シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

連載:迷子の猫又さん3

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  少し、昔話をしよう。

 わたしは物心がついたときから「そこ」にいた。「そこ」はわたしが育ち、過ごした庭のようなものだった。そのときの「そこ」は真新しい木のにおいがしていたものだ。
 わたしの世話をしていたのはどこにでもいるような――まあ、他と比べたことがないのでわからないのだが――穏やかで仲の良い老夫婦であった。餌をくれるときは夫婦で交替だったし、風呂には銭湯とやらへ一緒に出掛けていた。二人ともわたしの身体を撫でるのが好きだったらしく、互いに膝に乗せては撫でていた。わたしはくすぐったいと文句を言ったこともある。だが、どうもその老夫婦には意味のない抗議だったようでな。何度言ってもわかってくれそうにない。仕方ないので早々にわたしは折れた。無闇に暴れても疲れるだけであったし、それにまあ、日向で共にのんびりしているのもそう悪いものではなかったんだ。日向と言っても他の猫たちが話していたような縁側というものでなく、単なる部屋の窓際だったわけだが。
 他の猫との交流もあった。今思えば、「そこ」は案外賑やかな場所だったわけだ。野良も餌をくすねるためにこっそり潜んでいたのだろう。
 そういえば、わたしの背を撫でながら――本当は喉を撫でてほしかったのだが――ああ、喉を舐めるわけにはいかないもんで時に痒くなるんだ――……何の話だったか。うむ? ああ、そうか。そうだったな。そう、日向ぼっこをしているときに老夫婦はにこにこと話しかけてきた。「あんたも喋れたら良いのにねぇ」と、な。なぜかそれはよく覚えている。そのときのわたしは、何を馬鹿なことを、と思っていたのだが。
 他の猫たちも笑っていたものだ。「そりゃ化け物じゃねぇのかい」「でもこの土地なら……なぁ?」「ありえなくもないってか」と。
 ただ……まあ、なんだ。もし、本当に話すことが出来ていたなら。それも一興だろうと思ったのも事実だった。だってそうだろう。そうすればわたしは伝えることが出来るわけだ、「そこはただくすぐったいだけだからやめてくれ」と。今のわたしを見て、彼らがどう反応するかは定かでないが……。


