ウィンズロー・アコード

ウィンズロー・アコード


ウィンズロー•アコードは南北アメリカに加え、アフリカ、ヨーロッパ、中東、アジア 、南太平洋の諸国から構成される相互防衛条約である。

ウィンズロー•アコードの調印国リストはこちらを參照。

ヨーロッパの崩壊と改革



2025年のヨーロッパ連合の崩壊後、ヨーロッパの経済は下降の一途を辿った•ヨーロッパの最貧国は多額の負債に対する支援と、切望していたエネルギー安全保障を求めて、ますますロシアに歩み寄っていった。


忠誠の対象が急速に移りゆく中、NATOは足並みを乱し始める一最終的に2028年の崩壊と 同時に、西ヨーロッパに及ぼすアメリカの影響力の大部分を受け入れた。時を同じくし て、米軍の多重弾道ミサイル防衛(BMD)システムが稼働状態に入り、冷戦の相互確証破壊(MAD)ミサイルに基づくこう着状態の微妙なバランスがついに揺らぎ始めていた。

アジアの変化する関係


苦境に陥っているのはヨーロッパ経済だけではなかった。2030年までに、世界的な輪送コ ストの上昇と3Dプリントの急速な技術進歩に伴う現地製造の増加によって、輸出向けの 製造業に依存していた経済に不況が訪れていた。強力な中国の製造部門でさえ、2033年に は早くも縮小しつつあった。

2034年、アジアと南太平洋で製造された製品輸送の世界的中心地であるシンガポールが不 況に突入した。

こうした流れを受けて中国との関係改善により、アメリカは南アジア太平洋地域にまたがる歴史的な戦略条約を仲介することになる.

この条約は環境保全技術を伝え、中国が石炭を燃焼する発電所に依存し続けていることを一因として、地域における収穫高の低下につながる差し迫った局所的な環境災害での 支援も可能にした。

2036年のアメリカ、日本、中国による東シナ海での歴史的な合同海上演習を挑発行為とし て非難し、ロシアとヨーロッパの大規模同盟(現在はアフリカの数ヶ国を含む)はコモンディフェンス •パクトと呼ばれる相互防衛条約へと姿を変えた。

翌年、アメリカ国務長官ジョージ•ウィンズローは早急な外交訪問を終えて自らの名を 冠したウィンズロー •アコードに調印し、CDPに対抗する目的で既存のアメリカが結んで いる全ての貿易および防衛条約を1つの包括的な相互防衛条約に移行させた。

直接的な軍事衝突はリスクが大きすぎることから、CDPとウィンズロー •アコードは規模 が小さな国家の数々の代理戦争に介入し始める。

2039年、CDPから撤退して2年のドイツがウィンズロー •アコードに加盟。2041年にはイタリアが新たに選ばれた政府の選挙公約に従ってCDPを離れ、ウィンズロー •アコードに加盟した

2064年現在、エジプトが両者の大きな火種となっている。同国はCDPがナイル川ダム計画 に資金提供した結果として減少している水供給をめぐり、ナイル川同盟近隣諸国との5年 にわたる戦争を続けてきた。

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最終更新:2015年11月19日 20:44