721 :690:2007/02/11(日) 03:03:44
ID:ptjs/Dl4
- 日が暮れかかっていた。
沈みかけた太陽に染まった街は赤く燃え、仕事を終えたばかりの労働者達はその炎の中を足早に進む。
その中に、一際目立つ影があった。
服装は極一般的であり、いささか地味と言ってもいいだろう。
長身だが、飛びぬけて背が高いというわけでもない。
それでも、嫌でも目を引いた。
猛獣を素手で殴り殺しかねない体躯である。
それでも、武器の類を扱う店の前にいるならここまで目立ちもしないだろう。彼の存在をここまで際立たせている唯一にして最大の原因は、彼が大通りに面したショーウィンドーを鎮座する愛らしいぬいぐるみの数々を、極真剣に睨みつけている所にあった。
女子供の夢の詰まった愛らしいぬいぐるみを、人相の悪い軍人が視線で射殺そうとしているのである。
道行く人々はまるで打ち合わせでもしたかのように、行過ぎてから必ずその姿に振り向いた。
あまりにも不釣合いで、滑稽だと笑うには異様過ぎて、人々は恐怖さえ覚えて慌てて男から視線を外す。
連合国一の“プッツン”士官。ヴィクター大隊指揮官である。
「よし、熊だな」
ヴィクターは一人呟くと、人々から向けられる恐怖と懐疑の視線を物ともせずに、軍隊仕込みの乱れない足取りで、少女や家族連れで賑わう大手ぬいぐるみ専門店に突入した。
いらっしゃいませ、と言い掛けて、店員の動きが制止する。
笑顔でぬいぐるみを選んでいた少女達が、ヴィクターの存在に気づくなり、あんぐりと口を開けてその姿を凝視した。
無理も無い。あまりにも――異質である。
「お客様……何か、お探しでしょうか?」
勇気ある女性店員が、やや恐怖で引きつり気味の笑顔でヴィクターに問いかけた。
ちらりと見やり、あぁ、とだけ返事を返す。
暫く店内を見回して、ヴィクターは店の一角を指差した。
「熊……が、いいんだが。それ程大きくない……」
もしもクロルがこの場にいたら、腹を抱えて笑い転げているに違いない。
店員はヴィクターの指差す一角に視線を向けて、すぐに畏まりましたと頷いた。
「色は何色がよろしいでしょうか?」
「あー……じゃあ、亜麻色で」
僅かな会話でヴィクターが見た目程恐ろしくない事を悟ったのか、店員はたちまち鉄壁の笑顔を取り戻し、あれこれとぬいぐるみを披露して気に入った物を選ばせた。
生地がどうの、メーカーがどうの、服がどうのと言う話はヴィクターには全く理解できなかったが、見た目と手触り程度の好みはある。結局、軍服を着た熊のぬいぐるみを買う事に決めた。士官の階級章も華々しい、恐れ多くも大佐殿である。
メッセージカードが付けられるという事で、ヴィクターは悩んだ挙句に極短いメッセージを依頼した。
花柄のメッセージカードが、プレゼント用のラッピングの上に熊顔のピンバッジで固定されて出てきた時は、さすがに苦笑いが浮かんだ。
純情可憐と、また言われるのだろう。ひょっとしたら、少女趣味かもしれないが――。
ようやく店を出る頃には辺りはもう薄暗く、ヴィクターは時計を覗いて基地のほうへ視線を投げた。
左官になると流石に門限というのも無いが、昔から叩き込まれた癖のようなものである。
酒でも買っていこうか。基地に戻る頃には、クロルも夕食を済ませているだろう。
そういえば、クロルの部屋に上がった事は一度も無い。どんな部屋か興味が湧いた。
少年の様ななりをしているくせに、妙に几帳面な女である。きっとヴィクターの部屋とは比べ物にならない程に、きちんとしているに違いなかった。
ヴィクターは派手なリボンで飾り付けられたプレゼントを小脇に抱え、やはり道行く人に驚愕と恐怖を与えながら歩き出した。
酒のつまみにケーキを食って喜ぶ女に、飛び切り甘いバターケーキでも買って行こうかと考えながら――。
- 738 :690:2007/02/13(火) 04:30:30
ID:ep/DHuIO
- エセ軍人物
エロ未到達
ヴィクターが激しくヘタレ
>>721続編投下させていただきます
口より先に、と言うよりは、口と同時に手が出るタイプの性格だった。
周りが逞しい軍人なので、割と平気で思い切り殴りつける。
しかし今回、クロルは癖と言ってもいい自分のその性格を、なんとかせねばと真剣に考えた。
事もあろうに、ウィルトスを殴りつけてしまったのである。
しかも、顔面を。
原因は、どちらかというとウィルトスにあった。
会話も減り、なんとなく手持ち無沙汰になったクロルは、場の雰囲気に任せてウィルトスに口付けた。
甘い雰囲気になる事を期待したが、ウィルトスは相変わらずマイペースで、不思議そうに首を傾げて
クロルを見た。
そして、言ったのである。
「男の子に、キスされてるみたいですね」
反射的に、殴っていた。
ほんの数分前の事である。
「痛いです……」
盛大に腫れた頬を氷で冷やしながら、ウィルトスが肩を落として呟いた。
「も、申し訳ありません……いつもの癖で、つい……」
「いえ、いいんです。失礼な事を言ったのは僕ですし」
全くその通りである。
だがクロルは完全に萎縮してしまい、自分が怪我人である事も忘れてせっせとウィルトスに世話を焼いた。
ウィルトスは平気だと言うのだが、どう見ても平気とは思えない程に腫れていた。歯でも折れたかと心配になる程である。
こんな威力で殴っていたのか――ヴィクターもさぞや痛かった事だろう。
「ヴィクター少佐ならこの程度、虫が止まった程度にしか感じないんでしょうね……悔しいです」
