554 :書く人:2007/01/20(土) 02:19:14 ID:M2gY4w99
 優希はコンプレックスを持っていた。
 それは男と思われることがある名前だったり、薄い胸だったり、癖が強くて伸ばしにくい髪だったり、太目の眉毛だったり…。
 だが、それ単体ならそれほどのコンプレックスにはならなかったろう。直接的な理由、それは彼女の想い人の行動にあった。


「ん、今日も女装か、ユーキ?」
「だから女だ」

 朝の通学路で、無表情なメガネの男に優希が言い返す。
 男の名前は薫。優希の幼馴染で、180近い長身は、150少々の優希からは見上げるような位置にある顔は、女性的といっていいほど整っていた。ただしその綺麗な顔は能面のように無表情だった。
 薫は無表情かつ平坦なハスキーボイスのままで、器用にも驚いた風な演出をしてみせる。

「なんと!私は十年以上も騙され続けてきたのか?」
「うっさいな、オカマの癖に!」
「心外だな。私は女体の神秘を妄想して嗜むのが常の健全な高校一年男子だが?」
「そういうエロいことばっかり言わない!このムッツリスケベ!」
「それは違う。ムッツリスケベは黙って卑猥な事を考え、指摘されると否定する奴の事だ。その点私はオープンだが?
 大体、君も男の端くれなら、つまらない授業中などはエロイ妄想を一人で嗜むくらいするだろう?」
「しない!つか、僕は女の子だよ!」
「偽証は罪だぞ、ユーキ。そんな真っ平らな胸の高校生など詐欺げぶっ!?」
「死んじゃえド変態!」

 結局、切れた優希のコブシが薫を黙らせるというのが、いつもの落ちだ。
 この十年以上ネタを微妙に変えたり繰り返したりしながら続けてきた毎朝の遣り取りだ。

(毎朝、よく飽きないよね。薫も僕も…)

 言い合いに一区切り付いてから、優希はため息混じりに思う。
 横斜め上を見れば、一歩半ほどの距離に、無表情な幼馴染の顔がある。いつもの取り立てて感情を読み取れない無表情。
 それを見て、優希は暖かい気持ちと、そして僅かな痛みを得る。
 暖かさの理由は、愛おしさだ。

(やっぱり、僕…好きなんだな…)

 自覚したのは、薫の身長が急激に伸び始めた中学二年の頃だった。何気なく話しかけて、自分より背が低いと思っていた薫の目線がいつの間にか自分より上にあるのを自覚した時、初めて薫が異性である事を、そして自分が女性である事を感じた。
 惹かれたのはいつかはわからないが、自覚したのはその瞬間だった。そして、それは同時に優希のコンプレックスが確定した瞬間でもあった。


(薫は男らしくなってるのに…僕はまだコレだもんね…)

 昔確実に女の子と間違えられていた薫は、今ではそんな事もなくなってきた。普通と比べて骨格は細めだが背も高ければ肩幅も広く、男性的な姿だ。ブレザー姿もよく似合う。
 しかしそれに引き換え自分はどうだ?
 慎重は小学校の頃から数センチ伸びただけ。スリム、というより貧相な肉付きの体。女らしさなど欠片もない。

(……薫がこんな言い合いに付き合ってくれるってことは…やっぱり異性としてみてくれてないんだよね…)

 毎朝、好きな人と気兼ねなく話せるこは掛け値なく嬉しい。だが、その気安さが異性として見られていない故だと思うと、僅かに胸の奥が疼く。

(もし…僕が女の子らしい格好をしたら…)

 例えば髪を伸ばしたり、アクセサリーをつけたり、『僕』ではなく『私』といってみたり…

(ううん。駄目だよね。似合わないもん)

 そんなの、失笑を買うだけだ。それに万が一、変に異性と意識されて距離を置かれたらと思うと…。

(そんなの…嫌だよ)

 今の一歩半の距離感は居心地がいい。時々発作的に襲ってくる、僅かな胸の痛みさえ無視すれば、ずっとこのままでも良いと思える。
 彼女が一人称を僕から直さないのも、言動や格好が全体的にボーイッシュなのも、それが理由だ。
 異性として見られて、二人の距離が二歩分になってしまうのが怖い。だから、あえてオトコっぽく振舞って、今の気の置けない友達という距離をキープしている。

(もう少し…せめてもうちょっと胸が大きくなってから…)

 さっきも薫に指摘された真っ平らな胸。
 厳密に言えば平らではない。しっかりAでは小さくBでは大きいといった微妙なサイズではあるが確かに実在する。
 だがそんな些細な膨らみなど、身長が伸びることを(希望的観測で)見越して買ったサイズ大き目のブレザーの布地に埋もれて、あってなきが如し。
 巨乳じゃなくてもいい。せめて…せめて服の上からしっかり確認できる程度になってから…そいしたら…

「ユーキ!」
「へっ?」

 不意に、薫の声が飛んだ。思考の海から這い出してみると、目の前にすぐに自転車。


 ぶつかる。衝撃への恐怖に体を竦める優希。しかし、ぶつかる直前、彼女の体は横からさらわれた。

「――?」

 いきなり事態に優希の思考が止まる。目に見える風景がぶれた後、体が暖かくしっかりとした何かに受け止められた。
 視界の半分はブレザーの布に埋もれ、半分で止まった自転車が見えた。

「気をつけてくれ。こちらもぼうっとしていたのは認めるがね」

 声は、すぐ耳元で聞こえた。
 聞きなれた薫の声。そして、優希は自覚する。
 自分は…薫に、抱き絞められている。

「あ、ああ。すみません」

 自転車に乗っていた学生服の少年(たぶん中学生)は言葉少なげに謝ってから、自転車をこぎ出した。
 だが、自分とぶつかりそうになった優希は、そんな少年など既に意識から吹っ飛んでいた。頭の中をめぐるのは、布越しに伝わる薫の体温だけで…

