シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

夢幻夜話。あるいは、ちったぁ素直になりやがれ

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匿名ユーザー

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「一つ良いかな? ここは俺の『夢』の中だと思うのだけど?」
「そうですね。正しい認識です。間違いなく正真正銘貴方の夢の中だと思いますよ」
 心の底からの問いかけに、目の前の背筋に寒気の走るような美人は、実にあっさりと答えて下さった訳だ。
「という事はなんですか? 俺の中にアンタみたいな自称吸血鬼の面が眠っていると?」
「まさか。そんな事あるはずもないでしょう。それともここで消滅してみて、実感してみますか?」
「何をだよ。いや、だからその右手を思いっきり後ろに振り被るの止めてください、お願いだから」
 溜息を一つ。
「ならさ、なんでアンタがここにいるんだよ」
「あとをつけて来ました」
「はい?」
「ですから。守屋夢人さん。貴方の通った後を辿ってみました」
「サラッというけどさ、それがどんだけとんでもない事かわかってるか」
「そうですか? 全ての夢は根底で繋がっている事を理解し、夢と夢の間を渡れると認識すれば容易いと思いますが?」
 理屈の上ではね。
 だけどそれは、例えば百m走で、最適なフォームの説明と世界記録を聞いただけで、世界タイのタイムを叩き出すのと同じようなものだ。つまり、可能か不可能かを遥かに超越した理想論という奴な訳だ、柚木一葉が口にしているのは。幾ら夢の中が何でもありとは言っても、出来る事と出来ない事ははっきりしている。普通どれだけ『夢』と認識した所で、出来るのは精々自分の『夢』の中にある程度のルールを築き上げることぐらい。夢を渡るなんて論外も良いところだ。
「いや、無理でしょう。アンタだって説明受けただけで車の運転は出来んだろ?」
「出来ますよ」
 ……そういや、ここにいるのは普通からかなりかけ離れた所にいらっしゃる自称吸血鬼なのだった。
「わかった。で、遂には夢を渡り出した非常識なお方が俺に一体何の御用で?」
「非常識とは自分のことを棚に上げての散々な言い草ですね。ですが、今は聞き流して差し上げます。優先する事がありますから」
 柚木一葉がニッコリ笑った。笑顔という奴は見た者の心をほんわかとさせるだけでなく、確実に凍りつかせる場合もある。今、はっきりと実感した。アレは絶対に相手を恐怖に固める種類の笑みだ、と。
「それはどうも。それじゃ、俺帰って良いですか?」
 何処に帰るのか俺にも良く分からないけどね。とりあえず、ここにはいたくない訳ですよ。
「当然拒否します。私は貴方に用があるのですから」
 逃がしませんよと目が語っていた。実際、手首をしっかり極められている訳ですが。一体いつの間にだよ、本当に。引きつる頬を誤魔化しながら、柚木一葉に向き直る。
 そこにいるのは、よくは知らぬが自称吸血鬼。人並み外れた、どころか人間離れした美貌とスペックの持ち主。とある事情で因縁を結んでしまって以来、せめて自衛の手段にでもならないかと、伝手を頼って噂やらなんやらを集めてみたが、出て来るのは入学以来一度として学力試験でトップを譲ったことがないだとか、一年の体力測定の時に垂直跳びで三m以上を跳んだとか頭を抱えたくなるような、手も足も出ないと言うよりも、手の足も出したくないという気分に強制的にしてくれる冗談みたいなエピーソードばかりだった。唯一救いなのは基本的に他人と関わりになりたがらない人らしく、関心を持たれなければ特に害もないという点だろうが、とっくの昔に興味を持たれてしまったらしい俺はどうしたら良いのでしょうか?
