シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

研究所の蝗三十五

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だれでも歓迎! 編集

研究所の蝗三十五 作者:清水光

「蝗君、今日の任務を伝えよう。真霧間源鎧科学研究所に潜入せよ!」
 昼飯前に顔ぐらいはだしておこうと思い、編集部を一応訪れたなら、挨拶より先にがなり声に出迎えられた。まったくもってなんでこう、厄介事ばかりを思いつくのか? いや思いつくだけならいい。ただその厄介事を、人に押し付けるのはやめてくれ。
 蝗三十五すなわち俺。いつなんどきでも、今日とて例外ではなく、面倒な仕事は俺へと回ってくる。ひどく理不尽なシステムだが、システムはシステムであり、そう簡単には逃れようがない。
 編集部室の奥には、通称カンフル編集長が、ひとりどっかと陣取っている。彼の姿形は簡単に言うなら、極端に頭が小さい雪だるま。ときたま思うのだけれども、あの人はあそこから動くことができるのか?
 ひじかけのところにはボタンがあって、押すと足元の床が開く。編集長の体は椅子ごと、暗闇の中へと呑み込まれる。四方八方から機械製の腕が伸びてきて、食事を与え、体を洗い、マッサージを施す。無数の手はよってたかって、編集長の世話を焼く。
 わかっている、きわめて非現実的だと。だが、ふざけたことにこの霧生ヶ谷では、そんな不思議がところどころに落ちている。真霧間源鎧科学研究所と呼ばれるその場所は、そんな霧生ヶ谷の中でも、マッドサイエンティストのアジトとしてよく知られている。
「市民の血税を浪費し、科学の皮を被った魔術の饗宴に、日夜明け暮れるその所業――」
「ちょっと待ってくださいよ、編集ちょ……」
「――我らが月刊霧生ヶ谷万歳!が暴かずして、いったい誰が暴くというのだ!」
 俺は言葉をさしはさもうとしたが、カンフル編集長の勢いに遮られる。思わず呑んだつづきは胃の腑まで落ち込み、最早思い出せなくなった。
 月刊霧生ヶ谷万歳!とは、霧生ヶ谷のローカルなネタをひたすら扱う、地域密着型月刊情報誌だ。毎月発行されるが、値段は定まっていない。発売日に編集長が読んで、適当に決定する滅茶苦茶な仕組み。たった三人の編集部で、俺は記者かつ編集者をやっている。
「どんがらがっしゃーんと、一発ぶっこわしてやろうじゃないか、ぐはははは、ははは」
 カンフル編集長得意の決め台詞を背中に聞きながら、俺は編集部を飛び出した。決して喜び勇んで、ではない。このままここに居座るよりは、外に出たほうがまだましだと思ったからにすぎない。俺はバスに乗り込み、北区に向かった。
 のれんをくぐる。銀河系一と大きく、白で染め抜かれている。週に二三度は昼飯を食べにやってくる、馴染みの店――銀河系一霧生ヶ谷饂飩。うどん屋をやらせておくにはもったいない、ダンディな店主が俺に会釈する。適当に挨拶を返してから、「いつもの」と簡単に注文を終えた。
 仕事の愚痴をこぼすのもほとんど定番になっていた。そんなに深刻なものではなくて、まあ軽い世間話のようなものだ。今日も今日とてカンフル編集長の押し付けてきた、七面倒な任務というやつを、俺は店主に語る。そんな俺の軽口を店主はいつも適当にあしらう。だが、今日に限って違っていた。
 返事がない。眉間にしわをよせたまま、店主はうどんをゆでている。碗を差し出すときも無言だ。俺はちらちらと店主の表情を伺いながら、うどんをすすりあげる。気になって仕方がなかったが、妙に真剣な顔に気圧され、問いただすのはためらわれた。
 汁まで飲み干し、俺がうどん屋にとどまる理由は、完全になくなった。代金をカウンターに置き、立ち上がる。長居をしていられるような空気でもない。俺が店主に背を向けてはじめて、渋く低めの声が店内には響いた。