「…大丈夫か?」
「っ?」

 めずらしく、本当に心配そうな感情が読み取れる薫の声に、優希は我に帰る。そしてはじかれた様に薫の胸の中から飛びのいた。

「だ、大丈夫!僕、怪我してないから!」
「そうか?」
「ほ、本当だよ!っていうか何ドサクサにまぎれて抱きしめてんだよ!」

 照れ隠しに、自分でも言いがかりだと解るようなことを言う。
 それに対して、薫は少し考えるような沈黙をはさんでから…

「……ずいぶんと酷いことを言うんだな」
「え?」
「私は…君を助けようとした。抱きしめたのはその過程で仕方なくしたに過ぎない。」

 いつもの無表情で語られる言葉に、優希は二重の意味で震えた。
 理由の一つは仕方ないという言葉が示す、自分を異性として見ていないという証拠。
 そしてもう一つは、自分の照れ隠しが薫の感情を傷つけたという事実。

(違うって…照れ隠しだって言わなきゃ)

 思考があせるばかりで言葉が出ない優希より早く、薫はこう続けた。 

「それ以外の意図がないのに…それなのに―――

 ――――ホモ扱いとはあんまりじゃないk「僕は女だよ!」がぼぅっ!?」

 優希が殊勝な態度をとる前でよかったと思いつつ放った拳が薫のレバーに入る。
 頬を膨らませながら歩き出す優希。
 背後から、薫がついて来る気配を感じながら、優希はまだ少し早い心音を確かめるように右手をそっと胸に当てる。
 ―――悲しいほど平べったい。

(やっぱり、もう少し大きくなってからにしよ)

 少なくとも、抱きついた時に薫がドギマギするぐらいのサイズになってから。
 全てはそれからだ。
 それまで愛しい彼が独り者であることを願いながら、優希は歩みの速さを緩めて、再び薫の隣一歩半の距離を歩き始めた。


585 :書く人:2007/01/30(火) 20:06:00 ID:GPAMhwm0

――優希は、薫の変人っぷりを誰よりもよく知っていた。薫は典型的な勉強が出来る馬鹿だった。――いや、馬鹿と天才は紙一重というのを実現しているといった方が正しいだろうか?

 運動はやや苦手だが、成績は常にトップクラス。既に中学の時点で大検(今では高等学校卒業程度認定試験と名前緒を改めた)に合格した上、センター模試で9割を取ったそうだ。
 だが、勉強に脳の用量の大半を傾けたせいなのか、言動があまりにもはっちゃけているのだ。


「む?学園祭実行委員とはなんだね?田中君」
「薫、桃ちゃんは安田だよ?」
「それはいいんだけど、そろそろ企画書提出してくれない?」

 昼休み、優希と薫が弁当を広げているところに桃ちゃんこと安田桃子がやって来て話しかけてきた。
 桃子は学級委員長であり、その役職にふさわしくメガネに三つ編みの少女だ。

「強いて言うなればもう少し性格がきつい方が委員長らしいが、そこまで求めるのは酷というものだろう。隠れ巨乳というキャラで十分補填が効いている。おっとりお姉さん系委員長というのもマイナーながら良き物だ」
「桃ちゃんゴメン。この馬鹿にもう少し説明してあげてくれない?」

 壊れたテレビに対してするように、なにやら妙な電波を受信した薫の頭へ、斜め45チョップを打ち込みながら優希が言う。

「ウチのクラスは第三講堂使って巨大迷路作る予定でしょ。その企画書、期限は今週までなのよ。
 そろそろ出せって生徒会からせっつかれてるのよ」
「ふむ」

 薫は頷いてから焼き卵を口に運んで、もぎゅもぎゅと食べてから一言。

「それは大変だね。しかしその実行委員という奴もけしからん。仕事を滞らせて人に迷惑を「だからそれが薫なんだよ!」ぶぷっ?」

 優希の打撃突っ込みに、薫は一度、目を白黒させてから問い返した。

「なに?私はそのようなものを引き受けた覚えは…」
「この間のホームルーム!薫が目玉を二つ描いたサランラップを顔に巻き付けていた時に、桃ちゃんにやってくれない?って言われて頷いたじゃないか!」
「ん?目玉?サランラップ?―――おお!あの新発明試作三号機をテストしていた時のことか」
「…参考までに聞くけど、何の試作?」
「うむ。授業中に教員の心象を傷つけることなく睡眠を取るための器具の事だ。瞼にあたかも起きている時のような迷彩を施す一号機、パンスト地に目を書いてカモフラージュする二号機に続く最新作だ。
 一号機の毎回の設置にかかる手間と、二号機のパンストの色と肌の色の違いによる露見という二つの問題を解決した逸品だ。素材がポリ塩化ピリニデンなだけに機密性が高く蒸れてしまうのが唯一の欠点だがな。
 しかし…やはり至近距離からよく知る人物に見られるとばれてしまうのか。通気性の他にも改良の余地があるな…。どう思う、ユーキ?」
「自分から聞いといてなんだけど全部無視するね。
 でさ、ともかく薫はその時指名されて断らなかったどころか頷いてたじゃないか!」
「…だから?」
「だぁかぁらぁっ!薫がその学園祭実行委員なんだよ!」
「!それは本当かね山田君!?」
「もう一度言うけど彼女は安田だよ!」
「ホント、仲いいよね、二人とも」

 諦観交じりに桃子は肩をすくめる。


「ともかく、今日は水曜だから明後日までに二人で企画書作って提出ね?」
「二人って、どうして僕も入ってるのさ?」

 不満げに言う優希に桃子は笑顔で言う。

「連帯責任よ。だって優希ちゃんは薫君の飼育係でしょ?」
「……桃ちゃん、なんか結構凄い毒吐かなかった?苗字間違えられるの怒ってる?」
「うふふ。何のことかな?
 あ、ひょっとして、本当は飼育係じゃなくて奥さん、って呼んで欲しかったの?」
「っにっ!?」

 桃子の言葉に優希の顔が赤くなる。
 この奥さんネタは桃子に限らず優希と薫の二人を知るものなら必ず使ってくるお馴染みのネタなのだが、しかしそれでも慣れるものじゃない。
 そして、この後に続く展開もお馴染みだった。慌てるあまりちゃんと喋れない優希の横で薫が間髪いれずに口を開いて曰く

「何を言っているのかね、田原君?私にゲイの趣味はあべふゅっ!?」
「もう一々言葉にはしないからね!?」

 薫の右頬にコブシを叩き込みつつ優希はようやく落ち着きを取り戻す。
 そんな二人の様子を、桃子が楽しそうに眺めながら言う。

「ま、兎に角お願いね、優希ちゃん。薫くんだけに任せるとどんなとんでもないのが出来るかわかったもんじゃないし」
「う、うん…仕方ないよね」
「それに…」

 桃子は微笑んでからそっと耳元に口を寄せて

「放課後に二人っきりで作業――チャンスだよ?」
「…!?も、ももも!」
「じゃあ、ヨロシクね」

 優希がまともな言葉で反応を返す前に、桃子は身を翻して去って行った。
 残されたのは顔をいよいよ赤くした優希と、相変わらず何を考えているのか解らない無表情の薫だけ。

「ま、まったく、桃ったら何を言ってるんだよ…」

 独り言を吐いてから、優希はちらりと、隣に座る薫の顔を盗み見る。
 薫は、何もなかったかのように、悠然と白米を口に運んでいた。

(聞こえて…なかったよね?)

