シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

月は水底

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月は水底 作者:しょう

 月は明るく煌々と。
 影は朧に闇に溶け。
 水路沿いに根を下ろす柳の枝は満月の光に妙にはっきりと浮かび上がり、その光景は現実という枠組みを酷く曖昧にしている。
 水路を流れる水音は、耳につくほど喧しくはなく、かと言って意識しないと聞こえないというのでもない。寧ろごく自然に感覚の中に溶け込んでしまっている不思議な感じ。
 呼吸に合わせて水の囁きが聞こえ、足音に続くように水が呟く。それが楽しくて、わざと蛇行しながら歩いてしまう。
浮かれている。アルコールが入っている訳でもなく、ただ夜の道を歩いているだけだというのに、どうしてこんなにも自然に顔が緩んできてしまう位楽しいのだろうか?
 ああ、それもこれも満月の持つ魔力の賜物か……。
 それとも、この都市に敷かれているとかいう『陣』の所為なのだろうか。

 そもそもこの街に立ち寄った事自体、乗っていた電車の車窓から見えた月があまりに綺麗だったので思わず飛び降りてしまったから。正直な話、駅を出るまでこの都市の名前も気にしなかった。
 元々旅行が好きで、時に車内で夜を明かした事も多いが、アレほどまでに見事な満月を見たのは初めてだった。魅入られたといってもいいかもしれない。暮れ切らぬ夕日の明りにも負けぬ程に金色の月から目が離せなくなっていた。
 かくして、駅を出て宿を探す際始めて自分の降りた場所が『霧生ヶ谷』と呼ばれるのだと知ったのだった。