「ってことは、シロって昔から喋れたわけじゃねーの?」
 ふんふんと相槌を打っていた大樹は、シロが一息ついたところで首を傾げた。シロは「無論」と肯定を示す。
“猫又は猫が歳を経て変化した妖怪だそうだ”
“自分のことなのに曖昧だな”
“気づいたら今の身になっていたものでな。後で周りから得た知識だ”
 なかなか大雑把なものである。
 現在、西区。無事にバスを降り、着いた地を見渡してから、話はいとも簡単な方へと転がっていた。どうもこの時点でシロには見覚えのある景色が続いているらしく、徐々に記憶が刺激されてきたのか、今では身の上話を語りながらシロが先陣を切って歩いているのだ。これはもはや迷子ではない。やや拍子抜けだ。
 しかしここで「ハイさようなら」では大樹もクロも納得出来ず、すっきりしない。こうなったらと、話し合ったわけでもないのに一人と一匹は自然と最後までシロについていくことを決意していた。意地でもある。
「それにしてもいい飼い主だな!」
“ああ。それは自慢出来る”
 シロのヒゲがピンと伸びた。尻尾がきれいに直立している。どことなく誇らしげだ。へえ、と呟いたクロがやや身を乗り出した。
“俺のところもなかなかだぞ。店は繁盛してきているし、家の方も……ただゴッフには勝てないが……いつかは俺の時代が来る!”
「ゴッフ? それもネコかっ?」
“ああ、女とはいえ見上げた根性でな。しかもすごい狩りの腕前をしてやがる”
「へえー! 見たい! な、じゃあゴッフもネコ鍋隊に入れようぜ!」
“あいつはそんなものに興味ないと思うぞ……? まあ、一応伝えるくらいはしてやってもいいけど……”
“そもそもネコ鍋隊とは何をする集団なのだ。わたしの家を探してくれと頼んだが、見つかったその後はどうする”
「んー。名前にちなんで鍋に入ってみるか? ――うっわ可愛い! そのときはやっぱカメラだな♪」
“って大樹、おまえも一応メンバーなんじゃ? 大樹も入るのか?”
「オレが入れるような大きさの鍋はないだろー?」
“あったら入る気か、オイ”
 ――どこまでも気の抜けた会話をしている内に、日は徐々に暮れ始めていた。地を這う影が長く伸びている。恐らくこの中で「あまり遅くなるといけないだろうな」と真面目に考えているのはクロだけだ。大樹は何も考えていないし、猫又のシロはむしろ夜に心配などいらないだろう。このメンバーでは奇しくもクロが保護者の役割に置かれてしまうらしい。
“……ここだ”
 クロの心配が帯び始めた頃、ようやくシロはその足を止めた。大樹も足を止め、眼前の建物を見やる。それは二階建てのアパートだった。特徴を挙げてみるなら、
「うっ」
 ものすごく、ボロイ。持ち合わせている言葉の少ない大樹ではどう謙虚に表現しても「ボロイ」。むしろボロイと称することすら謙虚すぎると思えるほどに、ボロイ。
「な……ぅえ、ええ、えええっ」
“大樹、言語を話せ”
「だって! 崩れてきそうだぜ!? 襲ってきそうだぜ!?」
“構造計算書偽造問題には発展していないようだし大丈夫だろう”
「こうぞっ……? え?」
 知らない呪文を聞いたようで大樹は面食らった。だが、シロは気にせず先へ進んでいく。クロもやや躊躇しながらその後に続いた。大樹は慌てて追う。
“俺から見ても異常だぞ。本当にここか?”
“間違いない”
 きっぱりと断言したシロは、小さく「当初はここまでひどくなかったがな」と付け加えた。
 大樹は異様な空気を放つその建物が落ち着かず、そわそわと周りを見やる。看板を見たところ「菜に花荘」とあった。それがこのアパートの名前らしい。木造建築で、言われてみればシロの話でも木の匂いがしていたとあったような。
“ここだ。二号室”
「よくこんなとこにじーちゃんばーちゃんが住めるなぁ」
“言ったろう、わたしが幼いときはまだ建ったばかりで真新しかったんだ”
「何かそーゆう次元じゃねーもん、これ」
 まだ部屋に入っていないが中は狭そうだ。階段の横にトイレらしきものがあったので、それを考えると部屋の中にトイレはないのかもしれない。珍しくマトモかつ自然な洞察をした大樹は、一瞬置き、改めてその洞察内容に「うわぁ」と低く呻いた。無理だ。無理すぎる。いくら何でもこれは夜中にトイレなど行けるはずがない。暗い中この不気味な廊下を通ってトイレに行くなんて、それだけでドッキリ肝試しが完成されていて付け入る隙がない。
“ふむ……ああ、そういえば”
 シロがぽつりと呟く。
 が。
「うぁ!」
 大樹の短い悲鳴に掻き消された。クロが驚いたように跳ねて駆けてくる。
“どうした?”
「鍵。かかってる」
 むぅと眉を寄せ、ドアノブを捻る。ガチャガチャと耳障りな音がするだけで回ることはなかった。インターホンもないので仕方なくドアを叩いてみるが、それも反応がない。とはいえここまで来て引き返すわけにもいかない。次第にやり場のない怒りに近い感情が込み上げてきて、気づけば全力でドアを叩くことになっていた。
「もしもーし! もしもしー! もしもし亀かめー! カメカメハー!!」
“何かさ、色々混じろうとして結局混じりきれてなくないか、それ”
「もしもーし!!」
「うるさいわねっ!!!」
 唐突に轟音が襲い、――ドアが蹴破られた。
 しかし蹴破られたのは大樹が叩いていたドアではない。かといって隣近辺のものでもなかった。蹴破られたのは二階である。なぜ一階にいる大樹がそれを知ることが出来たのかといえば、