「い、いえ、そんな! だってあれは見るからに例外じゃないですか! 教官が普通なんです、標準
なんです、人間なんです!」
「でも、僕も軍人です……」
さすがにフォローできなかった。
確かに、常日頃からヴィクターを殴っているが、ヴィクターがそれでどうこうなった事は一度も無い。
なにより、まず顔面に当たる事が無い。
今更ながら、上手く避けていたのだなと思う。あるいは、攻撃を食らうにしても急所は外す――軍人
ならば、それくらいは出来て当然の事なのかも知れないが――。
「情けないですね……」
クロルの思考を呼んだように、ウィルトスが鬱々と呟いた。
「で、でも……凄く、頭がいいです」
「学者になるべきでした……」
それは確かにそうかも知れない。
素直に肯定しかけて、クロルは慌てて首を振った。
「そんな事ありません! 僕知ってます! 教官が戦術の手ほどきをされた司令官は皆優秀ですし、教
官は戦略家で戦上手です! 戦車をなぎ倒すモンスターを小隊でやっつけた武勇伝は有名です! ほら、教官すごく軍人向きじゃないですか!」
「そうでしょうか?」
「そうなんです!」
うーむ、とわざとらしく考え込む仕草に、クロルは冷や冷やしながらウィルトスの決断を見守った。
うっかりすると、「よし、軍人やめます」などとふざけた事を言いかねない。しかも一度何か言い出
すと、周りの言葉に全く耳を貸さないのである。
迷惑極まりない性格だった。
ふと、ウィルトスが時計を見た。つられてクロルも時計を見ると、夕飯時を過ぎている。どうりで、少し空腹だ。
- 「困りました。そろそろネタがありません」
「はい?」
ウィルトスが唐突に話題を変えた。
ウィルトスのとんでもない会話の飛躍にも比較的付いていけるのがクロルだが、今回は流石に置いていかれた。何の話か分からない。
とりあえず、軍人に向いている向いていない論争には飽きてくれた様だ。一安心である。
「えーと、なんの話でしょう……」
「ほら、前回の時間の取引からそろそろ一時間が経過しようとしています。でも、さすがに要求する物がなくなってきました。どうしましょう」
しりませんよ、そんな事。
言いたいのを必死に我慢した。
「別に、要求が重複してもいいんじゃないでしょうか……ハグからやり直すとか」
「ダメです。面白みがありません」
この時間取引の何処に面白みを見出しているのか甚だ疑問である。
「でも、要求してくれないと何もできません」
「正論です。考えましょう」
そして三秒。
ウィルトスは軽やかに弾指した。
「食事に行きましょう。お腹が空きました」
素晴らしい提案だった。
腕を負傷しているクロルは、自分ではまともな食事が作れない。
「でも、教官軍服です」
「そうでした。勤務時間外に軍服でうろつくのは軍規違反です。クロルさん、流石です」
「はぁ……」
「仕方ない。脱ぎましょう」
「止めてください」
思わず制した。
師団参謀が、全裸でないにしろ半裸で街を出歩いたとなれば、第一師団の沽券に関わる。
「だめですか」
「あたりまえでしょう」
「わかりました。では僕の部屋に来てください」
一瞬、クロルは呼吸を止めた。
半ば呆然として、相変わらず笑顔のウィルトスを見る。
「きょ、教官の部屋に……ですか?」
「はい。僕の部屋にです」
「えぇと……でも、何しに……」
「食事をしに」
着替えに。ではない辺りが、実にウィルトスらしい。
「……教官の部屋にですか?」
数秒前と同じ質問を繰り返すと、ウィルトスが華やかに微笑んだ。
「実は先日、パスタを食べようと思い立ってトマトソースを作りました。とてもいい出来だったので、誰かに振舞って自慢したかったんです。しかし驚くべき事に、僕には友人が居ません」
友人が居ない理由がわかっていないのが、逆に驚くべきである。
「と言うわけで、クロルさんには僕の手料理を食べてもらいます」
「教官の……手料理……」
「それで三時間売りましょう。タイムサービスってやつです。どうで――」
「よろこんで!」
思わず叫んでいた。拳さえ握り締めて、思い切り。
想像もしていなかった幸運である。
「僕、着替えてきますね!」
「ドレスでも着てくれると、エスコートのしがいがあるんですが」
「嫌です」
即答した。笑顔で。
ウィルトスが笑う。
片腕で着替えるのは大変だろうと、ウィルトスに手伝ってもらってようやくまともに身支度を整えて、
クロルは子供のようにはしゃぎながらウィルトスについて部屋を出た。
他に、誰か見舞いの者がいるのではないかと、今更ながらしり込みしていた。
私服の上官が酒を持って自室に訪れた所を他の者に見られれば、男と女だ、嫌でも妙な噂が立つ。
また、連絡も取らずに私室を訪ねるのは、礼儀を欠いた行為と言えるのでは無いだろうか。クロルを
困らせる事になるかもしれない。
何より、私室まで赴くという行為が、下心と受け取られたりはしないだろうかと不安だった。
先日クロルを抱いてしまったせいもあるだろうか。その時は夢中で後先考え無かったが、後になってしまえば嫌でもクロルの性別を意識した。
悶々と思いながらも、結局官舎まで来ていた。外見に似合わず、いまいち煮え切らない性格である。
廊下を歩き、階段を昇りかける。ふと、聞きなれた笑い声がした。
足を止め、思わず見上げる。
予想だにしていなかった人物が視界に飛び込み、ヴィクターは瞠目した。
赤茶けた髪に、明るいブラウンの瞳。
「ウィルトス少佐……?」
ヴィクターの声に呼ばれるように、ウィルトスが足を止めた。
驚いたように目を瞬く。
「教官?」