「今度ばかしはやめておけ。真霧間キリコ、ありゃあ良くも悪くも、霧生ヶ谷の最重要クラスの人物だ。その寝床に飛び込むなんざ、正気の沙汰とは思えねえ。あの研究所に忍び込んで――」そこで言葉は区切られる。間が意味するものは躊躇いなのかもしれなかった。「――無事に帰ってきた奴はいねえ」
 振り返りはしない。北区から東区へと、俺は再びバスに乗った。
 俺はもともと霧生ヶ谷の人間じゃない。大学時代にこちらに移り住んできた。そしてそのまま居ついている。依然として独特の風土に慣れない。巷に溢れる不思議ってやつと、うまく折り合いを付けられずにいる。積極的に忌避するというわけじゃない。嫌悪するでもない。消極的に、できれば関わりたくないと思っているだけだ。つまり俺が不思議に抱く感情とは、わずらわしいだとかうっとうしいだとか、そういう感情に近い。
 危険なものとは、また別の付き合い方が必要になってくる。不思議であるとかないとかは、別の話だ。科学も非科学も。理屈に合おうが合うまいが。信念とも人格とも秩序とも無関係だ。危険は危険であり、それ以上でもそれ以下でもない。俺ならば一目散に逃げる、どうしようもない危険からは。
 無駄に凝った装飾をした、鉄条門の向こう側に、立派なつくりの洋館が静かに佇んでいる。瑠璃家町、その周囲の光景と比べてみれば、非常な場違いが際立つ。頂点に取り付けられた銀白色の球体が、アンバランスな印象を助長する。真霧間源鎧科学研究所。あいにくなことに今日は快晴、空には雲ひとつなく、太陽の独壇場。曇りか小雨だったなら、雰囲気が盛り上がったろうに。
 俺は手近な石ころをひとつ拾った。妖しげな研究所に潜入する方法の基本、塀の上から。手の中の石を庭へと投げ込む。一瞬、空中に電光が走ったかと思うと、石ころは煙となって消えていた――なんてことはなかった。どうやらそうゆう近未来セキュリティーシステムはない模様。ただし試した後でなんだが道具もない俺には、塀を乗り越える手段のほうもない。
 まあ物理的な手段から考察すれば、実現可能なのは正門から入ることぐらいになる。しかしこの案は考えるまでもなく使えない。この不信の時代、どこに好き勝手に開くような正門があるというのか? 金属にひんやりとした感触を、手のひらに覚える。気まぐれに力を加えてみる。開いていた。
 中に入る。玄関につづく小道を進む。藪の中からドーベルマンが飛び出してくる、抵抗する術もなく、俺は押し倒され、喉笛を食いちぎられる――こともない。至って平穏。流石にここは開くはずがない、そう思っていた玄関扉すらあっさりと動く。もうどうにでもなればいい、俺は研究所へと足を踏み入れた。
 内装は清潔感に溢れている。照明はつけられていないが、広く外光が取り入れられていて、十分に明るい。カツカツと足音がよく響く。絶対あると思っていたトラップもない。電源を入れ忘れているのかもしれない。そういうのはよくある。
 俺は歩を進める。そこで気づく。いったい何をしたものなんだろうか? 拍子抜けするほどあっさりと潜入したはいいが、とりわけ目的というような目的もない。何かおもしろいものでも見つかればいいというぐらい。
 その場その場のカンだけでもって、行き先を決める。目標がないからどちらに行っても正解だ。中は驚くほど広い。外観から考えられる容量をすでに超えている。地下に入ったのだろう。いつからか窓もなくなっている。
 十字路を右にゆき、Y字路を左に行き、階段を降り、エスカレーターを上り、滑り台をすべり、エレベーターを上昇させる。方向と時間の感覚が失われる。とてつもなく巨大な迷宮を、俺はさまよっているのかもしれない。ゴールがないのは本当に馬鹿げているが。マッピングしとけばよかったかと、今更思ったりする。
 あまり変化のない風景がすぎてゆく。不意に、どこからか声が聞こえ、立ち止まった。どこかで聞いたことがある、というよりも聞きなれている? 声のするほうへと足を向ける。長くつづく廊下、細く開いた扉の隙間から声は漏れていた。
「モロハダ脱いでべらんべぇ!」
