シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

ヘクセン・ケッセル

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ヘクセン・ケッセル:しょう

「闇鍋をしよう」と馬鹿の一人がのたまった。この場合は、天野兄弟(弟)こと天野暗夜を指す。で、当然のように「やろうやろう」と同調するのが上月で、弟のいう事ならば大概は否定しない天野兄弟(兄)こと天野光輝は言うまでもなく「了承」と賛成側に回った。この時点で既に過半数を突破していて闇鍋決行はほぼ確定事項なのだが、久遠寺に一縷の望みを託したのは、料理馬鹿のコイツが歯止め役になってくれるのを期待したからだ。だというのに久遠寺の野郎、「よし、やろう」と即断即決しやがった。他の三人にとっても意外だったらしく、俺の「止めろよ。食い物への冒涜だとは思わねぇのかよ」の突っ込みに何の異論も挟まなかった。
「思う」
 なら止めろよ、と言って聞くような連中じゃないんだが……。
「思うのだが……」
 それはどっちの意味でだ?
「こんな機会でもないと口にする事もないだろうしな。良い経験になるだろう」
 料理馬鹿絶賛発動中だった。
 こうなると止まらない止められない。歯止め役どころか、コイツから率先して出鱈目な事をやりかねない。
「石動。そういえば美食の行き着く先はゲテモノ食いだというぞ……」
 ボソボソッと背後で喋るな光輝。本気で怖いから。
「それから……」
 無視かよっ。
「ゲテモノ食いのハイエンドは……」
 知っているよ。もしそうなったら、腹減らした時の久遠寺の傍には絶対に近づかないようにしないとな。コイツ大喰らいだから俺たち四人ぐらいペロッといっちまうぞ。と言う訳で、闇鍋決行決定となった。
 憂鬱だ。
「みんな手出してー」
 具材を買いに近所のスーパーに行くかというところで、暗夜がポケットから紙切れを出して配り始めた。A6版くらいの大きさで見出しにデカデカと『闇鍋の心得』とあった。因みに手書きだ。一体何時書いた。
 全部で四項目ある。
 一つ。参加者は一人一品づつ食材を持ち寄るべし。
 一つ。人間の食べられないモノ。飴、グミなどの汁に溶け込むものは禁止とする。
 一つ。食材が分からぬように、薄闇の中で調理するべし。
 一つ。一度箸をつけた食材は必ず完食するべし。
 ……訂正。裏にもう一つあった。
 一つ。死して屍拾うものなし!!
 ……なんでこんなにノリノリなんだよ。
「規約だと一人一品だけど五人しかいないから一人二品にしようか。司はいいから、代わりに場所と鍋を用意してよ」
「それでいいなら俺の方は構わないけどな。まあ、締めのウドンか飯は提供するよ。それよかどうすんだ? なんか色々書いてあるけど」
「勿論厳守だよー。規約だもの」
 だから上月、これは一体どこのどういう規約だ? なにか、全日本闇鍋連合会とかあるってのか? あったら泣くぞ、俺は。
「一応ルールだからね。守ったほうが楽しいし、命に関わるような馬鹿はしなくてすむし。んー、一時間後に司の家に集合ってことで。それから下拵えが必要なものは全部鍋に入れたらOKなようにしとくように。司は鍋火にかけてお湯沸しといてよ」
「ダシはどうすんだ? 適当に用意しとくんで良いか」
「いいのがあるから僕作るよ」
「なら、修よろしく。ポン酢なんかは司お願いしていいかな」
「別にかまわねぇよ」
 食えるものが出てくるならな。色々微妙に不安なんだけどさ。
「暗夜。何にする?」
「秘密に決まってるだろ。何が出て来るかわからないから楽しいんだし。ネタばらしは厳禁だよ。兄貴だって映画のネタバレは嫌だろ」
「肯定。なら別々に買い出しに行くか」
「そうだね。家でも会わないように時間きめとこうか」
「冷蔵庫に確か……あれがあったな」
 何気に凄く乗り気じゃないか? 久遠寺よ。
「なにがいいかなー。鰐ジャーキーが良いかな? それともスイロカガチの一夜干が良いかな? ねぇつかちゃん」
「俺に聞くなってか、規約で秘密にせにゃならんのじゃなかったのか?」
「あ! そうだった。じゃあ、さっきの忘れてね」
 わすらいでか、上月。
「さっき言ったゲテモノを持ってこないって約束するんなら忘れてやるよ」
「はーい」
 本当に持ってこないんだろうな。せめて鍋に入れて煮込んでも問題のないモノにしてくれよ。頼むから……。色々聞こえる独り言やら二人言を聞いていると無茶苦茶不安になるんだが? 鍋以外の食い物用意した方がいいような気がして来た。
「時間厳守でよろしくー」
 暗夜の陽気極まりない掛け声でそれぞれ思い思いの方向へ散っていく。さて、俺も準備に戻りますか。