 振り向いた先にドアが落ちてきたからである。
 ――ん?
“な、なんちゅー……地面に刺さってやがる”
 物理法則としてあっていいことなのだろうか。大樹には判断が出来ない。
「ちょっと! さっきから何なのよ!!」
「え、ええっと」
 埃を立てながら走ってきた影。落ちてきたドアに目が釘付けになっていたが、気づけばソレが眼前で仁王立ちしていた。大樹はとっさに言葉が出てこない。仁王立ちをしているのは二十代半ばの女性だ。黒髪が肩の辺りで切りそろえられている。轟音前の怒鳴り声と同じ声からして、恐らく彼女がドアを蹴破った張本人だろう。決して太っているわけではなく、むしろ細身に部類するであろうに、一体どこにそんな力があるというのか。
 ドア、蹴られたところがべっこり凹んでるし……。
 唖然としていると、女性は高らかに叫んだ。
「私は眠いのよ!!」
「お、おう?」
「だから寝ていたのよ!!」
「? うん」
 自然の原理だ。
「その睡眠を妨げる権利は何人にもないはずだわっ!!」
 やけにテンションが高いが、言い放たれた言葉の中身はそれほどカッコイイものではない。確かにうるさくしていた大樹に非はあるものの。
「そして寝る子は育つのよ!!」
「あ、オレもそう思う!」
「あら? なんだ、いい子じゃない!」
 一転、大樹の言葉に瞬いた女性はにこりと笑った。それでもやはりテンションは衰えない。
 彼女はぐっと拳を握る。それをなぜか高々と突き上げる。
「そうよね!? 睡眠は大事よね!」
「おうっ」
「だから睡眠を妨害する奴はとっちめなきゃいけないわっ! いざ! 覚悟っ!!」
「ちょ、えええええ!?」
「わ、暮香さぁん! 待ってください、相手はまだ子どもじゃないですかーっ!」
 突然もう一人、女性が横から割って入ってきた。涙目で必死に手を振り回している。それに合わせて彼女の栗色のポニーテールが激しく揺れていた。見ていた大樹は、自分と同い年くらいだろうかと勝手に判断する。相手と比べて随分小柄なので、一見すると彼女が黒髪の女性にいじめられているようだ。
 要するに怖い。
「璃衣子! 人生とは殺るか殺られるかよ!」
「そんな殺伐とした人生嫌ですよぅ!」
「今がその分岐点だわ!!」
「早まりすぎですよぅ!」
「一人殺せば殺人者だが万人殺せば英雄よ!」
「あくまでも殺す気なんですかぁ?」
「私は神になる!!」
「それじゃ全滅させなきゃいけないじゃないですか~」
 どんどんおかしな方向へ会話が流れていく。その横でシロが目を細め、「チャップリンとジャン・ロスタンだったか」と呟いていた。この猫は大樹よりも確実に博識すぎる。
 全滅させたら神というが、そもそも自分以外が全滅したら結局自分も生きていけないのに、と大樹は首を傾げた。というのも、大樹は家事が滅法出来ない。春樹がいなければ簡単に飢える自信がある。
「そもそも一人は嫌だよなぁ?」
“俺に聞くなよ”
“流れからしてそこまで深く考えての発言ではなかろう”
 そういうものだろうか。
 そうこうしている内に「とにかく!」と暮香と呼ばれていた女性が叫んだ。びしっと指を突きつけてくる。
「何であんなにうるさくしていたのか、私には知る権利があるわっ!」
 いつの間にか話はきちんと戻っていたらしい。
「何でって……あ、ここの部屋に用があって! だけど反応がなくて」
「ここに用……ですか?」
 璃衣子と呼ばれていた方は瞬き、小首を傾げた。大樹はうなずく。ついでにシロとクロもうなずいた。璃衣子が猫たちに気づき表情を緩めるが、
「それなら話は簡単よ!!」
 キンキンと暮香が叫ぶものだから飛び跳ねた。
「簡単?」
「そうよ! 要するに中に入れればいいんでしょ?」
「そーだけど……だって鍵かかってるぜ?」
「こうすればいいのよっ!!」
 暮香はズカズカとその部屋に近づき、ドアノブを引っつかんだ。ふんっ! という掛け声と共に思い切り捻る。大樹では半分もいかずに止まっていたドアノブは、何かに怯えたようにぐるんと勢い良く回転した。ついでにゴギャッと、何が起こったのか想像しにくい音がする。その後ぎぃ、と微かな軋み。
 ――え。
 開いた。確かに、開いた。
 唖然とする一同。その中で唯一誇らしげに額の汗を拭う暮香。
「ふうっ。鍵荒らしの暮香ちゃんにかかればチョロイもんだわ!」
 ものすごく物騒な異名だ。
「く、暮香さん! 何てこと……!」
「うっわー! 姉ちゃんすっげー!」
「え、ええ!? いいんですかぁ!?」
「ふ、トーゼンだわっ!」
 腰に手を当てる暮香だが、璃衣子はオロオロするばかり。もう泣きそうになっている。
「自分のところのドアも壊しちゃったのに、他所のまで壊しちゃってどうするんですかぁ~」
「そうだ、壊れちゃったのよね! 直してもらわないと! 璃衣子、電話よっ! 『建てつけが悪いから壊れちゃったじゃない』って文句言わないと!」
「暮香さんが蹴ったから壊れたのに、それじゃボッタクリですよぅ。それに凹んでるのはどう説明するんですかぁ~」
「弱いドアが悪いに決まってるじゃない!」
「そんなぁ。あ、ちょっと、引っ張らないでぇ~」
 甲高い声と泣き声がどんどん遠ざかっていく。離れたところから璃衣子の「騒いじゃってごめんな……」までは何とか大樹の耳に届いた。恐らく「ごめんなさい」と謝りたかったのだろう。璃衣子という女性は何もしていないというのに。