 遠野山の金さん? 確かに聞いたことがあったはずだ。霧生ヶ谷ケーブルテレビで絶賛放送中。足音をひそめ、壁によりそう。隙間にそっと目を押し当てる。部屋の中を見渡す。壁のほとんど全面をうめる大画面テレビに、金さんの姿が見える。部屋の各所にはスピーカーがいくつもある。画面に向かい側のソファーには、誰も座ってはいない。
 音を鳴らさないように慎重に、俺は扉を開けていった。隙間から中へと身を滑り込ませる。やはり誰もいない。テレビの音だけが響いている。つけっぱなしででかけるとは、なんとずぼらな。ひょいとかがんでリモコンを手にとった。節電に協力して悪いということはない。電源ボタンをぽちっと押す。金さんの姿が顔面から掻き消える。
「ぎゃああああああ」唐突に低い悲鳴が部屋の中に響き渡った。テレビではない。というかテレビを消したからこうなったのだ。俺はリモコンをにぎったまま、あたりを見る。当初の通り、やはり何の姿も見られない。悲鳴だけがずっとつづいている。出所不明の声はどなりわめく。
「まだ放送中だ。即刻、電源を入れなおせ。早くしろ。今が一番盛り上がるところだ。見逃したらどうしてくれる。未来永劫、子々孫々、呪い殺してやる。いや、未来など瑣末なことだ。問題は今だ、早くテレビの電源を入れるがいい! 入れろ。入れてくれ!」
 はじめは威勢がよかったが、そのうち声のトーンはどことなく、あわれっぽさを帯びるようになる。懇願の色が増してゆく。得体が知れなかったが、とりあえず俺はリモコンを再びテレビに向けた。画面に金さんの姿は映らなかった。テレビの中ではおばさんがやたらと陽気に喋っている。わやくちゃしていたうちに終わったらしい。
「あああああ、せっかく屈辱に屈辱を耐え忍び、あの娘に懇願したというのに。いつもは強制連行されるところを、この大画面で遠野山の金さん六時間スペシャルを見るはずだったのに。それがそれが、まさか最後で見逃すことになろうとは……」
 半分ぐらい涙ぐんで声は聞こえた。相手が見えないというのはやりづらいが、適当な方向にむかって俺は声をかけた。「いやほんと悪いな。まあ泣くなよ」
「この我輩が泣いているわけがない!」
「泣いてないなら、隠れてないで出てきてくれ」
「我輩は最初より貴様の前に姿を現している。この携帯ストラップが目に入らぬか!」テレビの正面に置かれたソファの上に、確かに丸い卵形をした透明なものが転がっている。携帯電話はないが、携帯ストラップといえばそんな感じだ。
 愛想笑いを俺は浮かべておく。悪いと思っている気持ちが、そこから伝わればいい。「時代劇ギャグとかそういうのか……? いや、まあ、面白いとは思うよ……?」
「冗談などではない。我輩はここにいる。理解できないようなら、我輩の真の姿を見せてやろう!」声は威勢良く大見得をきる。ようやく姿を見せてくれるようだ。研究所に入って始めて遭遇する相手が、平日の昼間に時代劇を見ていたようなやつで、その上妙なことばかり言っているがまあいい。
 ところが、二三分の時間がたってもいっこうに現れる様子がない。相手が何も言わないので、俺のほうも黙っている。部屋の中に淀んだ空気が流れ始める。ぽつんと寂しそうに声はもらした。「我輩は今、あの娘に封じ込められているのだった……」なにやら色々と大変らしい。
「貴様は何しにやってきたのだ、何が目的だ。あの娘の差し金か、ささやかな幸せすら、その陰険な手口で奪おうというのか!」
「いやまずあの娘というのが、いまいち誰のことかわからんし。テレビの件は本気でわるかったと思ってるよ。わざとじゃなかった」
「もしかすると、貴様、正規の客ではないのか?」痛いところをつかれた。正規かそうでないかといえば、無断で入ったわけだからそうでないことになる。俺は言葉に詰まる。姿の見えない相手が始めて、にやりと笑みを浮かべたように感じられた。「とすれば、いくらか溜飲も下げられようというものだ」
 不穏なものを覚える、彼の口調はどことなく不吉だ。「何を言っている?」
「貴様は生きてはここから無事に出られないということだ」そんなことをうどん屋店主も言っていた。だが、実際のところはどうだったろう?
