シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

二月半ばの蝗三十五

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二月半ばの蝗三十五 作者:清水光

「バレンタインだよ、蝗君! 乙女仕様な特製チョコレートを、ひとっぱしりリサーチしてきてくれたまえ」
 いつもながらの昼前出勤。それが日常とくれば、最早遅刻ではない。
 俺の名は蝗三十五。奇妙な名前だと、十分承知している。
 これ以上ないくらいの零細雑誌、月刊霧生ヶ谷万歳。そこの記者兼編集者をやっている。やらされているともいえる。行動に変化がないのなら、どっちだっていいことだ。
 月刊霧生ヶ谷万歳編集部。そう表札に書かれた扉を開ければ、両側にごちゃごちゃと物品が重なった狭苦しい空間に、毎度でくわす羽目になる。
 編集部のメンバーは三人きり。まず俺。経理に構成その他諸々をこなし、霧生ヶ谷万歳の低空飛行をなんとか支えるブレーン、鳥ちゃん。あと一人で何をやっているんだか、窮屈な部屋の奥底で、備え付けの家具みたいに今もどっしり構えている、編集部の主たるカンフル編集長。
 名ばかりでっぷり中年編集長がやっていることがあるとすれば、部に顔を出したばかりの俺をとっつかまえて、無理難題をふっかけるけることぐらいだ。ただしそれは決して仕事ではない。むやみやたらに無差別に理不尽に、はた迷惑をふりまいているだけだ。
 バレンタインということで、市内の特製チョコレートを調査してくる。まともに聞こえるかもしれない。確かにそれだけ聞けば、十分使える企画だ。けれども俺の手元にはそれをあっさりと突き崩す事実がある。
「今日は二月十五日です」
 簡単に言ってしまえば、バレンタインの次の日。チョコレートがあーだこーだと騒ぎまくったのは、昨日の話。今日は何の日でもない。
 流石に知らなかったということはないだろう。編集長のマンガみたいな丸顔を見れば、まさしく痛いところをつかれたというように、顔をしかめている。
 わかっていたのだったら、いったいなんだってまた、そんなことをいいだしたんだ?
 特集記事を組むとしたら、二月頭に発売の号に載せるか、あるいはバレンタイン当日に各所をまわっていって、次の号に掲載するか、そのどちらかになるだろう。バレンタインを過ぎてから記事を書き始めるというのは、まずどう考えていっても首をひねらざるをえない。
 二人の間に沈黙が横たわる。編集長はうつむいて渋面を浮かべる。俺はといえば幾分手持ち無沙汰に立ち尽くす。どうもどちらもらしくない。そんなことを考えていると、バンと激しく、スチール机が響き渡った。
「いろいろと事情があるんだよ! いいから外でチョコレートのことを調べて来い。んでいつもどおり夕方には帰って来いよ。ずばばはははーんと、一発ぶっちぎってやろうじゃないか、ぎゃはははははは」
 どこか狂騒的ともいえる笑い声に背中を押されて、俺は街へと飛び出した。
「それはまたなんか妙な話だなあ」
 こじんまりとしてさびれた店内には、薄く蒸気が漂う。カウンターの向うでは、ダンディに髭をはやした店主が、ザルとサイバシを構えている。
 銀河系一霧生ヶ谷饂飩。突飛な店名に惹かれてから、今では週に二三度は昼食をとる、馴染みの店となっている。店主とも世間話を交わす仲だ。
「にしても二月十五日に、どこぞでバレンタイン特製メニューなんて、やってるっていうんだよ」
「それについては、ワタリニフネって言葉を知ってるかい?」
 うどんがゆだるのを待ちながらの俺の呟き声を、店主が拾いあげた。そして意外ともいえる答えを返してくる。ワタリニフネ、渡りに船、勿論知っている。ちょっと状況を疑いたくなるぐらいに、都合がいいことだ。
「なんとうちでは今日、バレンタイン特別メニューを始めました!」
 もう一つの意味は、幸運というものはいつでもどこでもふりかかってくるもので、それをいかにつかめるかというのが、人生の勝ち負けの重要な分岐点となる、ということ。特に俺のような日ごろの行いがいい人間については、チャンスはじゃんじゃんふってくるものだ。
 結論、渡りに船には乗っておけ。
 そいつをひとつ頼むと言うまでもなく、俺の前にはその特別メニューというのがぽんと置かれる。常連客と店主との呼吸の間。
 ぱっと見たところは普通の饂飩だ。何が特別だってんだろう? 割り箸をつっこんで、容赦なくずずずっとすすりあげる。そこで俺は硬直した。
「言いたいことが一つだけかある」
「なんだい? 賞賛の言葉なら一つといわず、いくらでも聞く準備ができてるよ」
「チョコレートはうどんに入れるもんじゃねえよ!」