 家に戻ると物置に使っている部屋から鍋とカセットコンロを持ってくる。年末挟んでいつもの面子で鍋ばかりやっていたから探すまでもなく見つかった。というか、そろそろ仕舞うつもりでこの間手入れをしたばかりだったりする。まさか闇鍋なんぞをやる破目になるとはなぁ。カートリッジに十分ガスが残っているのを確認して、一応予備のカートリッジも用意しておく。一本で三時間は火が付きっぱなしになるから鍋やっている間は大丈夫だろう。いくら闇鍋だからって長時間に渡るってことはないだろうと、実に甘い事を考えながら。
 続いて、米研いで炊飯器に放り込むと、小鉢や箸を準備する。全員分きっちり揃っている辺り、問題が在るような気がしなくもないが、今は俺しか住んでいなくて場所は色々余っているから別にいいかとも思う。一通り準備を終えると、冷蔵庫を覗いてみる。パパッと作れるものというと炒め物くらいしか出来そうにない。鍋を食べないって言うんならもう少し選択肢は増えるんだが。まあ、仮に作ったとしてもそのまま鍋に投入されるのがオチなような気がするので、断念する事にする。絶対にないと言いきれないのがなぁ、なんとも不安なんだよなぁ。うっかり視界に入れてしまった
 冷凍庫の中の白いワニの尾の肉は無論見なかった事にする。渡されたっきり忘れてた。久遠寺にでもやるか。当然鍋が終わってからな。最中だと投入決定しそうなのが二人ばかりいるし。
「つかちゃーん」
 こういうのを、噂をすれば影というのか、なんと言うのか。
「早かったな。上がってくれ」
 冷蔵庫を覗いたまま返事だけする。本当に早かったな、まだあと二十分位あるんだが。まあ、ダシ持ってくるとか言ってたしそれでだろう。
 ポン酢とゴマダレと他に何か使えそうなものがないかと続けて棚を漁り、この間の飲み会で残った日本酒が出てきたんで、持っていくかどうかを考える。持って行くとなるとツマミも欲しいしな。今思えば、そんな悠長な事をしていないで、とっとと上月を見張っているべきだったな。相手は上月だ。こういう奴なのか本当によく知っていた筈なんだから。
 一口大に海苔を切っていると、「よいしょ……、投入ー」そんな声が聞こえた。続いてシュワシュワという音も聞こえたような気がした。フライパンで油を熱していたから聞き間違いかもしれないが。
 続けて「点火ー」
 どうして砂糖を煮込んでいるような甘ったるい匂いが漂い出すんだろうな。
 猛烈にし始めた嫌な予感に、塩コショウで味付けをしていた海苔の入ったフライパンの手を止める。
 ますますハッキリしてくる甘い、そして僅かにスパイシーな香りが混じっている。
「上月ー、一体何してやがるっ」
 闇鍋会場になる予定の部屋に駆け込む。はたしてテーブル代わりのコタツの上では、黒というには薄く、こげ茶というには黒が強い液体が土鍋の中で泡立っていた。
「つかちゃん? どうしたの」
「なあ、上月これは一体何事だ?」もの凄く甘い匂いが立ち込めてるんだが。
「ダシだよ?」
 不思議そうに首を傾げるな。似合っちゃいるけどかわいかねぇ。それから、そこに転がっているコーラのペットボトルはなんなんだろうな。まさか一人で飲みきったて訳じゃないだろ、二リットルも。
「知らない? 肉じゃがに使うと美味しくなるんだよ」
 らしいな。入っている香辛料が良い味付けになるのと、炭酸で肉が程よく柔らかくなるんだったか。砂糖は……、実際問題普通に作っても同じくらいは使うな。
「だからって鍋に入れるな。幾ら闇鍋だっつてもダシくらいは普通にしてくれ」
「えーーー」
 えーー、じゃない。捨てるぞ、普通に湯沸かして昆布か、モロ節でダシ取り直そう。それくらいに時間は、あると思ったんだ。実際集合時間にまでまだ間があったしな。それが、どうして、こういう時ばかり図ったように、集合時間より早く全員が揃うかね。なあ、お前らよ。
「そんな事言われてもねぇ。楽しい事は待ちきれないんだよ」
「同意」
「一応手伝えることでもないかと思ってな」
 暗夜と光輝は縁側で正座してろ。
 久遠寺は手伝ってくれ、ダシの取り直しだ。
「それならいいものがあるぞ」
 久遠寺が一升瓶に入った黒い液体を揺らす。
「コーラなら間に合ってるからな……。それ、醤油か?」
「ものるだ。自家製のな」
『ものる』。モロモロから作る所謂魚醤の一種だ。元々は『モロモロの汁』と言われていたらしいが、それがだんだん短くなって『ものる』になったらしい。因みにモロモロの汁→もろのしる→ものしる→ものる、だそうだ。
 モロモロの旨味が凝縮されていて、煮物、鍋物、炊き込みご飯などによくあう。反面旨味が強すぎるので、素材の味を生かす料理には不向きではあるが。かつては、一軒一軒に自家製のものるがあり、それぞれ特徴のある家庭の味となっていたらしい。そういう訳でもろるを作っている製造業者もそれぞれに特徴のあるもろるを生産していて、自家製ものるが少なくなった今ではそれぞれに根強いファンがついている。久遠寺の場合は、どちらにした所で自分で作っているんだが。