 当座の宿さえ確保してしまえば、後はもう簡単だ。夕飯の確保を兼ねる月見と称した市内散策を始めた。宿でうどんが名物と聞いた為、うどん屋をメインに探してみる。こういう初めて来た場所で、美味い飯屋を見つけるコツは駅前の人通りが激しい通りよりも少し離れた地元の人間しか通らないような場所を探す事だ。要は観光客を相手にした店よりも近所の住人を相手にした店の方が美味い事が多いというだけの話なのだが、意外にこれがなかなか馬鹿に出来ない。
 そういう訳で、人通りを避けるように空を見上げながら歩いて行くと辿りついたのが、水路に面した通りに民家に紛れるようにして建っていたうどん屋。はっきり言おう、暖簾が掛かっていなかったら気づかなかった。が、同時に期待も高まる。こういう店が『大当たり』だった確率はかなり高い。
 店に入ると中年の店主が迎えてくれた。他に客の姿がないからなのか、それとも元々こういう陽気な性格なのか、注文を受けて調理してこっちが食べている間、途切れることなく話が続いた。近所のだれそれがもう直ぐ結婚するという旅行者に聞かせてどうするんだ? と首を傾げざるを得ないような世間話から、『霧生ヶ谷』の成り立ちの歴史まで話題は実に幅広く、店主には悪いが三分の一くらいしか覚えていない。
 その中で面白かったといえば、『霧生ヶ谷』を流れる川が元々この辺りを荒らし回っていて退治された蛇神の体が変化したものだとか、平安時代に都で跳梁跋扈していた魑魅魍魎の掃き溜め場所としてこの地が選ばれ、風水に基づいて縦横無尽に水路が張り巡らされ、怪異を集めると共に一度取り込んだ怪異を外に逃がさない為の『陣』が敷かれ現在に至る。これには『国』が絡んでいて故に,『霧生ヶ谷』は未だ水路によって隔離された一種『陸の孤島』であるのだという、与太話なんだか何なんだかよく分からない話だったというのはどうしたものか。これもそれも、店主の巧みな話術の所為だという事にしておこう。少なくとも美味いうどんを食べさせてもらった礼にそういうことにして置く方がいいのだろう。
 何よりもこうやってあまりに見事な月を見上げているとまったくの出鱈目だとも思えなくなってくる。
 月は人を狂わせる。あるいは、月を見続けると人は獣に変化する。
 それは、月の持つ魔力が働くからではないのか。それが美しさ故なのか、月が地球から分かたれた故に生じるモノなのかは、知った事ではない。だが、その魔力を『怪異』と規定するならばこの土地に敷かれた『陣』に依って、魔力全てがこの土地に降り注ぐとは言えないだろうか。だからこそ、恐ろしいまでに満月が冴えているのだと。
 ああ、本当に酔っている。呼吸できてしまう程に濃い月光に酔っている。こんな突拍子もない事を真面目に考えてしまうのだから。けれど、それを心地よいと感じているのだから、性質が悪いというのか、なんというのか。
 まあ、気分がよいのは確か。だから、うどん屋を出た後真っ直ぐに宿には戻らず、水路に沿ってぶらぶらと当もなく歩いている。
 しかし月がこんなにも綺麗な晩だというのにうどん屋を出てから誰とも擦違わない。時間から考えれば、出歩いているほうが可笑しいとも言えるが、それでも一度も誰とも擦違わない、と言うのは明らかに変ではある。
 そういえば店を出る時に店主が妙な事を言っていた様な気もする。満月の晩には神隠しが頻発するとか、したとか。与太話の続きだと思って聞き流したが、あれはどういう意味だったのだろうか。
 旅行者だから、脅かしたとか? 在り得そうな話だ。
 思いながらも体は正直に反応する。ほんの小さな、柳の葉が擦れ合う音だと分かっていても、その方向を見てほっとする。そんなことさえ楽しく感じる。そう、現実である限りは。
 心なしか、水の流れる音が大きくなったような気がした。水路が合流でもしたのだろうか? 相変わらず、道に沿っている水路は一本だけのように見えるが。最も『霧生ヶ谷』の水路は蜘蛛の巣のように張り巡らされていて、いつの間にか地下水路と化したものも多いので、それが合流したとも考えられる。これも、店主からの受け売りなんだが。
 と。
 何か大きく、重いものが水に落ちる音がした。想像するに、人間の子供くらいか。慌てて水路を覗き込む。
 幅は自動車が楽に落ち込めるくらい、深さは多分腰ぐらいだろう。ただ、水路自体はだいぶ深い作りになっているから梅雨の時期にはもっと深くなるのかもしれない。
 揺ら揺らと水面が揺れている。想像したような人の形をした浮遊物はなく、代わりに流れを割って悠々と泳いでいくのは亀だった。相当長生きしているのだろう、甲羅が苔生している。って、普通亀の甲羅は年に一度薄皮が剥がれるんじゃなかったか? それとも、成長しきると剥けなくなるのか?
 かなり見当違いな疑問が頭の中を回り、亀の泳ぐ軌跡を追っていた視線がある一点で動かせなくなった。
 月。その映し身。
 水面は漣に揺らめき、流れる水と岩とがぶつかって生まれた波紋に波打っている。なのに、金色の真円は歪みもせずにそこにある。まるでぽっかりとそこに金色の深淵があるみたいに。
あるいはそれも正解なのかもしれない。
 月は、冥府への入り口なのだという。空という闇の中に開いた金色の孔だ。ならそれが揺らぐはずはない。
 そして。
 御伽噺で、月が欲しいと泣いた子供に父親はどうしたか。桶に水を汲み、その水面に月を映してみせた。
 似た形をしたものはその性質も似る、とは何で習ったんだったか。思い出せないが、確かにその通りだ。形を同じくするものは、本質的にも同じだ。即ち、今空にある月も、水面に落ちる月も同じもの。故に、そこにあるのは金色の深淵。
 ああ、これは妄想だ。きっと、月の光を浴び過ぎたに違いない。月光は人を狂わせる。だから、月の光の届かない場所に行かないと。そしたらきっと目が覚める。まともに戻る。
 なのにどうして体は言う事を聞かないのか。それどころか、踏み出したくもない一歩を踏み出し水路に頭から落ちた。意外なほど静かに、トプンと水の膜を破り、たかだか腰までしかないはずの水に全身飲み込まれた。水を掻く手は異常に重く、叫びは泡となって消えていく。人の体は水に浮く筈なのに、どんどんどんどん沈んでいく。その先には水面を通り蒼く変色した月光に照らされた丸い月。
 金色が、近付いて来る。
 水底に鎮座した満月が。
 ゆっくりと。
 ゆっくりと。

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