 言動が一々馬鹿だが、薫は頭がいい。桃子の一言でこちらの好意に気付いてしまう可能性だってない事はないのだ。

(けど…ちょっと残念かな?)

 薫が自分の気持ちに気付いてくれたら…この胸を苦しめている感情にも決着がつく。だが…

(……やっぱり、怖いな…けど…)

 振られて、ギクシャクして、二人の距離が遠ざかってしまう。女としての魅力に欠ける自分の想いの結末などきっとそうなることだろう。
 けれど…


(もしも…もしも僕の気持ちを受け入れてくれたのなら…)

 好きだといわれて、手をつないで歩いて、キスをして、それから…それから…

(それから…家に誘われて…押し倒さ…れて…ぅぁっって!僕は昼真っからなんて妄想を…!)
「ユーキ?」
「ふひっ!?」

 ぼそりと、まるでふしだらな自分を見咎められたかのようなタイミングでかけられた声に、優希は体を硬直させる。

「にゃ、にゃにかにゃ、薫君!?」
「すまないが、少し真面目な話だ。ふざけないでくれ」
「ふ、ふざけてなんか―――それで、何?」

 やや不機嫌な様子を取り繕う優希に、薫は何の躊躇いもなく切り出した。

「うん、ずっと考えていたんだが―――付き合って欲しい」
「え?」

 鳩が豆鉄砲を食らったような表情で、優希は目を見開く。
 付き合う?誰が?薫が?僕と?

「うぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
「嫌かね?」
「い、嫌も何も!えっ、どうして!?」

 どうしていきなりそんなことを言うのか?というか、どうして自分の気持ちに気付いたのか、という問いに薫は何のためらいもなく…

「?黒田君の発言が理由なのだが?」
「―――っ」

 桃子は安田だという突っ込みも忘れるほどに、優希は混乱する。
 やっぱり!あの時聞かれていたんだ!で、それで気付かれて…それで…薫が…僕に告白を…。
 コレは夢かもしれない。優希は現状が夢である事を確かめるように、しかしそれが夢であることを恐れるかのように問い直す。

「ほ、本当に、本気なの?」
「ああ。何をそんなに驚いている?私には君しかいない」
「えっ、あ、う、うん…」

 照れの要素が欠片も見えないまっすぐな言葉に、優希は顔を赤くして俯くしかできない。
 そ、そんな、僕だけなんて…だ、だって、そんなこといわれちゃうと…ぁぁぅっ…
 何を言おう、何て言おう?
 混乱する頭で必死に考えているところに、薫が更にこう付け加えた。

「では、今日の放課後、君の部活が終わったらすぐ家に来てくれ」
「―――今日!?」

 い、いきなり家に誘われる!それは、つまりそういうこと!?手をつないでデートも、ロマンチックなキスもすっ飛ばして、いきなり!?
 嫌ではない、嫌ではないけれど、少し急すぎる!

「急すぎるんじゃないかな!?あ、もちろんいずれはって思ってるけど、僕としてはもう少し段階を踏んでから…!」
「すまないがそんな時間はない。それほどまでに、私は差し迫っているんだ」
「が、がっつくのはカッコ悪いよ?それに僕、逃げたりしないし…」
「君が逃げようと逃げまいと提出期限は迫ってくるが?」
「提出期限って言われても………提出期限?」

 恋愛とは無縁な四字熟語に、優希は眉根をひそめ、少し冷静になった脳味噌で考える。


 期限?何の?付き合うって…つまり…

「ひょっとして……
 ……企画書作るの手伝って欲しいってこと?」
「なんを勘違いしていたのかね…というか、他に何があると?」
「……」

 再び鳩が豆鉄砲な顔になる優希と、そしてそれを眺める薫。
 しばらく長閑な時間が流れた後

「薫の……バカァァァァァァァァァッ!」
「な、なぜばぶふぉっ!」

 理不尽とは思いつつも、弄ばれた怒りは消えるはずもない。
 思わず放ってしまった拳は、薫を殴り飛ばした。


「き、極めて理不尽な気がするのだが…?」
「知らないよ、馬鹿!」

 コンクリートの上でのびる鈍感な幼馴染を尻目に、優希は残った弁当をやけ食い気味にむさぼった。


596 :書く人:2007/02/01(木) 01:30:26 ID:EY8eLhJG
「ふぅ…ま、待たせすぎちゃったかな?」

 軽く息をついてから、優希は立ち止まる。立ち止まったのはマンション――それも入り口で暗証番号を入れなくてはならないタイプのマンションだ。

「あ、汗臭く…ないよね?」

 マンションの入り口で、優希が自分の身なりを確認していた。
 ジーパンにトレーナー。足元はスニーカー。手に提げたバックの意匠は少々女の子っぽいかもしれないが、それを抜きにしてみると、どこからどう見ても…。

「…女の子っぽくないなぁ…」

 ガラスに映る自分の要望に、優希はため息をつく。


 屋上では殴り倒してしまったものの、やはりあの薫にだけ任せては何をするかわからない。結局優希は薫を手伝う事にして――その段になってはっとした。
 そういえば、薫の家に行くのは小学校以来だ、と。
 そう。内容はどうあれ薫の、好きな異性の家に招かれたのだ。
 こうしてはいられない!
 優希は授業終了とともに教室を飛び出し――

