロモロには少しは慣れたが、どうも霧生ヶ谷特有のあの霧生ヶ谷うどんには尻込みしてしまうのである。一度食ったことはある。確かにうまかったよ。でも俺は一歩ひいてしまうのだ。意外と臆病だな、蝗三十五。
 それはそれとして、うどんをすすりながら俺はつらつらと考えてみた。鬼百舌屋が町内一だとしたら、日本一も世界一も、ましてや銀河系一なんてのは到底ありえないんじゃないか? だって町内一が決まっている以上、日本一は町内一にはなれないということになる。町というのは日本にすっぽり含まれている。そうなればどんなに頑張っても日本二にしかなれない。つまりは町内一と日本一と世界一と銀河系一は、同じ町内という中で並立しようがないということだ。あたりまえ。
 いや、そうなのか、本当にそうなのか? 町内が日本に含まれているからそういうことになるんであって、もしかすると町内と日本とはまた別な領域として扱うべきなんじゃなかろうか? ワールドシリーズみたいなものだ。ワールドいいながらあれアメリカだけじゃん。わかりにくいけどそうゆう感覚で。全国日本饂飩競技会みたいのがあって、日本一というのはそこで優勝したってことなんじゃないか? とくれば世界は世界饂飩選手権、銀河系は銀河系饂飩オリンピックのようなものが?
 だとしたらば逆に日本ならまだしも、世界とか銀河系とかは非常にしょぼいものなのかもしれない。だって世界の場合、うどんを舞台に戦ってもたいした相手はいないだろう。銀河系ならなおさらで、そもそも銀河系でうどんを作っているのなんて、他にないんじゃないか? 俺は銀河系をまたにかけてうどんを作ってるんだと宣言した時点でもう、その人のうどんは銀河系一になるということになるに違いない。なんかむちゃくちゃな理屈でわかりにくいけどさ。
 ざっとここらあたりのことをまとめておけば、記事にはなるはず。特集にするとしたら、周辺のうどん屋のこともちょちょっと加えて、そこらへんのPR記事にでも仕立て上げればいい。ナイスアイディア、実に俺は冴え渡っている。オッケーがでるかは知らんが、とりあえずそれで押してみることにしよう。うどんもちょうど食い終わる。俺はカウンターにぴったしの代金を置いた。どうせたいした答えはかえってこないだろうが、そのついでに俺は店主に尋ねた。
「ところでかくかくしかじかで一応きいておくけど、なんでここは銀河系一なんて名乗ってるんだ?」
「ああそこのところに目をつけるとは、カンフルさんはセンスが段違いにいいねえ。いいだろう、常連の君の質問とあれば答えてあげよう」
 俺はこのときまでまさかまともな解答があろうとは、予想だにしていなかった。どうせ、銀河系一は銀河系一だから銀河系一なんだよ、とか、それは宇宙から降り注ぐポグマエネルギーの波動効果により遠赤外線がティモシー運動を起こしその結果アルファシタルマルムコースとノイラミニラミニラミニターゼが反応するからなんだよ、とか、言うんだろうなと思っていた。事実はまったく違っていた。コートをひっつかむと俺は編集部へとひた走った。息が切れるのも構わない。全速力で走る走る走る。バスなど待っていられなかった。スクープだ、明日の一面トップはこれで決まりだ!
「知ってるか、銀河系一霧生ヶ屋饂飩の主人、名前が銀川原啓一郎なんだって! んではじめは銀川原啓一郎霧生ヶ屋饂飩にしてたらしいんだけど、端折るようになっていって結局、銀河系一霧生ヶ屋饂飩になったんだとさ! スキャンダラス!」
「はいはいそうですねすごいですね。でもそれウソです。よってその記事はボツにします」
「いえっさー、りょーかいですよー」
 この興奮を君にも、ということで編集部の扉をたたきあけるなり、鳥ちゃんに勢い込んで話しかけたのだが、結果は無残、冷たく静かにかえされた。くわえて俺の発見した新事実は間違いだという。勢いに納得しかけるが俺は食い下がった。そうやって決め付けるならと詳しい説明を求める。鳥ちゃんは俺を見かえすと、眼鏡を押し上げながらため息をついた。その後、日が暮れて月が天に昇るまでぶっつづけてで、霧生ヶ屋饂飩誕生の秘密から北区うどんロードの裏事情まで、俺は鳥ちゃんにみっちり講義を受けた。マスコミに関わるものとして情報の確かさがどうとかこうとか、説教もくらった。もうぐうの音もでない。
 ついでにいえばその場で、今度の特集記事は北区うどんロードきわものに挑戦! とかなんだとか、そういうのに強制的に変えさせられた。担当はもちろん俺。絶対にこれは罰ゲームかなんかだと思う。けれども、ここの編集部の絶対的権限は鳥ちゃんの手にあるわけで、最早どうなっても変更することはかなわない。そんな圧政に苦しむ民衆。明日は、商店街の薬屋が繁盛することになるだろう。胃薬を大量に仕入れておくことが商売繁盛の秘訣だ。そして救急車がうどんロードを駆け抜けることうけあいなのだ! ははははっははは!

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