「ああ、そりゃいい。ならこれ捨ててくるから――――――何いきなり『それ』に投入してるんだ!!」
「捨てるのも勿体無いだろう。折角シュウが用意してくれたのだし」
 いや、それにしたって限度ってもんがあるだろう、幾らなんでもよ。
「むう」
 むうじゃねぇっての。
「肉じゃがを作る時にはよく隠し味で使うんだがな」
「そりゃ隠し味で入れるんだろ。一升瓶の半分以上の量を入れるってのはやったことないだろうがっ」煮汁って言ってよいのかどうかわかんねぇけどよ、このコーラを!! だから、注ぐの止めろって、久遠寺。こら、上月。コンロを再点火するな。
「準備できてんじゃん。よし、電気消すよ。兄貴カーテン閉めてよ」
「了解。楽しい恐怖の始まりだ……」
 だー、勝手の始めんな。食材投入してるし、光輝も嬉しそうに呟いてないでカーテンを開けろー。
 こんな感じでなし崩し的に始まった闇鍋大会は、初めは比較的穏やかだった。と言うか、鍋が煮えていないのだから適当に食っちゃべるしかないからなんだが。そうこうしている内にも鍋の中では混沌が生成されているに違いないんだが……。なんせまともな食材を持ってきそうなのが久遠寺しかいない。上月は言うまでもなく持ってきたのが、アレの肉とかソレの切り身とか、あるいは喋るアレの残骸だったとしても俺は驚かない。非難はするけどな。
 光輝は上月に比べればまだマシと言えるか。それでも、趣味がホラー、それもB級もしくはZ級が好みというだけあって悪ふざけをする時はこう見た目がドロッとしたモノを好む傾向にある。スライムとか生の蛸とか、ゲル状のもの一般か……。
 流石に煮込むと解けたり固まったりするから今回はないと思うが。……大丈夫だろうな? 信じてるぞ、半分くらいは。
 で、まあ、一番の問題になりそうなのが、天野兄弟(弟)、光輝の双子の弟、暗夜なのだよなぁ。悪ふざけの合間に人生を送っていると真面目な顔をして公言しているくらいだからな。実際、何を思ったのかいきなり学校の放送室を占拠して一日中ジャズを流したとか、研究室棟にある地下の空き部屋に『趣味の殿堂』と称してカジノを開業したこともあったな。表向きは速攻潰れたが、実は月に何日か復活営業しているらしい。他にも事前に握り潰したとか数えだすと両手の指じゃ足りないな。よく退学にならないよなぁと思うが、教授連中にコネがあるとかで大目に見てもらっているとかなんとか。カジノの常連に家のゼミの教授がいるって時点で何をや言わんなんだが。まあ、他人に致命的な迷惑をかけるようなことをやらかしていないからってのもあるんだろう。正直今は全く何の慰めにもならないんだが。仲間内なんで確実にストッパー掛かっていないだろうしな。
 で、なんでお前ら酒盛りしてるんだ? 開けてねぇ酒瓶まで持ち出して!
「おいしいよ?」
「美味」
「え? 初めから出すつもりだったんだろ。準備してあったし」
「そうだけどな」
「なら問題ないし。ツカちゃんも一献」
 一言断れって言ってるんだけどな。聞けよ。
「中々美味いぞこのつまみ」
 あーそうかい。それはありがとうな、久遠寺。ある意味いつも通りな感じにぼちぼちグラスを傾けながら、鍋が煮えるのを待つ。言い方を変えると、死刑執行時間を待っている最後の晩餐って感じか?
「アオちゃん元気?」
「は?」
「だからアオちゃん」
「そうそう聞きたかったんだ。蒼井さんとどうなってるの? 全然戻ってこないけど」
「この間顔見せに来たよ。用があるからってすぐ帰ったけどな。まったく何しに来たんだか」
「瞭然。分からない方がおかしい」
 あん、一言も相談なしによその院行っちまったのはアオイのほうだぞ。
「ツカちゃん鈍いから……」
「だよなぁ。人のことに関しちゃ聡いのに、お約束過ぎて笑えるね」
 失礼な事抜かしてくれるな、お前ら。で、なんでそこで二人して頷くかな、暗夜、久遠寺!! 腹立つし、いい加減酔いもグルグル回りそうだったんで、鍋の蓋を開けた。……で、心底後悔した。鍋の中に文字通り混沌が存在している。黒っぽかったはずのだし汁が微妙に発光しているような気もするんですが?
「本気で食うのか、これ……」
 全員の意見を代弁したつもりだったんだけどな。
「もちろん」
「何事も経験だな」
「類似。悪魔のモロモロモンスターに出てくる無限の鍋のスープ」
 俺なんかこれ見た途端に酔いが醒めたってのに、なんでお前らそんなにテンション高いんだ? 一応、アルコールってのはダウナー系にカテゴリされるんだが?
「んじゃ、みんな箸持った? 一、二、三で一斉に取る事。迷い箸は不許可。一度掴んだものは必ず完食すること。時間無制限闇鍋デスマッチ行ってみよぉー」
 ああ、もう。なんというか突っ込みどころが多すぎてかえって突っ込む気にもならない暗夜の掛け声を合図に、全員が鍋に箸を突っ込んだ。