「東三条さん!今日は試合よ!」

 しかし校門の所で苗字を呼ばれて捕まった。
 立ち止まって背後を見てみれば、そこにいたのは柔道部部長。さらにその背後には空手、剣道、長刀など、格闘技系の部活の部長が勢ぞろい。
 その面子を見て、優希は思い出す。

「あ、そういえば今日は…」
「ええ。西高との交流試合よ」

 言われて、優希は頭を抱えた。


 雰囲気で理解できるとは思うが、西高は優希が通う高校のライバル校。そして優希は毎月の対抗試合に助っ人として借り出される。
 優希の家は武家の末裔であり、優希も幼い頃から武芸百般を仕込まれている。
 その事について、優希は自分を不幸だとは思わなかった。今日、この瞬間までは。
 一刻でも早く家に帰り、おめかしの一つでもしたいところだ。しかし約束を破ることも出来ない。
 結局校門で右往左往しているところにやって来た薫に

「約束を破るのは男らしくないぞ?
 私の方は終わってからでいいので、その破壊的なパワーで全てを雄雄しく薙ぎ払ってきたまえ」

 と言われ、とりあえず「男らしくってなんだよ!」と薫をなぎ払ってから、試合に臨んだ。
 柔道では全てを一本勝ちで沈め、空手では30秒で三本先取し、弓道では的の中心に数ミリ誤差で矢をぶち込んで―――


「私は、あそこまで燃えていた東三条を見たことがない。
 あの気迫―――関羽呂布も避けて通るだろう」


 試合に立ち会ったとある生徒が、その時の優希のことを後述したとかしないとか。
 ともかく、乙女の純情が伝説の武将を上回ることを証明した優希は、交流試合最高の結果を記念した打ち上げを辞して、ダッシュで帰宅。
 これ以上待たせる訳にはいけないと、箸って帰ってシャワーを浴びて、適当に目に付いた服を着て薫の家に走ったのだった。


「うううっ…。やっぱりちゃんとおしゃれしてきたほうが良かったかな…」

 後悔先に立たず。優希はガラスに映る自分の姿にため息をつく。
 スカートや化粧、とは言わない。せめて上をトレーナーじゃなくてブラウスにして来た方が…。
 いや、しかし家が近いとは言え、今から帰って着替えると言うのも…

「…って、何を考えてるんだよ、僕は!今日は学園祭の企画書手伝いに来ただけじゃないか!
 それに、霞さんだっているだろうし」

 薫は一人暮らしではない。大学生の姉である霞と二人暮らしだ。ちなみに両親は外国の大学で、よく解らない研究をしているらしい。

「……何を変な風に意識してるんだろ?」

 状況を少し冷静に鑑みれば、気持ちは急激に冷めていく。
 別に、薫は自分を女の子として家に招くつもりはない。あくまで企画書を作る手伝いとして呼んだだけだ。
 彼が自分をあっさりと呼べたのは、そもそも薫が自分のことを異性と認識していないからだ。
 お洒落をしたところで「罰ゲームかね?」と言われて終わりだろう。

「……なんか本当に言いそうだなぁ…」

 自分の想像に凹みながら、優希は呼び出しのボタンを押したのだった。



「遠慮なく入りたまえ」
「う、うん」

 やや緊張した面持ちで部屋に入った優希は、その部屋の様子を見て緊張を解く。

「意外と…普通だね」
「何を期待していたのかね?」

 不思議そうに言う薫の部屋は、想像に反して普通だった。
 窓際にベッドと勉強机。本棚が一つ。唯一個性的と言えるものは勉強机以外にもう一つテーブルがあり、そこには妙にサイズの大きなコンピューターと、それに接続された何かのグラフを表示している複数の画面。
 ボタンが三つ以上ある機械(携帯電話含む)が苦手な優希は、首をかしげてたずねる。

「これって…なに?」
「ああ。最新モデルの漬物石だ。今は沢庵を漬けていごぅっ!?」
「いくら機械音痴の僕だってコレがコンピューターだってことぐらい解るよ!
 これで何をしてるのかって質問してるんだよ。
 最近話題になってる「おんらいん・げーむ」っていうやつ?」 
「オンラインゲームは既に最近話題の物ではないが…まあ、ゲームと言えばゲームだね。
 マネーゲームと言ってね。ニューヨーク、東京、ロンドンを舞台に、現実的には鼻をかむ以上の利用価値のない紙切れを、あたかも金銀財宝のように価値があるものとして扱って、安く仕入れたそれを法外な値段で売りさばき、暴利をむさぼると言う趣旨のゲームだよ」
「よくわかんないけど…あんまりそういうの、はまっちゃ駄目だよ?
 薫は何かに嵌ると周りが見えなくなるタイプなんだからね。
 引き篭もりにならないか心配だよ……って何だよ、その微妙な視線は?」
「いや、君はもう少し新聞を読んだりニュースを見たりするべきだなと思ってね」
「なっ、ど、どういう意味だよ!」
「そのままの意味だ。……では、少し出かけてくる」
「え?」
「食料の備蓄がなくてね。6時から近所のスーパーがタイムセールに入るので、私と姉の分の食料をそこで調達せねばならない。
 ついでに君に出すジュースとお菓子でも買ってくる。リクエストはあるかね?」
「あ、別にいいよそんな気にしなくても…」

 と、優希が言い終わるより早く、彼女の消化器官は主人の意思に反した声を上げた。
 即ち

 ぐ~~~~

「……ぁぅっ」
「……ふむ。ハングリー精神旺盛「聞くなぁっ!」こぉっ!?」

 恥じらい真っ赤になった優希は、恥じらいとは程遠いハイキックを薫の即頭部に叩き込む。
 理不尽と言えばあまりに理不尽な攻撃だったが、そこは流石に慣れたもの。薫は軽く頭を振ってから、壁のハンガーにかけていた上着を手に取る。

「――ううむ。少し世界が揺れるね。
 兎に角。何か腹に貯まる物でも買ってくるよ。君も試合でカロリーを消費しただろうからね」
「そ、そうだよ!僕のお腹が鳴ったのは今日は沢山動いたからで、いつもはこんなんなじゃいんだからね!?」
「了解した。それはそうと、机の上にとりあえず書いてみた企画書がある。完璧は期してはいるが、私が帰ってくるまでに問題点をチェックしておいてくれ」
「OK」