その後を追う様に、クロルがひょいと顔を出した。
直後にヴィクターの存在に気づき、笑う。
「ヴィクター! ……少佐」
思い出したように階級を取ってつける。ウィルトスの存在に遠慮しているのだろう。
「どうしたんですか? こんな時間に」
クロルが不思議そうに首をかしげた。
「あ、いや、時間ができたんで、見舞いでも……って」
ウィルトスとクロルが、同時に顔を見合わせた。
「お見舞いですって」
「想像以上に立ち直りが早い。第三者の介入があったみたいです」
ヴィクターには何の事だか分からない話をしながら、二人並んで階段を降りてくる。
「で、あの、なんでここにウィルトス少佐が……?」
「僕もクロルさんのお見舞いです。実に奇遇です」
「これからウィルトス教官の部屋で手料理をご馳走になるんです」
ねー、などと、女同士がやる様に笑い会う。
クロルとウィルトスがワンセットでいる事自体驚きだと言うのに、ウィルトスの手料理を二人で食う等と言い出されては、ヴィクターには最早何も言えなかった。
どこにどう突っ込んでいいかも分からない。
「少佐、その頬は……」
とりあえず、明らかに殴られた痕跡のある頬について聞いてみる。
ウィルトスは困ったように眉根を寄せて、それがですね、と切り出した。
「クロルさんに殴られました」
愕然としてクロルを見た。
クロルが反射的に身を竦ませる。
「おま……おまえ! 殴るか普通! この人を!」
「だ、だって教官が……!」
「だってじゃねぇだろう! 上官だぞ! 申し訳ありません、うちの部下が!」
「あぁいえ。原因は僕ですから、どうか気にしないで」
何処まで寛容なんだ、この男。
普通上官を殴ったら、懲罰房行きは免れない。しかも相手が相手である。ウィルトスがその気になれば、降格や免職など当たり前に言い渡される。
ヴィクターは心底から、ウィルトスの温和な性格に感謝した。
-
軽く睨むと、さすがに反省しているのかクロルが肩を落としてうな垂れる。
その様子にウィルトスは困ったような笑顔を浮かべ、ぽんぽんとクロルの髪を撫でた。
「気にしてません。だから、そんなに落ち込まないで」
「でも……」
「ほら、かわいそうに、落ち込んでます。部下を苛めるのはよくありません」
逆にこちらが責められた。
ヴィクターが眉間に皺を寄せると、すっとウィルトスが腰をかがめた。うな垂れるクロルの頬を捉えて、
目頭に唇を落とす。
一瞬、思考が完全に停止した。
重たげな音を響かせて、持っていた酒瓶が廊下に落ちる。
「き……教官!?」
「はい、なんでしょう」
「なんでしょうじゃありません! ヴィクターの……ヴィクター少佐の前ですよ!」
「いけませんか」
「ひ、人前でキスするなんて……!」
人前か否かは、この際関係無いのではなかろうか。
「でも、まぶたです」
「場所の問題じゃありません!」
顔を真っ赤にしてクロルが怒鳴った。
こんなキャラじゃ無かっただろう。キス一つでこうも動揺するならば、先日のあれは何だったのだ。
「でも、人前でいちゃつくのは、恋人の特権でしょう?」
「――教官!」
「……恋人?」
無意識に反応していた。
ふと、思い出したようにウィルトスが振り返る。
「しまった。ばれました」
「明らかにばらす気まんまんだったでしょう!」
クロルが怒鳴るが、ウィルトスは気にした風もなく、クロルの肩を抱き寄せた。
「ばれてしまったらしょうがありません。実はクロルさんは僕の恋人です。仲良しです。ラブラブです」
見せ付けるように、頬や首筋に口づける。
クロルが抵抗してもがくが、嫌がっている風には見えなかった。ヴィクターに助けを求める様子も無い。
悪い冗談――というわけでは無さそうだった。
「クロルさんが、仕事がし辛くなるからと言って秘密にしていたんです。クロルさんは特殊な任務を
遂行する事も在りますから、そんな時、公然と恋人がいると、倫理がどうのとうるさい人達も出てきま
すからね」
すぅ、と頭が冷えていった。
特殊な任務と、この男は今、そう言ったか――。
「あんた、まさか知って……」
「諜報活動ですか? もちろん、初任務の時から知って――」
殴りかかっていた。
先程クロルを叱った事など、最早頭の片隅にもない。
ウィルトスがクロルを突き飛ばし、心持腰を落とす。半身、横に避けた。
振りぬいた腕を取られ、景色が回る。
――畜生。
内心、罵った。
背中から、廊下に激しく叩きつけられる。激しくむせ返った。
- 「ヴィクター!」
クロルが駆け寄ってくるのが分かる。
足音が止まった。ウィルトスがクロルを制したのだろう。
ありがたかった――見られたくない。
「怒れますか?」
上から、冷静な声が飛んだ。
「最近まで知りもしなかった君に、僕を殴る権利がありますか?」
返事も出来なかった。
ただ、奥歯を噛み締める。
「僕は全力でクロルさんを見てきました。君と違って、始終傍にいられる立場ではありません。
それでもずっと、訓練生の頃から見てきました」
ようやく整った呼吸で、重い体を起こす。
顔を上げると、ウィルトスが笑っていた。
「君は僕に勝てますか?」
思わず、呆けた。
ウィルトスが背を向ける。
「行きましょう、クロルさん。運動したらお腹が空きました」
立ち尽くしたクロルの背を、ウィルトスが静かに促した。しばし躊躇し、促されるまま歩き出す。
クロルは振り返らなかった。振り返る事が、ヴィクターに対する侮辱だと分かっているのだろう。
角を曲がり、二人の背が見えなくなって暫くも、ヴィクターは廊下に座り込んでいた。
――勝てますか?