「なにか、とても、かなり失礼な事を考えていませんか?」
「いやいやいや、気の所為でないですか?」
「疑問系ですか。まあいいです。本題に入りましょう。今日? 昨日? とりあえず昨日としておきましょうか。花火大会が予定されていたのは知っていますか?」
「あーあれね。知ってる、俺も文華と見に行く予定だった。雨で流れた訳だけど」
 戦後間もなく、いつとなく始まった夏の終わりの花火大会がある。市を挙げての大掛かりな行事でありながら、主催するのは始まって以来ずっと続く有志による集まりという一風変わったこの花火大会は、『祝いの花火』とも呼ばれている。長く、昏い戦争という時代が終わった事を祝ったからだというが、その時代を過ごした老人達は何かそれ以外の想いを乗せて言葉にしているようにも思える。それが何であるのか、俺には知る資格はないのだろうけれど。多分それは、あの頃を生きた世代だけが持つ思い出であり、共通認識という奴なのではないかと思う訳だ。
「それは重畳です。私はそれを見たいのです」
 声だけ聞けば切実な、その実表情は能面の如くというなんともチグハグ此処に極まれりなお願いだった。
「いや、見られるだろ。来週に延びただけなんだから」
 まあ、流石に来週も雨だとそのまま流れてしまうが……。週間天気予報を信用するならば晴だし。台風がやってくる気配もないから、多分大丈夫ではなかろうか。
「それでもです」
「言っている意味が良く分からないんだけど? そもそも今日花火を見るのと俺がどう繋がるのさ」
「信也の夢の中へ私を連れて行って花火を見せてください」
「自分で行けば良い。俺の夢の中には入れる位なんだから、簡単だろ」
「それが問題です」
「はい?」
 微妙な既視感を覚える。似たようなやり取りを何時だったかしたなぁ。
「私が渡れるのは、守屋さん、貴方の夢だけのようです」
 うわぁーって感じ?
 人間吃驚しすぎるとどう反応して良いか分からなくなるもので、とりあえず両手を挙げて万歳のポーズ、所謂お手上げの仕草位しか出来なかった。すぐに正気に戻ったけど。
「どうやら以前貴方が迷い込んできた時に『ライン』のようなものが出来てしまっていたようです」
『ある』と認識しないとわからないものですが、と締めくくる柚木一葉の言葉にぐるりと周囲を見渡した。……あった、あったよ。見覚えのない穴が。何で気づかなかったかなぁ、本当に。後で埋めておこう。
「そういう訳ですので、連れて行ってください」
「いや、無理だって。俺が出来るのは精々他人の夢に迷い込むくらいで、後は招いて貰わないと手も足も出ない。美樹本先輩が招いてくれるってんならともかくそうじゃないだろ」
「嘘はいけません」
「い゛!?」
「視線の彷徨い、一秒間の呼吸の平均回数の変化、顔の筋肉の動き、発汗量の変化、声のトーン、その全てで嘘をついているかどうか分かります。繰り返しましょう、嘘はいけません」
「……いやまあ確かに出来ない訳ではないけど――」
 と言い掛けて、はたと気づく。柚木一葉は俺が嘘をついているとは一言も断言していない。一言も口にしていない。ただ『嘘はいけない』と繰り返しただけだ。加えて、此処は夢の中なので、柚木一葉が口にしたような方法は、全くの無意味だ。
 まあ、何の因果か、現実の方で面識が出来てしまったから、姿形はお互いに一致しているだろうが……。
 つまり、またやっちまった訳だ。失態、醜態じゃ生易しい、これはもうどれだけ反省してもしきれない人生最大の悔いの一つになることだろう。
「プラフか」
「半分は、正解です。全くの確証がなかった訳ではありませんから」