 腹の虫の泣き声を聞かれた事の恥ずかしさが抜け切れない優希は、まだ赤さの残る顔のままか薫の勉強机に向かう。
 薫は彼女が企画書を手に取るのを確認してから歩みだし、

「あ、そうだ。ユーキ」

 彼が部屋から出る直前、薫は何かを思い出したかのように立ち止まる。

「言っておく事があった」
「何?」

 背もたれのスプリングを軋ませながら、薫の方をみずに返事を返す優希。
 薫はそれに気を悪くしたような様子もなく続けた。

「部屋は自由に使ってもらってかまわないが、ベッドの下だけは覗かないで欲しい」
「別に覗くつもりはないけど、何で?」
「エロ本がある」

 がたーん

 優希が椅子ごとひっくり返った音だ。
 受身も取れずにフローリングに叩きつけられた優希だが、その物理的衝撃よりも精神的衝撃の方が大きかった。
 一瞬呆然としたまま、天地真逆な薫を眺めた後、勢いつけて(その上ベッドの下が目に入らないように)立ち上がり、烈火のごとく食って掛かる。

「な、ななななな、何!?どうして!?」
「質問の意図が不明だ、ユーキ。それと、痛くはなかったかね?」
「痛くないよ!それよりなんでそんなもん持ってんだよ!」
「なぜと言われても、私は健全な思春期の男子だ。当然性に関する興味もあり、また欲求も貯まっている。その興味と欲求を満たすために、しかるべき文献、資料を持っているのは普通の事だろう?」
「そ、それはそうかもしれないけど……ど、どうして僕に言うんだ!?」
「もちろんみられると恥ずかしいからだ」
「じゃあそもそもそんな物がどこにあるかなんて言うなぁっ!」
「仕方あるまい。女性とは男の部屋に入ったらエロ本を探し、確実に見つける生き物なのだろ?」
「どこでそんな歪んだ知識を…」
「霞が言っていたし、実行していた。実に羞恥プレーだった」
「あ・の・ひ・と・かぁぁぁぁっ…」

 目の前の変人に輪をかけて掴みどころのない女性の笑顔を思い浮かべながら、優希はやり場のない怒りに脱力する。


 床にへたり込む優希を尻目に、薫は言うべきことは全て言ったというふうに、きびすを返した。

「では、出かけてくる。
 くれぐれもベッドの下は覗かないでくれたまえ?私にも人並みの羞恥心というものがあるのだからね」
「覗かないよ!」

 追い出すように優希は叫び、そして薫は出ていた。
 扉を閉めて、次いで玄関が開け閉めされる音がする。

「全く、あの変態は…」

 赤さが引かなくなった顔で、優希は一人で呟く。
 その呟きに、返答はもちろんない。
 部屋に満ちる沈黙。時々、起動させっぱなしのPCから、カリカリという音がするだけ。

「き、企画書!そうだよ、企画書を検査しないと!」

 突然優希は大声で叫ぶと立ち上がり、なぜか天井を見ながら机に歩み寄る。

「そうだ!まずは椅子を立てないと」

 またもや大声の独り言を口にしてから、しゃがんで倒れた椅子に手をやる。
 その時、偶然ベッドが目に入った。厳密にはベッドの下の空間が。

「―!?僕はき、気になんてならないぞ!ならいったらならないんだから!」

 誰にともなく言って、椅子を立ち上げ座る。

「さぁて!企画書にはどんな事が書かれてるかなぁっ!」

 明るい口調を心がけつつ、企画書を手に取る優希。だが…

「ふんふん、ヤッパリ壁は新聞紙が素材かぁ…」

 だが、その意識は――

「一定間隔ごとにダンボールで三角形の柱を作ってビニール紐で…」

 ――手に取った紙切れなんかより――

「あっ、なんだよこの赤外線センサーって!」

 ――ベッドの下の暗闇に――

「電撃って死人が出るよ!っていうか、心臓が弱い方はご遠慮って言われても…」

 ――正確にはその暗闇の中にあると言われたものに――

「全く何を考えて…」

 ――興味が―――

「何…を…」

 ――興味が惹かれるのだ。


 鳴らした喉の音が、物凄く大きく聞こえた。
 目は既に、ベッドの下に釘付けになっている。
 興味があった。それはもう物凄く、だ。
 それは単純な性的な興味だ。次の誕生日で十六になる少女にとってみて、そういう方面への興味は無尽蔵といっても過言ではない。
 まして彼女の家はそういうのには厳しく、優希はその方面の知識を得る機会がない。故に、その反作用的に、まるで不足した栄養を求めるかのように、精神がその知識を求める。
 だがそれ以上に、優希は気になることがあった。

(どんな…女の人だろう?)

 本に描かれている女性はどんな感じだろう?
 スレンダーか、豊満か?
 背は高いか低いか?
 胸は?腰つきは?肌の色は?
 それは―――自分と比べてどうなのか?

「どう…なのかな?」

 不安と、期待と、そして嫉妬。
 自分の想い人が獣欲を叩きつける対象に対する興味とそれ以外の様々な感情。


 気づいた時には、優希はベッドの前にしゃがんでいた。


611 :書く人:2007/02/05(月) 19:51:52 ID:TGT9IzQt
 
優希は知らなかった。彼女に向けられた視線のあることを。



「本っっっ当に、どういう神経してんだろ?」

 優希は正座してため息を付く。
 彼女の目の前に置かれているのは桐の箱。
 そのフタには、草書体で一筆したためられていた。

『ゑろ本』

「しかも妙に達筆だし…」

 優希が見つめる箱は、ベッドの下から取り出したものだ。
 その蓋に書いている文字と、薫の言葉からして、この箱の中身は間違いなく

「薫の……おっ、おかず、って奴なんだよ…ね?」

 改めて、緊張に背筋を伸ばす優希。戸惑いはあるが、しかし躊躇いはなかった。

(だって…チャンスじゃないか)

 兵法に曰く、敵を知り己を知らば百戦危うからず。
 そういう意味では、これは薫の嗜好を知るまたとない機会だ。
 自分もそれに合わせていけば、ぐっと戦いは楽になる。
 まあ、薫の趣味がボン♡キュッ♪パーン☆の金髪美人とかだとしたら優希には成すすべもないのだが…。