男として、友人として、上官として。
あるいは、軍人としてさえ――。
「勝てるわけ……ねぇだろ」
あまりにも惨めで、滑稽で。
「は……はは……」
気が付くと、笑っていた。
-
811 :690:2007/02/27(火) 03:58:00
ID:Kz7Rm4c8
ファンタジー
エセ軍人物
ウィルトス×クロル
ローションプレイ
本番なし
続編投下させていただきます
軍服を脱ぐと、まるで軍人に見えない。
筋肉も、人並み以上にあるとは思えない。
エプロン姿に全く違和感が無い。
それなのに、よく――。
「よく、ヴィクター少佐、投げられましたね」
楽しげにパスタを茹でていたウィルトスが、独り言のようなクロルの問いかけに首だけで振り向いた。
「投げたんじゃありません。避けたんです」
「……いや、でも、回ってましたよ。綺麗に」
「えぇ。彼は力が強いですから」
「はぁ……」
勝手に自滅してくれます。などと、恐ろしく失礼な事を平気で言う。
クロルは頭の中でウィルトスとヴィクターの体格を比べ、そんなものかなと首をかしげた。
「傍にクロルさんがいるのに殴りかかってくるなんて、余程僕に腹が立ったんでしょうね。見ま
したか、あの顔。殺されるかと思いました」
笑い事では無い事を、笑いながら話す。
冗談ではなく、あの時のヴィクターの拳を正面から食らっていたら良くて病院、悪くて墓場行きである。
クロルは咎めるようにウィルトスを睨んだ。
「教官が挑発するような事言うからです。大事になる所だったんですよ。ちょっとは反省してください!」
「大変だ。パスタがのびます」
言うだけ無駄か。
クロルはがっくりと肩を落として溜息を吐き、テーブルに突っ伏した。
あの後、ヴィクターはどうしたのだろうか。
少なくとも、ひどく混乱しているだろう。
恋人がいる身で他の男に迫る女の神経を、ヴィクターが理解できるとは思えない。
そして、恋人のいる女を抱いてしまった自身に対し、激しい嫌悪を覚えるに違いなかった。純愛を夢見るヴィクターには、あまりにも状況が重過ぎる。
クロルは盛大に溜息を吐いた。
「……なんで、ばらしちゃったんですか……」
責めるような口調で呻く。
「彼が君を抱いたからです」
振り向かずに、ウィルトスが答えた。
むっとして顔を上げ、後姿を睨む。
「だから……少佐はなんも知らなかったんです! 僕が無理やり犯したんだって言ったじゃないですか! それなのに、あの人、絶対自分で自分を責めます……」
「じゃあクロルさんは、ずっとヴィクター少佐を騙し続けるつもりだったんですか?」
騙す。
ウィルトスがあえて選んだその表現に、クロルはぐっと言葉を詰めた。
「よ……余計な情報を与えないだけです。僕に恋人がいるって知らないままなら、きっと少佐も、そんなに悩まないですみました」
「そして、自分の感情を自覚して、君に思いを伝えるでしょう。君に恋人がいると知らないまま
ね。その時、君はどう答えるつもりだったんですか? 確かに、断る理由はいくらでもでっち上
げられます。しかし残念ながら、彼はそんじょそこらの男と違う。そう簡単には諦めません」
根性の塊です。と呟いて、やれやれと首を振る。
「だから、ヴィクター少佐は僕の事なんか――!」
「愛していなかったかもしれません。でも、君が彼に抱かれた事で、彼は君を意識します。男女間の友愛は恋愛感情に非常に近い。男同士ですら、同性愛に走りたがる。今まで彼が君をどう思
っていたかは無関係です。君は引き金を引きました。状況が変わったんです」
「そんな……!」
「君はヴィクター少佐にとって部下であり、副官であり、戦友であり、親友です。その上君は、男性に抱かれる事が前提の様な任務に赴く。彼にとってクロルさんはタブーです。禁忌です。絶対愛しちゃいけない対象です。それでも君を愛するぞ、と決めたヴィクター少佐に、一番最初に与えるべきだった情報を、一番最後に、絶望を与える目的で突きつけるんですか? 恋人がいるんだと、その時になって言う気ですか? それともそこでも嘘を付いて、彼が自分で真実を知るまで騙し続けるんですか? そんなのはだめです。いくらクロルさんでも、そんな卑劣な事は許
しません」
世間話のような口調で、しかし口を挟む間は与えず、ウィルトスはごくごく静かに言い放った。
無意識に、奥歯に力がこもる。
一言でもいい。何か、反論をしたかった。
言いたい事は確かにどこかにあるはずなのに、焦燥が募るばかりで上手く言葉が出て来ない。
俯き、唇を噛んで黙っているクロルの前に、重たげな音を立てて皿が置かれた。
グラスにワインを注ぐ音がする。
ウィルトスが正面に座る気配がしても、召し上がれ、と言われても、クロルは顔を上げる事が出来なかった。
「怒ってるんですか?」
困ったような声に、クロルはようやく顔を上げた。
「ごめんなさい。でも、これはどうしても譲れない。嫌いになりましたか?」