 さっき見た笑顔なんか比較にもならない、作り物ゆえに背筋が凍るかと錯覚する程に完璧に過ぎる笑顔があった。そこには何の感情も見えず、ただ笑顔という現象が純粋に存在し、それ故に『どうも仕様がない』という諦観に似た感情を呼び起こした。
 純粋すぎるものは、空気にせよ水にせよたいてい猛毒にしか為り得ない。人の作り表情でさえこれに当て嵌まった訳だ、やれやれ。
 俺の様子が変なのに気づいて柚木一葉が笑顔を消し、
「どうかしましたか?」と問う。
「いやー、別に。ちょっと世の儚さを実感してただけだから」
「そうですか。それなら良いのですが。なんですか、その微妙な顔は」
「慰めの言葉くらい欲しかった……じゃなくて、さっきの笑顔はあんまりやらない方が良いんじゃないかなと」
「失礼ですね。信也にしか見せた事のない極上の笑みを特別に見せて差し上げたというのに」
 それは本気で何かの嫌がらせですか? あと、自分で極上とか言うのはどうかと。つかね、その信也って人はあれを見て正常でいると? それは、そいつが柚木一葉並みにぶち壊れている変わり者か、もしくは柚木一葉がこいつの前では更にぶっ壊れているかの二者択一の絶対選択だ。俺としては前者に一票。無論そうであったら腹を抱えて笑い転げるであろう事間違いなしなのは、後者の方だが。想像がつかないので無駄なことはやめておく。
 と、そうそうすっかり忘れていたけれど、
「『確証』って何?」
「簡単な事です。此処の所、守屋さんの霊子の総量が上がっていましたので、多少芸当が増えているだろうと予想したまでです」
 ……うーん、自覚があったからまだ良いけど、改めて指摘されると考え込む話だね、どうも。本気で一度親父に相談するべきかねぇ。あの面白そうだから『世界の敵』になってみたと笑ってぬかす親父に聞いて真っ当な回答が返って来るのは、限りなくそれこそソコヌキの開けた穴に手を突っ込んで金塊が出てくるのよりも低い気がするけど……。
「で……」
「で?」
「答えはどちらですか? もっとも既に言うまでもなくバレバレですが」
「あーそれでも無理。まあ、アンタが言うとおり出来るかもしれないけれどかなりの確率で迷うと思うし」
 これは本当。俺の認識の仕方が悪いのかどうか分からないが、兎に角俺は良く迷う。そんな訳だから、俺としては柚木一葉を連れて迷子にはなりたくない。けどまあ、言い訳にしか聞こえないよなぁ……。
「やれやれですね。その程度の事が出来ない理由になるとお思いですか? いいでしょう。では、最後のお願いです。細切れになって消滅したくなかったら、さっさと信也の夢の中へ連れて行きやがれ、です。どうですか?」
「どうですかって、それ世間一般的に言って「『お願い』じゃなくて、脅迫っていうと思うんだけど……」
「どんな最期がお好みです?」
 聞けよ。しかも、脅迫に脅迫重ねてきているし……。うん、諦めよう。そもそも柚木一葉が俺の前に現れた時点で、こうなるのは火を見るまでもなく明らかだった訳だし。白旗挙げる代わりに両手を挙げて降参した。
「へいへい、分かりました。その代わり迷っても文句言うなよ」
「その点は大丈夫でしょう。私は気が長い方です」
 そう言う奴が実は一番怖かったりするんだけどね。
「あー。行く前にそこの穴は塞がせて」
 そんな感じに、俺は柚木一葉を伴って俺の夢から外へ出た。

「意外に普通ですね」
「一体どういうのを想像してたんだ?」
「もっとこう不定形の何かが闊歩しているようなのですが」
「アンタは俺の事をなんだと思っているんだ」
「使える様で使えない半夢魔でしょう」
 うん、自覚はあるし。でもまあ。
「否定はしないよ。今の俺が努めているのはそういう姿だから」
「今の、ですか。では昔はどうだったのですか」