 店内に声を響き渡らせる、俺の口の中は依然として、ねっとりとした甘ったるさが渦巻いている。やけに黒い出し汁だと思ったら、それはすべて溶けたチョコレート。ホットチョコレートというのだろうか、そいつの中を白いうどんがうにょうにょと泳いでいる。くわえてモロモロの天ぷら。一緒に食べると、モロモロ、衣、うどん、チョコレート、それらすべてが口内で交じり合い、鳴り響き、ハーモニーをかなで、それはまさに味覚の奇跡、天は大地に使徒を送り出したのだ――激しく不味い。
「いやさ、多分そうだろうと思ってたんだけどねえ」
「だったらこんなもん作るなよ」
「盛大に余ってしまって、一人じゃ食べ切れないんだよう」
 ひょいと取り出した紙袋を、店主はカウンターの上でひっくりかえす。でるわでるわ、チョコレートが入っていると思われる包みが、あっという間に山となる。うずたかく重なって、カウンターの向うが見えなくなるほど。
 姿を隠した店主は、いやはやまいったよとかなんとか、言っている。不平等? そうだ人類は不平等にできているんだ、チクショウ。俺なんて、俺なんて、俺なんて!
 そんなにうどん屋がいいんなら、そんならもうみんな一生天かす食ってろ。それかネギとか七味唐辛子とかそういうのを、バレンタインにプレゼントする制度にすればいいだろうが。
「そんなわけだから、際限なくサービスするからよ、遠慮なく食べてってくれい」
 半ば呆然とする俺を尻目に、店主はお碗の中にチョコチップをざらざらとふりかける。気づいた頃にはうどんの上に、こんもりと山を作っていた。逃れようのないさだめを悟った。
「食ったさ、食ってやったさ。途中からもう味とかなんもわからないし、どころか口の中がしびれてくるし、頭ももうろうとしてくるし。うどんと入り混じってどろどろで、ネギも混じってて、途中でさらにおまけだよとかいって、海老天やらさつまあげやら掻き揚げやらとろろやら、挙句の果てにカレーまでかけてきやがった。あれはうどん屋か、うどん屋なのか? そもそもうどんってなんなんだ! テロか? あーもうなんだあれだよ、二度とチョコレートなんか食いたくない、見たくもないって話だよ」
「そうですか、わかりました」
 夕暮れすぎに疲労困憊で編集部に帰り着くと、鳥ちゃんが一人でこつこつと次号のレイアウトを考えていた。一部始終を一気呵成に語りつくす。それでいくらか口の中の甘みが吹き飛んだかといえば、そんなこともない。
 今もって脳ミソまでチョコレートで染め付けられている。体中を流れている血液も、多分チョコレートで置き換わっている。ぐったりと俺は回転椅子に雪崩れ込む。もう今日は何をする気にもなれなかった。
 脳内ではぐるぐるねりねりと、世界が戦争に満ちているわけとか、殺人者がどうやっても減らない理由とか、人はなぜ自殺せずにはおれないのかとか、原子爆弾の効率的な作り方とか、まっさらなCDを百枚叩き割る夢であるとか、チェンソーの改良すべき点だとか、ファスナーを長持ちさせるちょっとしたコツとか、外の光を入れないためのカーテンじゃないじゃらじゃらと下げるあれはなんという名前だったかとか、チョコレートとか、チョコレートとか、チョコレートのこととか、中毒的に思考が巡っていた。
 ぱりっと軽快な音が鳴った。俺は反射的に顔を上げる。
 鳥ちゃんが茶色い板状のものを食べていた。どことなくいびつな形をしている。多分あれは――なんだろう。なんでまたこれみがよしにそんなものを食べているというのだろう?
「えーと、それはそのあれだよな?」
「はい。必要ないということなので、処分しています」
 必要ない?
 何の話をしているんだ。目的語は恐らくチョコレートだ。目の前で今も刻々と消えていってるのはチョコレート、だったら必要がないのもチョコレートになる。必要ないの前には主語がやってくるはず。ということなので――その言い回し。鳥ちゃんがチョコレートを必要としていないのではない。誰か、別の人間? 誰が?
 俺か。
 俺、すなわち蝗三十五が、チョコレートをまったく必要としていないので、彼女はその必要とされていないチョコレートを処分と称して食べている、と。
 それで正解だ。だったらどうなる?
 体中にまとわりついていた甘ったるいオーラが、ひといきに吹っ飛んでいた。
「立った今から、ワタクシはチョコレートの不足を宣言します。種類問わず、あらゆるチョコレートが充足していません。早急にチョコレートの補給が必要です!」
「そうですか、わかりました」
 さきほどとまったく一言一句同じセリフを、鳥ちゃんはつぶやいた。彼女の口もとは微かに笑みを浮かべていたような気がする。実際にどうかは知れない。ただそんな気がした。
 チョコレートはゆるい孤を描いて、机と机の間を飛んだ。その軌跡を俺は静かに眺める。不器用な彼女のバレンタインは、一日遅れにやってくる――。

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