 その感触は、なんと言えばよいのだろう。コンニャクというには柔らかく、豆腐というには弾力がありすぎた。一番近いものとしては煮崩れかけた餅を連想したが、それとも違うようだ。力を入れすぎるとそのまま千切れてしまいそうな脆さがある。……不安だ。
 持ち上げるとずっしりとした重みがあり、慌てて小鉢に受けた。べちゃっと音がした……。俺は一体何を掴んだんだ? 不安を通り越して、笑いさえ込み上げて来るね。狂気に一歩足を突っ込んだような気分だ。無論、狂喜な狂気に肩までどころか脳天までずっぷりとつかって喜んでいるのもいるけどな。
「フニフニしてる。なんだろ」
「ああ、きっとあれだな」
「なになに」
「食べてのお楽しみだ。そういうものだろう闇鍋というのは」
 上月は久遠寺が持ってきた何かに当たったらしい。羨ましい話だね、全く。
「全員取った? よし食べようか」
「明かりは……」
「止めたほうがいいと思うよ?」
「同意、見ないほうが無難だな」
「どっちでもいいけど、面白いほうがいいなぁー」
「作法があるならそちらに従おう」
 なあ、その不安を掻き立ててくれるような発言が混じっているのはどういう訳だ。
 とにかく、賛成:一、反対:二、棄権:二で明かりはつけない。
 誰だったけか? 多数決は最悪一人を味方に付ければ必ず勝てるとか言ったのは。今の状態がまさしくそうだな。何言った所で、全く勝てる見込みも、勝算もない。
「いただきます」野郎五人に声が唱和して、後は、謎の物体Xに齧り付く。
「美味しい、なんだろ。グミ?」溶けるだろ、それ。
「多分俺の持ってきたアキレス腱だ。丁度味付け前のがあったんでな、入れてみた」
「無味。ぼそぼそして食べにくい」
「それ俺。モロニボシ百グラム」出涸らしって訳だな。
 で、俺はといえば。
「…………」
 言葉を失っていた。なんだ? これは……。舌に刺さるのは多分炭酸の刺激で、ものるとコーラのミックスされた液体に適当に放り込まれた食材から染み出た味が混じりに混じって口の中に広がるのは、甘み、苦味、辛味。ぐっと我慢して噛み切るとだだ甘の何かが溢れた。それが更に煮汁と混じって甘いんだかしょっぱいんだか苦いんだかもう訳のわからないまさしく五味の混沌を生産し始めた。比喩でもなんでもなく文字通り『マッタリとしてコクがあるはずもない』、人が口にするモノじゃない、寧ろ口にしてはいけない物体だ。
 想像していた味に対する覚悟を遥かに超越して凌駕している『味』が味覚とついでに感覚さえも支配する。圧倒的に無茶苦茶でハチャメチャな味の奔流が脳みその色々な部分をショートさせる。
 それこそ、テレビのスイッチを切るみたいに実にあっさりとあっけなく俺は意識を手放した。