 さて、どうしたものだろう。ついうっかり口を滑らしたけど。犯してしまった失敗は、どれ程悔やもうと嘆こうとなかった事になど出来ないとわかっていた筈、なんだけどな。後悔先に立たず、だね。
「多分、きっと自称吸血鬼の経験を共有する機会なんて滅多にない事だから問答無用で襲い掛かっていたんじゃないかな」
「以前アレだけご大層な事を言っていた割に、結局はご同輩でしたか」
「だから言ったろ。経験者は語るでも良いよって」
「答えは見つかりましたか?」
「さてね。こればっかりは本当に内緒。それこそ自分で見つけることなんじゃないかな」
 大げさな溜息が聞こえた。
「お節介焼きの割にケチですね」
「んなことはないよ。言っても参考にならないから言わないだけ。前にも言ったけど、答えは自分の中にしかなくて、見つけ出せるのも自分だけ。誰かに手伝って貰うってのはありかもしれないけど、それにしたところで誰かのやり方を参考にしたって、端にも棒にもかからないのが関の山だよ」
 返事はなかった。なので、それ以上は言葉にせずに、黙って歩く。
 今いるのは、俺は『端境』とか『外』とか呼んでいる場所。本来は『集合無意識』と言うらしいがここで重要なのはどう認識しているかだ。つまり。
「行けども行けども、続くのは扉ばかりですか」聞こえてきたのはそんな皮肉。どうやら先刻のやり取りはなかったものとされたらしい。まあ、いいけどね。
「余計なとこ下手に触るなよ。何が出てくるか分からないから。あ。あと足元も注意。たまに落とし穴があるから」
 言いながら、手は忙しく小さな糸捲き器を廻す。結局、俺の夢と柚木一葉の夢を繋いだ通路と思われたあの穴は、単に柚木一葉が抜けて来た所為で出来た一時的なものだったらしく、埋めるまでもなく直ぐに塞がった。残ったのは、細くて白い糸一本。どうやらこれが道標となったようだ。言ってしまえば、まさしくアリアドネの糸と言ったところだろう。放って置くと碌な事がなさそうなので、ついでに回収中な訳だ。
「一体何処のゲームですか」
「否定はしない。実際ランダムダンジョンだし、時々ワンダリング・ドリームも出るしねぇ」
 因みに親父の場合は、星の海だったんだそうだ。本当、常識以外なんでも取り揃っているよなぁ……。
 と、勢いよく捲いていた糸捲き器が硬い手応えを伝えてきて、取り敢えずの終点に着いたことを悟る。扉から生えている糸を切ると完全に巻き取りポケットに。ま、そのうちきっと役に立つでしょう、と言っていると何の役にも立たずに仕舞い込んだままという事に為る訳だけど。
 さて、ここからが本番。美樹本信也の夢を探さなくてはいけない。よほど親しい間柄でもない限り表札なんて便利な代物はかかっていないから、ここが思案の為所だ。余りに当てずっぽうに扉を開けると中の夢によっては碌な目に会わない。
「あ、こら。言った傍から勝手に開けるな」
「なんとなくここのような気がします」
 どっから出たその自信は。止める間もなく柚木一葉が扉を開けた……。二人で雁首揃えて中を見る。中は極普通の部屋で、少なくとも行き成りホッケーマスク被ったモロモロが飛び出てくる事もなければ、モロレンジャーが名乗りを上げてもいなかった。ただ、美樹本春奈が着替えをしていただけだ。
 三人して固まった。一番初めに動き出したのが柚木一葉で、まず逃げた。次が美樹本春奈で、隠しても大して意味のない胸を片手で押さえると、空いた手の方で指を弾いた。我に返った時には体が殆ど浮いている状態で「粉々にしてやるから、そこになおれ」という美樹本春奈の罵声が追いかけて来ていた。クラクラする意識を叱咤して、手を伸ばす。辛うじて引っかかった指先がドアを目一杯押した。ドアが閉まったのを確認するのと、背中から床に叩きつけられたのは殆ど同時で、兎に角気合で立ち上がる。