「(ごくっ)」

 生唾を飲んで、小さく深呼吸。

「いきます」

 そうしてから、まるで遺跡から出土した副葬品の入った箱でも開くような気分で、その箱の蓋を取り…


 電子音が、鳴り響いた。


「ひっ!?な、何!?」

 耳を劈くようなピピピピという電子音。それは目覚ましと言うより防犯ブザーの音。
 箱の中から聞こえるその音は、隣のお宅にまで届きそうだ。

「と、止ま!止まぁぁぁっ!」

 混乱した優希は蓋を閉めるが、電子音は健在なまま、高級木材越しに鳴り響く。
 その駆り立てるような電子音に優希の混乱は増す。
 音がする!警報だ!お巡りさんだ!逮捕だ!裁判だ!どうしようどうしようどうしよう!?
 支離滅裂な思考のまま、とりあえず音を抑えなくてはと、優希は反射的に目に付いたものを手に取る。
 それはベッドの上の掛け布団。優希は手に取るとそれを箱の上から被せ、さらに上から覆いかぶさる。
 布団の中の羽毛は音を吸収し、音をずいぶんと小さくする。
 だが、それは小さくなっただけで厳然として部屋中に響いている。

「と、止まれ!お願い、止まってぇぇぇぇっ!」
「スイッチを切れば止まるのではないかね?」
「はっ、そうか!」

 背後から差し出された助言に従い、優希は起き上がると毛布を取り払う。
 再び大きくなった電子音にひるまずに、蓋を開ける。その中にはなにやら小さなプラスチックの箱。
 箱には発光ダイオードとスイッチが付いている。

「コレだ!」

 優希はその小さなスイッチに手を伸ばす。
 かち、という音がすると、警報は止まった。
 打って変わって部屋に満ちるのは、耳が痛くなるような沈黙。

「はぁ…た、助かったぁ…」

 尻餅をついてその場にへたりこむ優希。

「大丈夫かね?」
「う、うん。ありがと。スイッチの事、教えてくれて」

 薫のいつも通りの落ち付き払った声に、優希は驚愕に乱れた呼吸を整えながら返事をした。
 そこで優希は気が付いた。

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!?」
「声にならない悲鳴と言う奴だぼひゃっ!」
「なななんあ何でこんな所にいるんだよ!?」
「…、き、君はここが私の部屋である事を忘れていないかね?」

 軽く頭を振ってから、部屋の持ち主である薫は頭を振る。

「出かけたんじゃなかったの!?」
「ああ、出かけたとも。ただ、財布を忘れたのを口実に戻ってきたのだよ。
 そうしたら偶然にも君がエロ本を見ようとしていた、と言うわけだ」
「…っ、そ、れは…」

 優希は思わず視線をそらす。その視線は偶然優希があけた箱の中に入った。
 中身は…

「……デカメロン?」

「うむ。西洋文学史上最初の官能小説といわれる作品だよ?」

 騙された。
 デカメロンなる作品がどんなものかは知らないが、その文庫本の装丁からみて、年頃の青少年がハァハァするようなものではないだろう。
 騙された。見事に騙されたのだ。
 巧みな発言に踊らされ、誘導され、そして…

「しかし、よもやこれほどあっさり引っかかってくれるとは思わなかったよ、ユーキ」

 …エッチな本を見ようとするところを…

「ああ、安心してくれたまえ。別にとやかく言うつもりもはない。私も男だ、君のエロい気持ちはよくわかる」

 …見られた。

「まあ、流石にお宝を本当に披露するのは……ユーキ?」
「えっ?」

 声をかけられて、優希の思考は現実に帰還する。
 不審そうに見つめてくる薫の視線を受けて優希は―――笑ってみせた。

「アハハハッ!確かに思いっきり引っかかっちゃったよ!?」
「――そうだね。見事な引っかかりっぷりだったよ」
「うん!全く人が悪いな、薫は。けど、そうなるとやっぱり本物はどこか別の場所にあるわけだ」
「あ、ああ。もっとも、流石にその場所は教えられないがね」
「ふうん…探しちゃおっかな?僕、結構興味あるし」
「それは勘弁してもらいたいね。もっとも、君に探し出せるような場所には置いていないがね」
「ふうん…そりゃ残念。で、もう買い物は終わったの?」
「いや。玄関を開け閉めした以降は廊下に潜んでいただけだから…」
「じゃあ早くしたほうがいいね!タイムサービス終わっちゃうよ?」
「―そうだね」

 優希はそういうと、薫の背中を押して、まるで追い出すように見送る。
 その態度に、薫は強い違和感を感じたものの、それが何か全くわからず、首をかしげながらも部屋を出る。

「それでは行って来る。ああ、それはそうとエロ本を探すために部屋を散らかすなどと言った事はなしにしてくれよ」
「しないよ!ほら、いったいった!」
「―――うむ、行って来る」

 違和感を拭い去れないまま、薫は玄関へと行き、今度は本当に家を出た。
 扉が閉まる音を聞きながら、薫はとりあえずの結論に達した。
 どうやら自分は、優希の気分を損ねたらしいということだ。理由はわからないが、そういうことなのだろう。

「―――たしか…優希はカリントウが好きだったな」

 ならばジュースより茶の方が良いかと、薫は足早に歩きながら考えた。


 薫が去った後も、優希は笑顔だった。
 ただ笑顔のまま、手を握り締める。
 その時だった、電子音がした。だがそれは先ほどの警報とは違う、一定間隔のリズムのある音だ。

「…携帯?」

 自分のは何の反応も示してこない。
 となると、別の電話だ。優希が部屋を見ますと、机の上の充電器にその音源を見つけた。

「薫…忘れていったのかな?」

 近づいて、出るべきかどうか悩んでいると、折りたたまれた表側の液晶に流れるドット文字に見知った名前が見えた。

 KASUMI

「霞さん?」

 知っている相手なら、出るべきかな?
 優希はそう思って携帯を手に取り通話ボタンを押す。

「もしもし?」
『お、女の子ぉぉぉぉぉぉぉっ!?』

 受話器越しに飛び出てきたのは、驚愕に彩られたハスキーボイスだった。
 薫の声に似ているが、少し音程は高く、感情に彩られている。

『えっ、どうして!?これ、薫ンの番号で…ってことは出ているのは薫ンなんだらしてかおるが女の子に完全変態!?
 …あ、待てよ。そうか!薫ンも男になったんだぁ…』
「えっと…何か勘違いしてると思うよ、霞さん」
『む?勘違い?ってーとまだ薫ンはCherry?ひょっとして、挿入直前に電話かけちゃった?萎えさせちゃった?
 って、おや?この耳に心地よいソプラノボイスは…ひょっとて優希っち?』
「うん。僕だよ」
『おおう!なんと!
 我が親愛なる弟君の童貞貰ってくれるのはやっぱり君だったか優希っち!
 実に本命だ!ディープでインパクトな程に手堅いね!末永く薫ンの馬鹿をよろしく頼むよ?』