 それは、闇というよりは、黒い背景という感じだった。何も見えなくて黒ではなく、丁度視界一面に暗幕が広がっていてそれ以外何も見えないとでも言うと一番近いのだろうか?
 だからまあ、それがやけにはっきりと見えたのは黒に白という対抗色だったからでもあるんだろう。そうであって欲しい。視界の端からフラフラふわふわと白い皿が未確認飛行物体よろしく飛んでくるなんて悪い冗談でしかないからな。まあ、更に上があったんだが……。
 フヨフヨ近づいてきた皿は、かなりでかかった。テッサなんかを乗せる飾り皿と言われても納得するくらいに。ただまあ、鎮座していたのは、アレだ。辛くて紅いアレ。それが何故かふんぞり返りながら「食すがよい。我が特別に許す」とのたもうた。俺は無言で皿の端を掴み、円盤投げの要領で思いっきり分投げた。「我を漬物と知っての狼藉かー」とかなんとか喚くアレと共に皿はどこかへ飛んでいった。やれやれなんなんだったんだありゃ、と一息つく間もなく今度は結構離れた所を小さな男の子と白と黒のネコがチョコンと納まった土鍋がゆっくりくるくると回りながら飛んでいくのが見えた。「ねーこーなーべー」と男の子が妙にはしゃいでいて、気のせいだろうか。二匹のネコがそれを覚めた目で見て、あまつさえ、溜息をついたような気がした。
 その後ろに、今にも溢れそうなくらいに目一杯に麻婆豆腐が入った鍋がぷかぷか浮いていた。眩暈を感じてこめかみを抑えていると、トドメとばかりに見あげるほどに巨大な寸胴鍋が現れて、おもむろに傾き始めた。そして、中からは、『キムチ大王』とでっかい名札を付けた得体の知れない何かが雪崩出てきた。