「ここの研究所にはなんのセキュリティーもなかったぞ。ここまでだって楽々やってきたんだ」
 返ってきたのは今度ははっきりとした笑い声だ。部屋の中に不気味にこだまする。相手が見えないだけ余計に。「陰湿な仕掛けだ。誰も入れないというのはつまらないと、あの娘は言っていた。だから、侵入者を寄せ付けないつくりではなく、入ってきた人間を出さない構造に、ここの研究所はなっているのだよ」
 なんてこった、わりと信憑性のある話だ。うどん屋店主はあれでわりと情報通で、変なことを知っている。まったくここはゴキブリホイホイみたいだ。となってくると、俺はゴキブリということか。いい気はしない。
「罠にはまった泥棒が逆に被害届けを提出したことが、我輩の知る限りで六件。いずれも、あの娘が取り消させたが」
 どうしたものだろうか? いつのまにやら、危険の奥底に自分から入ってきていたらしい。ウソという可能性はなくはない。だが、試してみるというのは、無謀すぎる話。直感が多分ほんとだと告げてるし。とりあえず死ぬのはイヤだし、死にそうになるほど危険な目にあうのも俺は歓迎しない。
「早くしないとあの娘が帰ってくるぞ。そうすれば逃げ場はない。貴様は終日、人体実験に使われるのだ、はははっはははは。これで少しだけ、遠野山の金さんのうらみもはれるというものだ!」
 考えに考えたけど、どうにもならない。なんかどうでもよくなってさえ来る。考えすぎるとはそういうことだ。集中できる環境でもなし。姿を見せないひきこもりが、だいぶうざくなってくるし。スピーカーからはまあこれは安いとか、あの染みが消えるなんて、このお値段で! とかそんなんが聞こえてくる。テレビショッピング? 気晴らしにテレビのほうへと、俺は視線を向ける。
「取引しよう」静かに俺は告げた。相手が息を呑むのが聞こえた。
「正気か? 我輩は風と熱風の魔王、パズス様が騎士。悪魔の一柱。それと取引することが何を意味するのか理解しているのか?」
「あんたの口ぶりだと、ここからの脱出方法を知っているんだろう? それを教えてくれればいい」
「貴様はその代償として、自らの――」
「待て」俺は相手の言葉を途中で遮った。なんかうさんくさいことを言っていたから。面倒なのをいちいちきいてやる必要はない。「あれでどうだ?」正面の画面を指差した。
 驚愕に目を見開いているがわかった、なんとなく。「あれは!」
「あの超傑作、遠野山の金さん第一シリーズがDVDボックスで蘇るのです!」相も変わらずおばさんははしゃぎながら、口上を並べ立てている。
「欲しいだろう。だがあんたは手に入れることができない」ひきこもりだから多分、電話も苦手だろうし、金も持ってなさそうだし。痛い出費だが、危険をくぐりぬけるには、そのくらいは妥当だ。相手が押し黙ったままなのが、有効だというなによりの証拠だった。追い討ちをかけておこう。「早く決めてくれないと、俺は電話番号を覚えるのが苦手だ」
 姿なき相手はうめき声をもらす。今まさにテレビには、電話番号が映っているが、いつ消えるかはわからない。緊張が高まる。一呼吸の間を置いて、はあと深く息が吐き出された。残念さと、それと期待とを、どちらも押し隠しながら、声は告げた。「その取引を受けよう」
 その場で俺は自分の携帯を使って電話をかける。地下だが通じた。なんかそういう装置があるんだろう。お届け先はここの研究所にしておく。注文するのと支払うのは俺だが、受け取るのまでは面倒見切れない。そこのところがどううまくやるのかは、今も姿を見せないひきこもり次第だ。
「決して後戻りしてはいけない。前に進みつづけろ。地下水路に出る。さらに進めば地上だ」
 適当に別れの挨拶をすませて、俺は再び廊下を歩き出した。暗闇の中でなにやら白いワニに襲われたりして、ひどい目にあったりはしたが、最終的にマンホールから顔を出した。あたりの風景から考えれば中央区らしい。どこをどういったかのはわからないが、かなり歩いたようだ。すでに夕陽が沈んでいることからもそれはわかった。
「とまあ以上のような大冒険が繰り広げられたわけだけれど、まったくあそこの研究所は噂通りろくなもんじゃねえよ」
「わかってないようですから言いますけど、不法侵入です。あの研究所は公共施設でなく、私有です」
「ん、あ、それだ!」
 編集部によってみると、同僚の鳥ちゃんがいたので、一部始終を語ってみた。冷めた指摘を返されただけだったが。そこで思い出した、昼前にカンフル編集長に遮られて、俺が言い損ねたのもそれだったのだ。忘れたこともすっかり忘れていたが、どこかひっかかかっていた。ひょっとするとでかける前に、それをちゃんとツッコんでいたら、研究所にでむかなくてもよかったんじゃないか? まさか、そんなことが、あるわけが……。
 結局、わりと清く正しい、霧生ヶ谷万歳!では、今日の話は恒久的に記事にできない。つまりは骨折り損のくたびれもうけ。どころかDVDボックスの代金も損したわけだ。チクショウ。いや待て。今度、遠野山の金さん特集を組んでみるのはどうだろうか? あのひきこもりなら、そうゆうのをつらつら書いてくれそうだ。問題はどうやってもう一度研究所に侵入するということだし、あれに会えるかということになる。とりあえずはDVDボックスを経費で落す方向で。何より肝心なのはそこだ。

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