 ハイテンションに続く霞の声。その言葉は勘違いに彩られている。
 そう、そんなんじゃない。だって…

「ふふっ。何言ってるんだよ?僕、薫とそんな関係じゃないよ?」
『またまたぁ~。そんな事言っておいて奥さん♪二人とも凄くお似合いじゃないですかぁ?』
「本当にそんなことないよ」

 そう、そんな事はない。ありえるはずない。

「だって…」

 なぜなら…

「僕…薫に…」

 エッチな本を見ようとしているところを見られて―――

「かお…る…に…H、な、奴だって…女の子ってだって…見られ…て、なくて…」

 途切れる声で、言葉をつなぐ優希。
 自分は、女の子だと思われていない。思われていたら、あんな悪戯はされないだろう。
 それにもし、女の子だって思われていたとしても、あんな…エッチな本を見ようとしていた所を見られたら、軽蔑されるに決まってる。
 目頭が熱くなって、涙がこぼれそうになる。
 けれど、それを意地で堪える。
 だって、もし、もしも少しでも許してしまったら、きっともう止まらないから…。
 だが、それほどに必死で我慢しているところに

『……優希ちゃん?』

 携帯越しに、霞の声が届く。
 軽薄さが抜けた、気遣いを含んだ落ち着いた声は、どこか薫の声に似ていて…


 限界だった。


「う…うぁ、ぁ、ああああああああああああああああああああああああっ!」


 ああ、こんなに泣いたの、いつくらいぶりだろう?
 自分の声を聞きながら、優希の心の中のどこかが、冷静に呟いていた。


『落ち着いた?』
「うん…」

 泣いたのは、十分程度で済んだ。
 やはり電話越しであっても、誰かに聞いてもらえたからだろうか。
 少し軽くなった胸で、優希はお礼を言う。

「ありがとう、霞さん。それと…ごめんね」
『いやいや…馬鹿な弟がしでかした事だからね。こっちこそゴメンね、優希っち』
「ううん…僕が悪いんだよ。覗くなって言われてたのを覗いたのは僕なんだから…」

 そう。客観的に見れば、覗くなといわれたのを覗いた自分にこそ非がある。
 それに、薫はその事で、本気でからかってはいないし、軽蔑もしていない。
 覗いたのも自分なら、泣いたのも自分だ。
 自業自得だね。
 優希はそう結論付けるが、しかし電話の向こうの聞き手は、全く同意できないらしかった。
 携帯越しに、身もだえる気配が伝わってくる。

『…ぅああああっ!もう、健気だなぁ、優希っちは!それに引き換えあの玉無し薫ンは…!』
「か、霞さん?」
『にょわぁぁぁっ!もう辛抱たまらん!もう少し薫ンの可愛くも無様な姿を見ていたいと思っていたけど、中止!
 これ以上こんな良い子を辛い目にあわせるわけにはいきません!
 ―――優希っち!』
「は、はい?」

 電話越しにも伝わる気迫に、優希は素直に返事をする。
 霞は少し神妙な口調に戻る。

『こういうのは、第三者の介入で解決するようなもんじゃないとは思うけど…ここは、助けさせてもらうわ。
 …口でどうこう言っても信じてもらえないでしょうから、証拠を見せるわ。
 優希っち、英語とドイツ語の本が詰まってる棚わかる?』
「えっ?――う、うん」

 優希は壁際に立てられた本棚の前に立つ。確かに一列、アルファベットが表題になってる本が詰まっている本棚が合った。

(こんなの読めるのかな?)
『うん!じゃあさ、その中の本を全部引っ張り出して?』
「ぜ、全部?」
『そっ!終わったら上の段の棚を底を下から覗き込んでみ』
「う、うん」

 やっている事の意味が解らぬものの、優希は素直に従ってハードカバーを取り出す。
 それから身をかがめて。開いた隙間から、しゃがみこむようにして、上の棚の底を見上げる。

『PINK天国』『ドピュドピュ倶楽部』『オレンジ写真堂』

「――――!?!?!」
『よっしゃ!ビンゴ!そこだったか!』
「な、なんあなっ!?」
『落ち着きなよ、優希っち。それらこそ、我らが薫ンの夜のお供、E・RO・HO・N様だ!』
「ど、どうしてこんな所にっ!?」

 まるで裏帳簿か何かのような隠し場所に、優希は目を丸くする。


『そりゃま、私が部屋に入るたびに探し当てるからじゃない?
 最近は武士の情けでわざと指摘しないでおいてやってるけどぉ~』
「……僕、薫があんな性格になった理由がわかった気がするよ」
『うっふっふ、照れるなぁ。
 ま、そんな事よりも―――開いてみて?』
「えっ…?」

 霞の指令に、優希は初めて躊躇いを覚えた。
 もし、コレを見てしまったら…本当にHな本を見てしまったら、そして、万一それをかおるに見てしまわれたら、言い訳が出来ない。
 薫を怒らせてしまうかもしれないし、今度こそ本当に、スケベな女だと軽蔑されてしまうかもしれない。

『遠慮しなさんなって。ここまで来ちゃえば毒食わば皿まで。
 それに、万一の時は私に無理やり言うことを聞かされたってことにすれば良いからさ…』
「け、けど…」
『いいから…信じてよ』