「違います! 僕、怒れる立場じゃ……でも……僕たちは、今までずっと親友で……一回抱かれ
たくらいじゃ、なにもかわりません……」
「変わりますよ。劇的に」
「僕の恋人は教官です! 僕は教官が好きなんです! これからもずっと教官が好きで、それに、ヴィクター少佐は、恋人がいる女に手を出したり出来るような人じゃ……」
だから、何も変わりはしない。
例え、ウィルトスが言うとおりヴィクターの中で何かが変化したとしても、状況は何も変わらないのだ。
「クロルさん。僕は彼が女性を愛している所を見た事が無い。だから、これは賭けです。恋人のいる君を、彼がそれでも欲しがるか。僕から奪ってでも、君を手に入れようとするかどうか」
ヴィクターがクロルに恋愛感情を持つ事は、ウィルトスの中では最早大前提の様だった。
クロルはそれさえ否定したかったが、それは、ウィルトスの言うとおり、そのうち分かる事である。
「なにせ、女性に対する思い入れや行動は、人柄にあまり反映されませんからね。こればかりは予想もできない。もし彼がこのまま君を諦め、思いも伝えずに現状維持を選ぶとしたら、彼の心神に多大な悪影響を及ぼす事になりますねぇ」
そうなれば、毎日失恋の対象と顔を合わせる事になるのだ。誰だろうと憂鬱になる。
「僕としては、『思いだけは伝えておくぜ』って感じが有力だと思うんですが、どうでしょう?」
「ただ、後悔と自責で首括るだけかもしれませんよ……純愛まっしぐらだったのに、突然ドロドロ愛憎劇の真っ只中に引っ張り込まれたんですから」
「ですから、引っ張り込んだのはクロルさんで……」
「だから、教官がばらしたのが……!」
言いかけて、やめた。
自分がヴィクターに迫ったのがそもそもの原因である。
感情が先行しすぎて、軽率だったのは明らかだ。
「ところでクロルさん。今、重大な問題が現在進行形で起こっているのですが……」
すい、とウィルトスがテーブルの上を指差した。
「冷めます。なおかつ、伸びます」
ようやく、出された料理に目をやる。
とても、物を食べるような気分ではなかったが――。
「……いただきます」
一口食べる。
飲み下すと、空腹を思い出した。
ウィルトスが満足そうに頷く。
「おいしいでしょう」
満面の笑みで聞かれ、クロルはしばし躊躇した。
「あれ? おいしくないですか?」
「いえ、あの……」
「正直に言ってください。覚悟は出来ています」
-
戦に望むような顔で言われ、クロルは悩んだ挙句にフォークを置いた。
「少し、セロリの香りが、きついですね」
「はい。多めに入れましたから」
苦笑いが浮かぶ。
「僕、セロリ嫌いなんです」
ウィルトスの笑顔が固まった。
奇妙な沈黙を挟んで、ウィルトスが溜息を吐く。
静かに席を立ち、戸棚の引き出しから手帳を取り、めくる。
「クロルさん」
「はい……」
「今更ですが、君の好物と嫌いなものを教えてください。メモします」
思わず、二人して吹き出した。
*
結局、ウィルトスに出してもらったトーストで食事を取った。
恋人になってから随分経つというのに、お互いの食べ物の好みも知らない事にはさすがに呆れる。
しかしこれを好機と考えた二人は、お互い交互に質問をし、嘘を付かずに答えるというゲームを開始した。
これで教官のデータも売れますね、などと不埒極まりない事を言うクロルに、ウィルトスは寛容である。
売り上げの三割で手を打つと、澄ました顔で言ってのけた。
何時間かはそうして、ただ喋る事を楽しんだ。ウィルトスが時々思い出したように持ち掛けて
くる時間の取引に戸惑う事はあったが、それさえも楽しいと思う。
膝枕をさせろと言われた時は流石に困ったが、恥ずかしいと言うのも癪なので了承した。
ソファに座ってどうぞ、というと、きょとんとした顔でそうじゃないという。
それではと言われるままに動いたら、ソファに寝転がったクロルの頭をウィルトスが膝に抱く形に落ち着いた。
普通逆ではないかと思うが、ウィルトスに普通が通用しないのは今に始まった事ではない。
そして質問も付きかけてきた頃、クロルはふと、腫れの引いてきたウィルトスの頬に目をやった。
青く変色しつつあるそこは、見るだけで痛い。
「……まだ、痛いですか?」
ウィルトスは頬に手を添えて、少しだけ考えた。
「触ると痛いですが、放って置けばどうって事ありません」
「ヴィクター少佐の時は避けられたのに、変ですね」
「彼とは喧嘩なれしてますから」
平然と答えたウィルトスに、クロルは目を丸くした。
「びっくりですか?」
「び……びっくりです」
ウィルトスが自慢げに笑う。
「昔、彼がまだ僕の部下だった頃です。あまり年の変わらない僕が上官なのが気に食わなかったのか、見るからに軟弱な僕に命令されるのが気に食わなかったのか、やたらと突っかかってきましてね」
あの、ヴィクターが?