 * * *

「暮香さん、いいんですかぁ?」
「何が?」
「あの子たち、二号室に用があるって言ってましたけど……今、二号室って空き部屋じゃないですかぁ。しかも人が来ないから管理人さんが面倒になって……ええと」
「ああ、倉庫と化してるって話ね! そういえばそんな話もした気がするわ!」
「それなのにドア壊してまで入れちゃって……」
「空き部屋に用事があってもおかしくないじゃない! ノープロブレムよっ!」
「どんな用事ですかぁ……。あと」
「何よ、まだあるの!?」
「修理のために電話しなきゃいけないのに、何で私たち走ってるんですかぁ?」
「……そこに地面があるからよ!!」

 * * *

 しばらくボーゼンと見送っていた大樹は、完璧にあの二人の姿が消えてから我に返った。まるで嵐だ。突然やって来て唐突に去ってしまった。
「何だったんだろーな?」
“さぁ……”
“この土地には不思議な奴が多いものだ”
 それで済むのか疑問だが、猫又のシロに言われてしまえば奇妙な説得力がある。
 だが、表情を曇らせたシロは低く呻いた。
“とはいえ、大樹を大人しいと感じさせてしまう輩がいるとは。恐ろしい”
“あ、それは俺も思ったぜ”
「何でだよ。オレ、あんな風に騒がしくなんてないぜ」
 頬を膨らませて抗議するが、猫たちは受け付けてくれなかった。大樹は渋々部屋に踏み入る。不法侵入という言葉は最後まで浮かんでこなかった。そもそも大樹は知らないのかもしれない。
 ふと気になってドアノブを見てみたが決して壊れてはいなかった。外れてもいないし、中から閉めてみればきちんと鍵も閉まる。――本当に何をどうやったらこうなるのか不思議で仕方ない。
「ていうか……」
 靴を脱いで中に入った大樹は目を丸くした。部屋というより倉庫だ。家具やらダンボール箱やらが無造作に置かれている。ただでさえ狭いのにますます暗く、人気も生活感もないその部屋は不気味に思えて仕方ない。
「うーん?」
“そういえば……”
 シロはしずしずと中に歩み寄り、呟きを漏らした。それは先ほど、鍵がかかっていたと知る前に言おうとしていた言葉。結局暮香たちの騒ぎで先延ばしされていた言葉。
“ここは度々、「出た」ことがあったな”
「へっ?」
 言葉の意味を測りかねて振り返った瞬間、周りの物が激しく振動し始めた。

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