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藩国国民紹介SS・3 霧原涼君の場合

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takanashi

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今回は初心に帰って三人称+シリアスな感じで。
かなり趣味に走った内容なので、読んでくれている人置いてけぼりかもしれないのが怖いですが……(汗

【霧原 涼紹介SS】
作:小鳥遊(ワカ)


 例えそれが、砂山を作って星まで上ろうとするような、そんな馬鹿げた話でも。
 例えそれが、星まで歩いていこうとするような、そんな不可能な話でも。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 小鳥遊が吏族の詰め所から予算に関する書類を持って技族の仕事場を訪れたのは、ちょうど昼休みも半ばの時刻だった。
 技族の仕事場を訪れることはこれが初めてだった。
 技族の仕事は広い。自国I=Dの設計はもとより、敵I=Dの分析なども手がけているが故に、この戦時下ではほぼひっきりなしに作業が続けられている。
 そうした状況の中、技族の仕事場を見学するといった気にはなれなかったのだった。

 初めて訪れる、I=Dの設計を主な仕事とする芥辺境藩国の技族の仕事場は、何枚も何枚も試行錯誤を繰り返された設計図が、あちらこちらに山を作っていた。

 何十枚も、何百枚も、何千、何万も。

 技術に携わる人間にとって、一番大事なものは「繰り返し」なのだという話を、小鳥遊は以前聞いたことがあった。
対象について何度も何度も考え、試し、失敗し、それを調べることで対象の理解を深め、そうすることで生まれた考えをまた試す。ただそれだけが、技術を進歩させるのだと。
 それを聞いた時にはただ納得しただけだった言葉が、今、自分の中で溶けて血肉となっていくのを感じる。
 この場所は、その話を具現化したような場所だった。
 そんな、昼休みということで誰もいないこの部屋で、自分と変わらないような少年が1人、黙々と作業を続けている。

「霧原さん……」

 透明な響きが、口から漏れた。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 霧原涼という少年は、真剣さをかたどった彫像のような猫だった。
 設計台を見据える瞳はただただ真っ直ぐで、研ぎ澄ませた刃物のように鋭い。
女性と見間違うばかりの未分化な容貌は少しも動かず、それが彼の集中の度合いを表していた。
 ただカリカリと、図面を引く音だけが響いている。

 その空間だけ、時が止められているような、そんな静謐で厳粛な空気が流れている。
 小鳥遊はその光景を、ただじっと立って眺めていた。
 その胸中に浮かぶのは、感動か、畏敬か、あるいはただ、呆然としていたのか。
 そのどれもが正しいような気がして、間違っているような気もした。

「……お昼、食べてないんスか?」

 ぽつりと、小鳥遊が呟いた。
 それに反応して、涼は顔を上げて小鳥遊を見た。
 ただそれだけのことで、止まっていた空気が動き始めたような、そんな錯覚がある。

「小鳥遊さん……」

 入り口に立っていた小鳥遊に今気がついた、というような、涼の呟き。
 その一言で、ようやく小鳥遊は我に返った。
頭が急速に意識を取り戻し、途端に訳も分からず慌てた気分になってしまう。

「あ、ご、ごめんなさいッス、集中していたところ、すみませんッス」
「いえ、大丈夫です。そろそろ休憩を入れようかと思っていたところでしたから」

 そう言って涼は背もたれに身体を預けると、一度小さく伸びをした。そうした仕草が、妙に絵になる少年だった。
 そこで小鳥遊は机の傍らに積まれている紙の束に気がついた。高さはおよそ10センチ強。
 几帳面に積まれた紙の束の内、見ることのできる一番上の紙には、小鳥遊にとっては読解不可能なI=Dの図面が引かれていた。

「……それは?」
「あ、これですか? コトラについての改良案です。もう少し駆動系のロスを少なくできないかと思って」

 まあ、なかなか上手くいかないんですが、と呟く涼。
 その言葉は、山となって積まれた設計図が証明していた。

 静かな室内。誰もいない部屋。進まぬ作業。それでも積み上げられていく設計書の山。

 不意に、言葉が口をついて出た。

「どうしてそこまで、頑張るんスか?」

 言ってから失礼な質問だと気がついた。
これではまるで、頑張っていることが異常なことのようだ。
どんな猫だって皆、この国と、共に和す猫の誇りのために頑張っている。
 それなのにこんな事を聞くのは、その誇りを汚すことに他ならなかった。

 けれど、どうしてだろう。
 その質問を撤回する気には、小鳥遊はなれなかった。
 自分と同い年で、自分よりも小柄なこの少年が抱えている何かを、聞きたかったのかもしれない。

 涼は怒らなかった。
 ただ意外な質問に対して不思議そうにこちらを見て、少しだけ目を細めた。何か懐かしいものでもみるかのような瞳だった。

「小鳥遊さんは、瀧川さんに憧れてこの国に来たんですよね?
 瀧川さんみたいになりたいと、思いますか?」

 静かというよりは、優しげな声だった。
 考えるよりも先に、頷いていた。考えるまでもない、自明の答えだった。

「憧れてるッス、から」

 そう、憧れたのだ。
 ただの人間が、ただの人間のまま、主役になれないと分かって、受け入れて、それでも希望の先駆けとして駆けるその姿に。
 自分もそう在りたいと願ったから、自分は今、ここにいる。

