隔離エリア

2060年に発生したコアレッセンスの惨事の後、シンガポール当局は、炭疽菌や天然痘ウイルスに近い未知の悪性病原菌を用いたテロ攻撃への対処を目的とする緊急条例を制定し、爆発後に毒物が漏れた地域周辺を隔離エリアと定めた。

当初、隔離エリアは道路封鎖と即席バリケードによって実行され、シンガポール国防軍 が検問所で治安維持に努めていた。

数週間、数ヶ月と時間が過ぎていくものの、多くの命を奪った化学物質あるいは病原菌 を特定する試みの成果はほとんど出なかった。エリア内に閉じ込められた人たちの窮状 に対して国際的な抗議の声が上がったにもかかわらず、境界線はさらに強化され、最初 はフェンス、後には永続的な壁と銃座が設けられた。

隔離エリアは、シンガポール東岸の土地およそ65平方キロメートルに広がり、かつての住 宅地区、地下の「科学都市」技術施設、マリーナ•ベイ•ガーデンズが含まれる。

惨事発生から1年後に救済機関が発表した報告書によると、シンガポール隔離エリアの住人の死亡率は非隔離エリアのそれを25%上回るだけで、死因の大半は、エリアを覆った有毒な降下物にさらされ続けていることで引き起こされる浸潤性腫ようなどであった.

そうした事実が判明したにもかかわらず、シンガポール当局は隔離エリアの継続を圧倒的多数で可決した。

それから間もなく、訓練を積んで完全武装した犯罪者集団54イモータルズ(541)が隔離エリ ア内に拠点を築き、かつてそこで操業していた様々なテクノロジー企業の廃墟に略奪グ ループを送り込んでは物資を盗み出し、恐らく闍市場で売りさばいているという報告が入り始めた。

シンガポール国防軍と541による小競り合いが何度か報告されたものの、形だけのもので しかなかったと思われる。政治腐敗と同族の絆によって、541が隔離エリアにアクセスす ることは容易になっていた可能性が高い。

惨事の生存者のために国際社会が投下する補給物資も犯罪者の手に渡るようになり始めたため、救援活動は一時中断された。

2058年にこの島国を襲い始めた巨大暴風雨によって毎年引き起こされる被害の後始末に必要な清掃作業の予算問題を引き合いに出し、シンガポール当局は交戦を避けるように国 防軍に指示した。惨事から2年が経過した頃には、541が犯罪活動の拠点を完全にエリア内 に移し、壁に囲まれた居留地に自分たちの絶対的地盤を効率的に築いたのは疑いようも ない.

惨事が起きた時点で、新たに築かれた隔離エリアにおよそ40万人が閉じ込められた。2年後に残っていた生存者は10万人を下回る

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最終更新:2020年08月29日 18:15