クロルは信じがたい思いで絶句した。
「何度か殴り合いの喧嘩になりました。もちろん、僕は全勝してます。一発でも食らうと本当に
命が危ういので、必死でした」
「よく、ご無事で……」
そうとしか言い様が無い。
ヴィクターの拳が一発でも直撃していたら、ウィルトスが今、五体満足で歩けている保証はないのである。
「その頃から、かっとなると真っ直ぐ懐に突っ込んでくる癖は変わりません。なんども直せと忠告しましたが、頭に血が上るんでしょうねぇ。なので、彼が殴りかかってくる前に思い切り挑発
して、なるべく思考力をそいでおけば助かります。猪突猛進タイプと戦う場合、この方法は最高にオススメです」
お試しあれ、と言われても、さすがに試す勇気は無い。
頭に血が上ったヴィクターが加減して殴ってくれるとは思えないため、当たれば確実に死亡コースだろう。
自分が死ぬのも嫌だが、その後のヴィクターを思うととてもじゃないが、挑戦する気は起きなかった。
巨大なデメリットに反してメリットが一つもない。
「指揮官としては、それ程無能じゃないんですけど……」
思わず、庇うような言葉が出た。
一応自分の一番身近な上官であり、何より大隊指揮官である。遠まわしに単純馬鹿と言われて
は、弁解の一つもしたくなる。
「客観的にコマを動かすのと、主観的に自分が動くのとでは根本的に違います。だから僕は彼を指揮官に推しました。彼は指揮官としては有能です。何せ迫力と人望がある」
褒められると、今度はなんとなく照れくさかった。
自分が褒められている様な感じがしてくすぐったい。
「そんなに嬉しそうにしないでください。妬けます」
「う……嬉しそうになんて……!」
「してました。客観的事実です」
髪を撫でていたウィルトスの手が止まり、ふと、思い出したように唇をなぞった。
感触を楽しむように撫でる指を、追いかけて咥える。
「あ、噛んだ」
「くぁえてうんでふ」
いつも手袋をして生活しているウィルトスは、肌も綺麗でさわり心地もとてもいい。
逃げられないように手を添えて、指を一本一本丁寧にしゃぶると、ウィルトスが楽しそうに笑った。
ヴィクターなら、顔を真っ赤にして怒鳴るだろうに。
「なんだか、赤ちゃんみたいですね」
これである。
「色気的なものはありませんか……」
「残念ながら皆無です」
流石に落ち込んだ。
「じゃあ、教官はどうすれば僕に色気を感じてくれるんですか」
唇を尖らせて聞くと、ウィルトスは虚空を睨んでわざとらしく唸った。
「難しい問題です。まず、色気の定義が曖昧だ」
「質問を変えます。どうしたら教官は、僕に欲情してくれるんですか?」
いちいち面倒な男である。
クロルが溜息さえ吐いて投げかけた質問に、ウィルトスはしばし考え込んだ。
これだけストレートに聞けば、回りくどい定義がどうのという話になってはぐらかされる事はないだろう。
裸で迫っても、『お風呂にでも入りたいんですか?』と聞くような男である。どんな答が出てくるか楽しみだった。
「過去の例を鑑みるに、概ね、クロルさんの感情に依存している気がします」
よく、意味が分からなかった。
クロルが眉間に皺を寄せてウィルトスを見返すと、ウィルトスが嬉しそうに微笑み返す。
「つまり、クロルさんが僕に性的興奮を覚えると、僕もその感情に引っ張られるという事です。と言うわけで、どうぞ遠慮なく僕に欲情してください」
あまりにも受身である。
積極性がまるで無い。
クロルは深く落胆し、もういいですと呟いてウィルトスの膝に顔をうずめた。
「あれ? どうかしました? 僕、何か悪い事しました?」
――どうせ僕は、セックスアピールゼロですよ。
そんな捻くれた思いを胸に秘め、頑なに顔を上げずに押し黙る。
ウィルトスが髪を撫でたり、声をかけたりと機嫌を取ろうとしてくれたが、クロルはヘソを曲
げたまま何の反応も返さなかった。
「わかりました。じゃあ、お風呂に入れてあげましょう」
これでどうだと言わんばかりに、ウィルトスが最終兵器をクロルの鉄壁の城砦に突きつけた。
隔壁が一枚突き崩される。クロルは思わず、ウィルトスの表情を伺った。
「もちろん僕が綺麗に洗ってあげます。マッサージのサービス付です。お風呂上りに冷たいミルクもおいしいです」
全てが素晴らしく魅力的である。これら全てを無視するのは、あまりにも辛い。
「……卑怯な」
思わず呻いた。
ウィルトスが胸を張る。
「参謀ですから」
葛藤は長くは続かなかった。
腕を負傷して以来、髪も思うように洗えなかった今のクロルに、この取引はあまりに甘い誘惑に満ちている。
そして、クロルは陥落した。