「成功。戻ってきた……」
 天井が真上に見えた。蛍光灯の明かりが眩しい。どうも派手に意識を飛ばしていたらしい。それでも時間にすると数秒といった所なんだろう。座ったまま、呑気に箸を動かしているのもいるからな。それに、口の中にえも知れぬ味が残っている。流石に、最初の方のインパクトは薄れているが……。
 で、光輝よ。その招き猫が酔っ払ったみたいなダンスモドキは?
「無論。呼び戻していた」
 ……まあ、いいけどよ。この場合礼を言うべきなのか? よっと、体を起こす。鍋の中では相変わらず混沌が渦を巻き唸っていた。一瞬全部夢だったら良かったのになぁーと思った俺が甘かった。
 不幸にも無事だった取り皿には、明るい光の下でさえよく分からない良く分からない何かがあった。黒い煮汁の中に何かの中から染み出した白色がマーブル模様を作り出している。
「なんだよ、これ」
「生クリームパン!」ワンモワプリーズ?
「だから、僕の入れた生クリームパン」入れんな、んなもん。
「なんで? 溶けないし、食べ物だよ」常識で考えろ。
「何事も経験だって」
 だったらお前が代わりに全部食べてくれ。
「いやー、俺はこのシイタケがあるし」
「いや、それはキリュウダケだぞ」
「え……」
 ポロッと箸を取り落とす暗夜。ま、確かに霧生ヶ谷のマツタケなんて呼ばれている代物が入ってたらびびるよなぁ。なんせ一本二千とか、三千とかするし。
 上月とは別の意味で、んなもん入れるなと言わせてもらうぞ、久遠寺。
 しっかし、そうすると、俺だけハズレか? と非難を込めて全員を睨みつけると久遠寺が口を開いた。
「俺はソコヌキだ。中々味わい深いぞ」
 これは本気で腹減らした久遠寺に近づくのは止めた方が良さそうだ。つうかな。
「誰だ。んなもん入れやがったのは」
 言いながら、なんとなく想像はついていたんだっけどな、実際にその通りだった。頭の痛い事に。
「僕だよー」
 上月やっぱりお前か。
「他には何入れやがった」
「内緒」
 …………卓袱台返しをしたくなった。被害も、その後のことも何も考えずに。久しぶりだな、本当に。最後にやらかしたのって何時だったっけか?
 それはともかく、改めて鍋の中を覗き込めば、黒ずんだ汁の中にプカプカとパンがまだ幾つか浮いていて、その間に犬神家の一族よろしく蛙の後肢が突き出ていた。後は何が入っているのか見えないが、少なくともあと三品は、下手をすると上月が余計に入れている可能性もある……、未知の物体が隠れていることだけは確かだ。本当に碌でもないぞ、この状況。
「おい、お前ら……」我ながらドスの効いた声だと思う。それでも返ってくるのが、四者四様のいつもの感じな返事ってところが泣けてくる。
「全部食い切るんだろうな?」
「とーぜん」
「ああ」
「うん」
「無論」
 ああ、本当に、こいつらは……。
「だったら、食え。順番にとか言ってたら限がねぇから、ノルマ制だ。特に、上月に暗夜。妙なもん放り込んだ責任取ってキッチリ二倍は食えよ」
 そんな感じに闇鍋は、我慢比べ鍋に切り替わり。その後どうなったかは、語るまでもないだろう。
 はっきり言えば、屍累々だ。一人を除いて。
「美味しかったね」
 どの口が言いやがるか、上月よ。

 追記:光輝は、「忠告。悪ふざけは計画的に」とか言い残してぶっ倒れたらしい。俺はもっと前に意識を飛ばしていたんで直に聞いたわけじゃないんだが。

 追記の追記:翌日涼成にばったり出会い、愚痴ったら「カレーのルーは用意しなかったんですか?」と言われた。何でもカレーの味に紛れてかなりマシなものになるらしい。なんでそんなことを知っているんだろうな、こいつは。とか思ったら「こっちにも似たようなのがいますから」という答えがかえって来た。苦労してんだな、お前も。

 追記の追記の追記:その事を暗夜に話すと「忘れてた」だそうだ。「兄貴じゃないけど『悪ふざけは計画的に』だね」と笑いやがった。反省の色は一切なかったんで、また何か企んでいるのは確かだろう。

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