 条件反射的に「余計な手間増やすな」と叫んでいた。
 よっぽどな顔をしていたのか柚木一葉が見た目だけは申し訳なさそうに「すみません」と言った。

「多分ここ。十中八九ここ。外れたら俺しらねぇ」
 ヤサグレ気味に指差したのは、さっき開けて酷い目にあった美樹本春奈のドアのすぐ隣。本当、何の嫌がらせだ。
「開けて頂けますか?」
「あん」
「いえ、信也の夢かと思うと、心の準備が……」
 だったらさっき、何の躊躇も無く開けたのは一体なんだったんだ? ああ、まったくと思いながらも、仕方ないかと扉を開けて中を覗き込んだ。
「へ?!」
 思考が止まった。
 満開の桜が舞っていた。気持ち悪くなる位に視界が薄紅色に染められる。甘ったるい香りに胸が詰まる。圧力さえ感じるような鋭い日差し。煩い位の蝉の声が聴覚を支配し、太陽の焼ける様な匂いを含んだ空気が体を包む。煌と輝く月の光が降り注ぐ。寒さを孕んだ風が吹き抜け、色付いた草を揺らした。虫の音が静かに踊る。白が全てを支配する。降り積もるのは、白い結晶。吐く息は白く染まり、冷気が肌に突き刺さる。そんな所にそいつはたった一人で佇んでいた。
 あるいは違うのかもしれない。何かが足りていない気がした。だから、それを待っている。いや、誰かを待っているのだと思った。理屈や根拠など無く、到る。美樹本信也の表情を見たらそう思った。
「どうしました。間抜けな事にまた間違えましたか」
 我にかえる間もなく背中を押され、グルンと回って中へ転がり込む。なんつう力だ。
「ちがう。そもそも最初のはアンタが勝手に間違った扉を開けた所為だろうが!」
 景色は消えていた。まるで夢から覚めてその中身を全く覚えていなかった時のように。あの景色を柚木一葉が目にしなかったのを幸いだったと思ったのはどうしてなのか。それさえ、幻のように消えてしまった。
「そうでしたか? 心当たりがありません」
 ぬけぬけと抜かす自称吸血鬼に教室で授業を受けている美樹本信也の姿を指指し示す。
「とりあえず、この夢でビンゴ。で、どうすんだ。ここ間々ずっと見ているってんだととっても嬉しいんだけど……、駄目みたいだね。はぁー」
 答えを聞くまでも無く結論は出ている訳だ。
「当然ですね」
 勘弁してくれ。……と、どうしたものか。まず指を一回鳴らし、景色をすり替える。うーん、だんだん本当に人間離れしてきたような気がする。いやまあ、帰ってから考えるか。
 すり替えた景色は夜の川原。月の光は控えめに、風は微風。川の流れは緩やかに、耳障りにならぬ程度に。
 はぁ、どっと疲れた。
「うわ、一体何が起きた。何でお前がいるんだよ。俺そんなに欲求不満か?」
 中々愉快な反応だ。
「そんな。一言、言ってくれれば私はいつでもOKですのに」あー、柚木一葉? その反応はどうかと思うぞ。
「お前なぁ、いつも言ってるだろ。自分は大切にしろって。ん? でもこれ俺の夢なんだから、これ俺の願望か?」
「その通りです。ですから、さあ、信也。遠慮せずに――」
 えー、思わず柚木一葉の後頭部に突っ込みを入れたのも仕方がない事だと思いたい。つか。
「夫婦漫才すんなら、目が覚めてからにしてくれ!」
「なっ」「まぁ」
 泡喰う美樹本信也とポッと頬を染める柚木一葉。ひょっとしてさっきの予想、冗談でも何でもなしに、後者のほうが正解だったりするのか、これって……。
「本題入って良いか?」
「あれ、お前って祭りの時の……」
 今の今まで認識されていなかったらしい、まあ良いけどね。
