『涼やかに成す、爽やかに香る?』 作者:香月
奇妙な迫力を備えているものの、どちらかといえば美人だ。本気で怒ると眼鏡がきらりと光るそうだが、真偽は定かではない。
柳川爽香。中学時代の先輩である。北高の近くを通りかかり、偶然出会った。どれだけ会ってなかったかはもう覚えていないが、かなり久しい。
「爽真君は健在か」
「なんで先に弟の話をするのよ。会ったこともないくせに」
睨まれる。この人の眼はいつだって勝気で強気だ。
「口より先に手が出る。だというのに口論しても勝てる気がしない。会ったこともない他人の弟の身であっても、案じるのは当然だな、柳川爽香」
「私に向かってまず、元気だった? とか言うのが筋ってもんでしょーが、上木涼成」
柳川は俺より背が低い。まあ当然だが。だというのにこの人に俺は圧されている。首でも掴まれれば、持ち上げられてしまうんじゃないか。
「…………」
「…………」
勝てる気はしないが視線を合わせる。ふと、柳川が溜息をついた。
「アホらし」
中学の時は、それなりに親しかった。先輩ということで、憧れもあった。
「眼鏡変えたか?」
「あんた、変に細かいところ見てるわね」
いや、何となくだが。
「そういう上木は髪型変えたわね。ずっとあの、プロレスラーみたいな髪型だったのに」
「最近の話だ」
側頭部を刈り上げ、襟足を伸ばし、他はショート。いわゆるマレットに近いで中学時代は過ごした。今は左の側頭部だけを刈り上げ、そこにラインを何本か入れているだけだ。変えた理由は、単に飽きただけである。
「とりあえず、歩かない?」
「さっさと帰らなくていいのか」
柳川はまだ制服姿だ。俺は学校行ってなかったから私服だが。
「久しぶりに会ったんだから、少しくらい話してもいいんじゃない」
柳川は先に歩き出す。どこに向かっているのかはいまいちわからないが、俺もそれに並んだ。そういえば俺はこの人の家を知らない。
「彼女できた?」
いきなり痛いところを突いてくる。
「できてない」
「あんたは近寄り難いからね。その髪やめたらできるかもしれないわよ」
「余計なお世話だ」
にやり、と笑いながら俺の顔を見る柳川。含みのある笑い。
「ルックスは中の上。背が高いところはプラスね」
「そりゃどうも」
「うちの爽真よりは見込みあるわよ」
「……そりゃどうも」
柳川爽香の弟という、不幸な星の下に生まれてきた男、柳川爽真。しつこいようだが、会ったことはない。
小学6年生だというが、今はもう2月。中学校に進学するのもそう遠くない。例の杏里ちゃんとは同じ中学校に行けるのだろうか。会ったことないが、俺は彼を応援する。
「どこまで話したっけ?」
柳川は弟をおもちゃか何かとのたまっている。それでいて、姉弟仲は悪くないようだ。相手を選んではいると思うが、こうやって話題にされている爽真君に同情する。ましてや、その内容が杏里ちゃんとかいう子への想いなのだから。
「あー、数ヶ月ぶりだしな……覚えてない。俺はそれより、大樹君とかいう子が気になるな。電話で話したことあるんだろ?」
「そうね。おもしろい子だったわよ。例えるなら、『セクハラ』を『セクシーな腹まき』とか言いそうな感じの子」
本当に言ってそうだ。
何分久しぶりで、記憶は断片的なものになっている。それと前々から思っていたが、柳川の口ぶりだと俺が知っている大樹、爽真、杏里の3人の他にまだいそうだ。この人もあまり詳しく知らないのだろうか。それとも、単におもしろくないだけか。
「あんまり言うと可哀想だから、今日はやめとくわ。それに、久しぶりに会った友人に言うことでもないだろうし」
不意に、強い風が吹いた。体を通り抜けていくような冷たい風。冬は好きだ。体につくものを全て落としてくれる。
「涼成」
急に名を呼ばれた。
「気持ち悪いな。やめてくれ」