「普通、お風呂に二人で入ると、エロ本もかくやな事になるんだけどなぁ……」
ふぅ、と泡を溜息で飛ばし、呟く。
腕まくり膝まくりで湯船のクロルを洗っていたウィルトスは、クロルの呟きに動じた風もなく、
シャワーの蛇口を捻ってクロルを包む泡を洗い流した。
「だいたい、教官服脱いでないし。変ですよ、これ、契約不履行ですよ」
「僕は“おふろに入れてあげる”と言ったんです。約束の通りです」
「詐欺だー!」
文句を言って暴れるクロルに、頭からシャワーを浴びせてシャンプーを洗い流す。水に遮られて言葉が意味を成さなかったが、それでもクロルは文句を言い続けた。
「はい、これで綺麗になりました。気持ちよかったでしょう?」
湯船に湯を張りながら、ウィルトスが楽しげに聞いた。
少し熱めの湯が少しずつ水位を上げて行く湯船に収まりながら、クロルが唇を尖らせる。
「教官と一緒に入りたかったのに……」
「入浴剤をいれましょう。実は先日、あらゆる種類の入浴剤の試供品を大量にもらいました。なんでも、その中から寮の大浴場に使う入浴剤を選ぶらしいです」
「いらないでしょう、そんなもん」
「女性寮限定だそうです。軍人でもお肌は気になるとか……」
それを男の僕が選ぶんだから、妙ですよねぇ、と暢気に言いながら、ウィルトスは一旦浴室を出て、ダンボールを抱えて戻ってきた。
なる程、試供品の山である。
「僕が選んでいいんですか?」
「はい、どうぞ」
湯船から半分身を乗り出して、中身を漁る。
少し機嫌が直った。ウィルトスにしてやられ続けている感が否めないが、わくわくしているの
は否定できない。
「なんか、明らかに女の子向けな入浴剤ばっかですね」
ピンクやらブルーやら、ポップなロゴも愛らしい包装ばかりである。中にいくつか疲労回復や
らをうたった正統派が混ざっているだけで、後は殆ど、美肌やらお肌の引き締めやらを全面に押し出している。
「今回使用するのが女性ですから、企業も女性受けするのを選んだのでしょう。残念ながら、選ぶのは僕ですが」
作戦は見事に空振りといった所か。
ウィルトスが愛らしい包装に踊らされて妙な物を選ぶとは思えない。
「あ、これ面白い」
ぱっと選び出した包装に記された商品説明を読んで、クロルは思わず呟いた。
「お湯がとろとろするんですって。髪に付いたら厄介かなぁ……あ、でも髪についても大丈夫って書いてある」
――お湯を淡いピンクに染め、花の芳香とかすかなとろみが、貴女の心も体も柔らかく揉み解します。
「……狙い過ぎ。却下」
ぽい、とダンボールの中に放り出す。
するとウィルトスがそれを拾い上げ、制止する間もなく浴槽に流し込んだ。
「ちょ……ちょっと教官!? なにやってんですか花の香りですよ! 乙女街道まっしぐらじゃ
ないですか!」
「いいじゃないですか。面白そうです。あ、本当にとろみがついてきた。薄めのローションって
感じですね。全開コラーゲンって感じです」
「やだ。出る」
「だめです。よーくあったまらないと、湯冷めします」
立ち上がったクロルを、たしなめる様な視線で見上げる。
強行して出ようとすれば、恐らく大惨事になるだろう。クロルは常識人の心でぐっと堪え、大人しく湯で満たされつつある湯船に体を沈めた。
「うわぁ、な、なんかぬるぬるする」
「そういう入浴剤ですから」
透明なピンク色に染まった湯から、甘すぎる花の香りが立ち上る。
これで、世の少女達は安らげると言うのか。クロルには到底理解できそうもない世界である。
「うぅ……モンスターの口の中って感じで……」
「入った事あるんですか?」
「ないですけど……」
「歯の無いタイプの分類不能種の口の中には、口に入れた生物を捕らえて逃げられないようにす
るための触手がある事が多いんです。知ってました?」
「知ってますよ、それくらい」
「さすがクロルさん。勉強してますね」
ウィルトスが風呂の湯でぬる付く指で、蛇口を閉める。
急に静かになった浴室が妙に寒く感じて、クロルは粘り気を帯びた湯を手ですくい、恐る恐る
全身を湯船に沈めた。
「……慣れれば、どうってことない……かな」
「ふうむ……感慨深い」
「はい?」
「そそりますね、この絵は」
さすが、いくら若く見えても三十路過ぎである。やや発言が親父臭い。
「悪戯したくなります」
言うなり、ウィルトスが手を湯船につけた。
指先がつ、とクロルの腹部を滑る。
驚いて、クロルは反射的に体を引いた。
「動かないで。狭い所で暴れると、色んな所をぶつけて酷い目にあいます。激しく動くのは、その肩にもよくない」
「きょ、教官……!? いた、悪戯って、ちょ、ふ、服が…汚れれ……!」