「あ、その辺りは気にしなくて良いから。これ夢だから。なんで、そう構えないでもらえると嬉しいかな? こっちの柚木先輩も色々言うと思うけど基本夢なんでそう気にしないように。良ければ俺向こうに行ってるんであっちの空を見ててくれるかな。特別出血大サービスで色々打ち上げるから。じゃ、よろしく」
「ちょっと待てよ」
「ん?」
「肝心な事を聞いてない。お前誰だ?」
「強いて言えば、ナイト・ナイト?」
 そんな問い掛けに、いつかと同じ単語を並べて見せた。

 黒のキャンバスに一際大きく焔の華が開く。一拍子遅れて破裂の音が響き、後を曳く。余韻に合わせるようにゆっくりと闇が本来の色合いを取り戻していく。
 昇曲導付八重芯変化菊、緑小花入り錦冠菊、彩色千輪錦残輪、昇り曲付彩色蝶、菊先青光露残月、昇り小花八重芯錦先紅青光露、曲付き三重変芯変化菊、等々計七十種類各五発を一組にしてそれを三セット。間にスターマイン(速射連発花火)を二度挟む。何の事かよく分からないとは思うけれど、これ。事前に柚木一葉から渡されていた打ち上げる花火のリストだったりする。わざわざ玉名で書いてくる柚木一葉も柚木一葉だが、理解出来た俺もどうかと思う。しかしこれ、現実で見たら一体幾ら掛かるんだろうね。少なくとも、個人や一自治体で何とか出来るようなもんじゃないよな。夢の中でもそうそうやるもんじゃないけど。そんな訳で、俺は力尽きて倒れた。
 川原の石が背中に当たり痛いが、状況変更する気力もない。そのままぼぉっと空を見上げる。満天の空には現実では決して存在し得ない季節の星座が無秩序に共存している。いやまあ、北斗七星の真横に南十字星が浮かんでいるのはどうかとも思うけど。なにぶん夢なんで何事もアバウトな方が楽な訳だ。それにあまりに正確さに拘って再現すると現実と誤認されてしまい少々面倒な事になる。有体に言えば、目が覚めなくなる。夢の中に引き篭もっちまう訳だ。もっとも俺はそんな代物を作る気はないし、そもそも作る事さえ出来やしない。しがない半夢魔だからね。
 ある意味益体もない事を考えつつ体を休める。体の中に篭った熱が徐々に抜けていくのを自覚する。
「もしもし、良いですか。リクエストです。もう一巡お願いします」
「……殺す気か?」
「まさかそんな事考えた事もありません。生かさず殺さず骨の髄まで啜るのが基本でしょう」
「一つ言って良い? 鬼かアンタは」
「吸血鬼ですが何か?」
 あーはいはい、聞くだけ無駄でした。因みに柚木一葉、美樹本信也とは五百メートルばかり離れている。それでも会話をしているのはテレパシーとかそんな大仰な物ではなく、単に夢だから距離が関係ないだけの話だ。そのつもりになれば、向こうの会話を事細かに聞き取る事も可能だが、他人の色恋に首を突っ込むほど野暮じゃないんで、これっぽっちも聞いていない。馬やウサギに蹴られて死にたくないしねぇ。
「これで勘弁して」
「これは……」
「そ、線香花火。今はもうこれが精一杯」
「だらしがないですね。この程度で」
「なんとでも言ってくれ。もう無理。逆さにしても何もでないぞ。それにさ、祭はしんみり終わるものだろ。楽しくて楽しくて、あと少し足りない位の所で終わっておくのが一番良いのさ。そうするにはぴったりだろ。線香花火は。マッチと蝋燭もつけるからさ」
 特に反論も聞こえてこなかったんで、そこで会話を打ち切った。だから、そのあと柚木一葉と美樹本信也がどんな会話を交わしたか、俺は知らない。痴話喧嘩をしていようが、ストロベリっていようが関係のない話だし。さっきも言った様に野暮じゃないつもりだ。