「涼やかに全てを成せるかしら」
「あんたから爽やかに香るものは何もないけどな。というか、あんたそんな詩人みたいなこと言う人だったか?」
さあね、と惚けながら体を震わせる。スカートってのはバカみたいに寒そうだ。当然だが、俺は身に着けたことがないから本当のところはわからない。
大きな水路があると通りに出た。ここは何処だろう。いまいち方向がわからない。
「ノスタルジックだな」
「ん?」
柳川は足を止めて水路を覗き込む。俺の言葉には、顔を上げずに返事をした。
「モロモロ。昔は捕まえて遊んだ」
「あんたもやってたのね」
この寒い中、水路の脇にしゃがみ込む女子高生。気分でも悪いのかと、疑われるような体勢だ。髪で顔は見えない。
何というわけもなく、俺は空を見る。晴れていればよかったのにな。雪でも降りそうな寒空だった。そういえば、霧生ヶ谷は卒業シーズンになると必ず雪が降る。爽真君達の卒業式も、傘は必須なのだろう。
「くだらないこと考えてる顔してるわよ」
「ああ、本当にくだらない」
「あんた、少し変わったわね」
相変わらず、顔がこちらに向くことはない。
「もっとギラギラしてたのにね。命知らずの大馬鹿はどこへ行ったのかしら」
懐かしい呼び名である。
「いや、今思うと正確にはハイフライヤーよね。あんた飛んでたもんね。体も、頭の中も」
頭の中は余計だ。
「落ちる、かもしれないな」
幼い頃から、高い所に登るのが好きだった。そして、そこから飛ぶのが更に好きだった。母親は必死にやめさせようとした。二階だった俺の部屋を一階に移し、階段を封鎖されていたのを覚えている。窓から飛び出すからだ。
怪我をしたことが1度や2度ではないのが、命知らずの大馬鹿たる所以である。
「いつか死ぬんじゃないかと思ってた人、私だけじゃなかったはずよ」
「いくらなんでも、それは弁えてた」
「けど、傍から見てれば自殺みたいなもんだったわ。ウィスパーなんちゃら、とか言って校舎の2階の窓から飛び出していった時は、目を覆った人も多かったのよ。私は偶然、外から見た側だけど」
母親に比べて、父親は暢気なものだった。
プロレスラーにでもなればいいんじゃないか? ラダー戦の名手になれるぞ。
そうとだけ言って、俺の悪癖を別段気にしてはいなかったようだ。
「あんたの言い方だと、俺がラリっていきなり窓から飛び出したみたいな言い方だな」
「え、違うの?」
「んなわけあるか。友達と遊んでただけだよ」
「遊びで、校舎の窓から車の上にダイブしないわよ」
なぜこうも、久しく会った友人との会話は雑多で節操ないのだろう。話題が飛びすぎて、さっきまで何の話をしていたのかがわからなくなる。いや、友人との立ち話なぞ、こんなものか。
柳川が立ち上がり、くるりと振り返る。これまで話していて、初めてしっかりと顔を見た気がした。この人に憧れていた頃もあったんだよな、俺は。
「涼成、あんた電話番号教えてよ」
違和感。何だろう?
「何で」
「電話掛けることだってあるかもしれないじゃない」
言いながら、柳川は携帯電話を取り出す。こういう時、赤外線は便利でいい。
「よしよし」
納得したらしい。
「それじゃ涼成。私の家、ここだから」
じゃあね、と柳川の表札に向かっていく。もう振り返ることもないだろう。
歩いてきた道を頭で辿ると、それなりに距離があった気もするし、そうでないような気もする。というか、この辺りは見慣れない。
「ん?」
……違和感。そうか、涼成と名で呼ばれたんだ。くそ、1回目で注意したから、つい油断していた。
「またな、爽香」
わざと名を強調して呼んでやる。驚いたように振り返った。
ざまあみろ。
「やあ、涼成。今日は遅かったね」
「古い友人と出くわしたんだ。また会えるといい、とか思ったのは久しぶりだった」