 涼はそんな小鳥遊を少しだけ羨ましそうに見てから、恥ずかしそうに微笑んだ。

「僕もです」

 それは、小さく、熱っぽくもないが、芯のある声だった。
 熱せられた鉄を打ち続け、冷やした後に残る固さを秘めた、そんな声だった。

「……僕は、星になりたいんです。僕の憧れた人がそうで在ろうとしたように。
暗くても、小さくても、儚くても、闇ではない夜を僅かでも照らす、星になりたい」

 そう独り言を呟くように話す涼はどこかここではない遠くを眺めていて、そして小鳥遊は、この部屋に訪れたときの感情を、ようやく理解した。

「……だから?」

 小鳥遊が涼に抱いた感情。それは、共感だ。

「はい。だから僕は自分にできることを全力でしようと、そう思っています。
いえ、そうでなくていけないんです。僕はその生き方を選んだのだから。
……僕では、叶わない望みかもしれませんが」

 そこまで呟いて、涼は我に返ったようだった。
 早口で、すみません、恥ずかしいことを言ってますね、といって、涼は顔を赤くして笑った。
 想いを言葉にしたことを、恥じているようだった。

 小鳥遊が呟く。

「『できるできないは、問題じゃない。
問題なのは、やるか、やらないか、ただそれだけだ』」

「え?」
「俺の尊敬する、もう1人の人の言葉ッス」

 小鳥遊は笑った。感情の起伏の激しい彼にしては珍しい、柔らかい微笑みだった。

「大丈夫ッス。霧原さんはもう、やるって決めてるッス。
だからもう、問題は何もないッス。あとはやり遂げるだけッス」

 それは、論理も理由も何もない、相手の悩みなど考えていないような、身勝手な言葉だった。
 そんな身勝手な言葉を、小鳥遊は微笑んで言ってのけた。

「……小鳥遊さんは、笑わないんですね、自分でも恥ずかしいこと言っているって思うのに」
「笑う訳ないッスよ。俺じゃなくたって誰だって、絶対、笑う訳ないッス」

 その言葉は柔らかかったが、偽ることない真情のこもった声だった。
 その言葉と、その真情を理解できた自分に、嬉しくなる。
 だから、素直に笑って、こう言う事ができた。

「……ありがとう」

 それは、蕾が日の光を浴びてゆっくりと開いていくような、そんな笑い方だった。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

「あ、そうだ、霧原さん、お腹減ってないッスか? 俺、昼ごはん持ってるッス。一緒に食べないッスか?」

 小鳥遊がいつもの明るい調子を取り戻してそういったのは、それからしばらく経ってからのことだった。
 ごそごそと懐から取り出したのは、包みにくるまれたサンドイッチと牛乳。
 それを見て胃が空腹を訴えて初めて、涼は自分が昼食を抜いていたことを実感した。

「いいんですか?」
「勿論ッス」

 尋ねる涼に、小鳥遊は破顔する。
おそらくそれは小鳥遊自身の昼食なのだろう。
見た感じでは精々1人分半ほどしかないが、そんな顔で見られては、固辞するのも逆に失礼にあたる。
 涼は差し出されたそれをありがたく頂くことにした。

 しばらくは二人の咀嚼する音だけが部屋に響いた。
会話はないが、不思議と気まずさも居心地の悪さも感じない。
 ただゆったりとした暖かさがあった。

 不意に、小鳥遊が口を開く。

「実は、このメニューには由来があるッス」
「由来?」

 突然の話題に、涼は理解が追いつかずに不可解な表情を浮かべた。
 小鳥遊はそんな涼を見て、とっておきのいたずらを思いついたような笑みを浮かべていた。
 その瞳だけが優しい。

「そう、由来ッス。
 初めて会った、まだただの人間だった2人の友情の始まりになった、ただそれだけの由来ッス」

 ただそれだけのことを、小鳥遊はひどく大事そうに呟いた。
 それが瀧川に関係することなのだと、誰に言われることなく涼は気づいた。
 緊張を押し殺した顔で、小鳥遊が尋ねる。

「霧原さん、もし良かったら、俺と友達になってくれないッスか?」

 涼は答えなかった。
 ただじんわりと、その言葉の熱が広がっていく感覚をかみ締めるように目を細めて、その後で小鳥遊を見た。
 小鳥遊は緊張と怯えの浮かんだ顔をしながら、けれど目だけは逸らさずにこちらを見ている。
 そんな強がりをする様子が、おかしかった。
 だから、年相応に笑って言う。

「『涼』と呼んでくれるのなら、喜んで。
 ――小鳥遊君」

 小鳥遊は一瞬驚いた顔をして、そして涼と同じように笑った。

「――了解ッス。涼君」
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