 静けさを取り戻した星空の中心で、せせらぎをBGMに目を閉じた。と言っても、夢の中で更に眠りに付けるはずもないので、単に感覚を遮断すると言った方が正確かもしれない。自身しかいない、感覚の闇の中に漂う。時間や空間と言った概念からも開放され、酷使し疲弊した意識を再認識再構築する。守屋夢人の構成に必要なものと不必要なものをより分け散らばった自分自身を掻き集める。さっきの打ち上げ花火にしてみた所で、美樹本信也からでも去年の花火大会の記憶を引き上げてくればもっと楽ではあったのだろうけど、それはつまり美樹本信也の経験を所有すると言う事だ。それは知りたくもない美樹本信也の経験を強制的に自分のものとしてしまう。そんなことは望まないから、多少無理をしてでも、夢の上に俺の心で上書きする。それこそ束の間の、幻のような改変ではあるのだけれど、まあ、他人から見たら詰まらない拘りだ。
 夢魔である事を否定するつもりはないが、その一方で守屋夢人という自分を失うつもりもない。まさしく、矛盾した、どうしようもなく我儘な幻想ではあるけれど、手放すつもりはサラサラない。
 それが、今の守屋夢人の生き方だ。
「……しもし、起きてください。起きないのでしたら粉微塵にしますがよろしいですか? そうですか。起きないという事は粉微塵になってもよいという事ですね。分かりました」
 慌てて目を開くと。
「では」とか言いながら腕を大きく振り被った柚木一葉がいた。
「まてまてまてまてまて、なにが『では』だ。本気で殺す気か」
「まさか。虫の息くらいで済ませて差し上げる心算でしたよ」
「あーそう。聞くだけ無駄だったね」
「失礼な、守屋さんこそ私をなんだと思っているのですか」
 さて、どう言ったものか……。
「『ヤンデレ』? ごめんなさい。真面目に答えるから笑わないで下さい。そうだね。『オズの魔法使い』に出てくる三人の道連れ、そのどれでも良いよ。どれが良い?」
「なんですかそれは。真面目に答える気はあるのですか?」
「それは心外。俺は真面目に答えたつもりなんだけど。まあいいや。それより美樹本先輩は?」
 大きな溜息をつかれた。ふざけていると思われたのだろうな。
「信也でしたら、向こうにいます。線香花火が終わりましたのでお別れをしてきました」
「そ。じゃあ帰りますか」
 まだダルさの残る体を起こし、パチンと指を鳴らす。場面の消去。自動的に元の夢、学校のシーンに置き換わる。後始末はきちんとしないと。俺のほうからお邪魔した訳だし。
「次はあんたを送っていかないとね」
 出口に当たる筈の非常階段への扉を開く。
「…………」
 ずーんと廊下が続いていた。両脇は壁だ。扉どころか、窓さえありゃしない。なにより握っていたドアノブさえもない。予想はついたが一応振り返る。あるのは何処までも続く廊下。
「なあ、別れる時、美樹本先輩に何か言ったか」
 尋ねていて嫌な予感がした。
「何も……。ただ、引き止めてくれないのですねと言っただけですよ」
 自称吸血鬼はのたもうて下さった。それが原因だ。深層意識のレベルで、思いっきり柚木一葉が夢から出るのを拒否してやがる。
「送って下さるのですよね」
 打ちひしがれている俺に柚木一葉が追い討ちを掛けて下さる。
「おう、送ってくよ。ええ、送らせて頂きますよ」
 自棄になった俺の声が廊下の先のほうへ木霊しながら響いていく。一体何処まで続いているんだか。
 取り合えずだ。わざわざ夢に接触する必要もない位にはっきりと俺にもわかる事が一つだけある。
 ちったぁ素直になりやがれ、美樹本信也!

 そんな訳で、正真正銘迷宮化した校舎を彷徨ってヘロヘロになった俺は、次の日学校をサボった。文華には風邪という事にしてあるんで、出来たら内緒にしといて欲しい。
ばれると絶対怒られるから……。

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