「気にしません」
ウィルトスの指先が、緩やかに線を描くように下へと下りて行く。立てた両膝を割って内腿を
くすぐり、ウィルトスは面白そうに笑った。
「のぼせましたか? 真っ赤です」
「鼻血出そうです……」
「お風呂場ですから、構いません。思う存分出してください」
普通、それじゃあ出ましょうか、とか言ってくれる物ではないのか。
クロルが講義の声を上げようとすると、それを察したウィルトスが攻撃を仕掛けてきた。
乱暴に唇を奪われる。
「ま、まって……! きょうか……ちょ……んぅ……!」
本気でのぼせそうだった。
頭の芯がくらくらする。
感触を楽しむように腹や脚を撫でていた手が、いつの間にか胸に触れ、小さなふくらみをやわやわと揉みしだいていた。
重なった唇と、絡んだ舌が喘ぎ声を許さない。
息が苦しかった。
逃れたくて、ウィルトスの肩を叩く。あっけなく許され、クロルは必死に息を吸い込んだ。
浴室の熱く湿った空気が、肺まで水分を運んで行く。
甘過ぎる香りに体の中まで侵食されて、クロルは軽く咳き込んだ。
「まだ慣れませんか。確かに、少し香料がきついかも知れませんねぇ」
「それにつかってる身にもなってください! もう、十分あったまりました。もう、出ていいでしょう? お願いします……おねが……ぁう!」
偶然を装うように、ウィルトスの指が胸の赤い突起に触れた。
何度も、何度も、かするように触れてはまたやわやわと胸を揉む。
ぬるぬるとぬめる風呂の湯が、ウィルトスの指が動くために粘っこい水音を立て、クロルは耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
この程度の事、任務ではいくらでもある。
それでも、相手がウィルトスだと思うとたまらなく恥ずかしかった。
「あぁ、いいですね、その顔。とてもいい」
耳元でウィルトスが囁く。
「自分が今、どんな顔で僕を誘っているかわかりますか? そんなに苛めて欲しそうな顔をして」
「し、してない……そんな顔! 苛めて欲しくなんて……!」
指先で乳首を弾かれ、クロルは思わず言葉を詰めた。
なおも言い返そうとするクロルを許さずに、指の腹で押しつぶし、こねるように刺激する。
クロルは突然与えられた強い刺激の連続に、ウィルトスの服を掴んでいやいやと首を振った。
浴室に響きすぎる自分の声を押さえ込もうと、自らの指に歯を立てる。
「声を殺せば、男は声を上げさせようとより執拗に責め立てる」
「ぁ、や……やだ、きょうか、ダメです! だめ、入浴剤、口に……!」
ベッドで男を操る基礎ですよ、と微笑んで、ウィルトスは粘り気を帯びた風呂の湯でてらてら
と光るクロルの乳房に舌を這わせ、乳首を強く吸い上げた。
ぞくぞくと、背筋に言いようのない感覚が走る。
暑いはずなのに、全身に鳥肌が立った。
「ぁ……あぁ、ひ……ん……」
ウィルトスの頭を抱えるように、柔らかな髪を掴み、掻き乱す。湯船の中で足が踊り、ウィルトスが強い刺激を与えるたびに水音が跳ねた。
「君は本当に、ここが弱いですねぇ」
感心したように呟き、尖らせた舌で押しつぶす。クロルは震える声で悲鳴を上げた。
快楽が苦しい。
苦しい。苦しい。
ようやくウィルトスが唇を離すと、クロルは浅く長く息を吐き、溢れてきた涙を拭いもせずに
小さく首を左右に振った。
「おや、泣かせてしまいましたか」
さして驚いた風もなく、ウィルトスがクロルの目元から涙を拭う。
クロルが嫌がって顔を背けると、機嫌を取るようにその頬に口付けた。
「ごめんなさい。でも、君の泣き顔は凄くいい」
「変態ですよ……そーゆーの」
鼻をすすって横目で睨むと、ウィルトスが深く頷いた。
「知りませんでした? 僕は相当に変態です。だから、泣いてるクロルさんにこんな追い討ちをかけちゃいます」
下腹部にウィルトスの指が触れた。
まさか、と思う間もなく、薄い茂みの奥に長い指が滑りこむ。
「だめです! やだ、教官! 教官!」
慌てて足を閉じるも、無駄だった。
ローションの様な湯がウィルトスの動きを助け、拒もうと伸ばした腕が虚しく滑る。
熱い湯と共にウィルトスの指が胎内に侵入し、クロルは悲鳴を上げてのけぞった。
「や、ぁ……あつッ……やめ、きょうか……!」
「ここでやめたら間抜けでしょう。意味のない要求はしない方が懸命です」
激しく、巧みに、浅く深くかき回す。
視界が霞んだ。
逃れようの無い快楽に全身が引きつる。
絶頂に、果たして達したのだろうか――?
息苦しい程甘ったるい香りの中で、クロルは気を失った。
最終更新:2007年03月10日 02:27