 エロ本を読めという命令に対して信じるも何もないとは思ったが、ここまでしてしまえばもはや今さらだ。
 霞の言うとおり、毒食わば皿まで、だ。

「……うん」

 優希は恐る恐る、嵌め込まれた本を取り、開く。

「うわぁ…っ」

 言葉が、出なかった。そこで繰り広げられる痴態は、もはや優希の想像をはるかに超えていた。
 まず、撮影場所が布団やベッドの上でないどころか、お風呂やソファーだったりする。それだけでも想像の埒外だというのに、中には公園で撮影されたものもある。
 やってる事も彼女の常識を突き破っていた。被写体は見せ付けるように(実際見せ付けているのだが)、様々な格好で股を開きながら、秘所を見せ付ける。
 しかも見せ付けるだけに留まらず、あるときは自分で開き、あるときは指やよく解らないおもちゃ、野菜をくわえ込む。男根などむしろ入っているのが当たり前という勢いだ。
 極めつけは、口だ。男も女も、平気で相手の性器に口をつけ、舌を這わせる。
 特に女達は、必ずといって良いほど、白い粘着質の何かを口に含むカットを撮影している。
 精液。
 本能的に、その粘りの正体がわかった。
 そして、それと同時に、本の何ページかが、まるで水を零して乾かしたかのようになっている理由についても心当たってしまった。
 ここに…薫が…アレを吐き出したんだ…。
 そう考えると、まるで、薫の匂いがしてくるようで、優希は酩酊を覚えた。
 衝撃に近い感情を得ながら、もはや内容すら頭に入らず、機械的にページを捲ってゆく優希。
 その途中、一枚の紙切れがページの隙間から舞い落ちた。

「あっ…」

 落ちたのは写真だった。
 表向きに落ちたそれを見て、優希は息が止まるほど驚いた。
 それは、今彼女が手にしている本のどのページを見たときよりも、はるかに大きな衝撃だった。
 一人の、ブレザー姿の少女の写真だった。
 髪は癖っ毛。眉毛は太め。サイズが若干大きすぎるブレザーに袖を通したその姿は―――


「…私?」


 優希が写真の中で、薫の隣に立ちながら笑っていた。


629 :書く人:2007/02/08(木) 01:07:41 ID:gilIV+o2
『ふぅん…優希っちって『私』って言ったりするんだぁ~』
「え?今、僕、私って…けど、だって、似合わないし…」
『うっふっふ。そんな事ないわよ。だって…濡れてるでしょ?』
「っ!!」

 言われて優希は初めて自分の股間部分――秘口が湿り気を得ているのに気付いた。
 何で解ったのか?優希ははっとして

「か、隠しカメラはどこ!?」
『あ、やっぱ濡れてた?
 んっふっふ~、お姉ちゃんの勘に間違いはなかったわねぇ。
 っていうか、傍から見ても解るくらい濡れてるなんてぇHっ♪
 のほほほほっ!」
「ぅぅ…」

 妙な笑い声を上げる霞に翻弄される優希。
 通話を切ってやろうかとも思った頃、不意に霞が声のトーンが和らいだ。

『優希ちゃんは女の子よ』
「ぇ…」
『女の子なのよ。それも飛び切りカワイイ、ね。
 具体的にはウチの弟が毎晩ネタにして、一人でハッスルしちゃうくらいに』
「ま、毎晩!?」

 改めて、優希は床に落ちた写真を見る。
 薫が…毎晩僕の事を想像して…一人エッチをしてる…。僕を、私を抱くのを想像してる…。
 想像によって、いよいよ体は熱くなる。
 溶け落ちた欲情は、雫となって花園を濡らす。


 駄目だと、こんな想像しちゃ駄目だと自分に言い聞かせるが、しかし脳内に浮ぶ映像は消えるどころか鮮明になる。
 薫に――好きな男に女として―――雌として滅茶苦茶に犯される自分。
 その想像の中で、しかしその陵辱を、自分は嬉々として受け入れている。
 それは同時に、自分が自らを慰める時にした想像と同じだった。

『私、今晩、教授の実験に付き合って帰れないから』
「ふえ?」
『電話した理由よ。じゃ、薫に伝えといて
 ――自信もって、優希ちゃん』

 霞はそういうと、電話を切った。
 ツーツーという音も、すぐに消える。
 残るのは、戸惑った優希だけ。
 
「……僕、薫は…私を…」

 ぐるぐる、思考が頭の中をめぐる。
 女としての自分。友人としての自分。
 異性としての薫。幼馴染としての薫。
 熱に浮かされたように、思考は空転を続ける。
 今、自分が考えている事が何かすら解らなくて。
 今、自分が感じている感情が何かすら分からなくて。

「これで…薫は…」

 落ちた写真を拾って優希は座る。
 写真の中で笑っている女。自分のはずなのに、しかし優希は暗い感情を覚えた。
 それは嫉妬だった。
 現実にいる自分には、薫は全然そんなそぶりを見せないのに、写真の中の自分は欲望の対象になっている。
 それが、悔しい。

「変だよ……僕、自分に嫉妬してるよぉ…」

 本物の自分はここにいるのに…。本物の自分はすぐ隣にいるのに…。

「薫…見てよぉ…。僕を見てよぉ…僕を…私を見て欲しいよぉ」

 涙声で呟く優希。
 頬から涙が零れて、ジーパンのデニム地に零れる。

「薫ぅ…」
「――――ユー、キ?」

 掠れた声に、優希は顔を上げた。

「…薫」

 顔を上げたそこには、扉を開けたままの体勢で、青ざめた表情の薫がいた。


 薫は視線を優希の泣き顔から、床に置かれた本、そして優希の写真に移し、そして一瞬で赤面した。
 強張った表情で、まるで襲い掛かるように優希に詰め寄り、写真を毟り取るように奪う。

「っ!」

 圧し掛かられるような恐怖を感じ身を竦める優希。だが、薫はそれ以上何もしなかった。
 薫は優希にしたのと同じような、普段からは想像のつかない粗暴な動作で床に散乱した卑猥な本を拾い上げると、机の引き出しに放り込み、力任せに閉める。
 普段から冷静な薫には考えられない、焦り、混乱し、狼狽した動き。
 引き出しは、紙が無理に圧縮されるクシャリと言う音がして、完全には閉まりきらない。
 ページが折れ曲がっているのだ。薫は何度か力任せに閉めようとして、ようやくその事に気づいたのか諦める。
 そうすると、急に部屋から音がなくなった。
 いつの間にか日も傾き、暗くなって来た部屋。
 少し普段よりも荒い二人の吐息だけが、空気を揺らす。

(…怖い)

 優希は思った。怖い、と。
 その沈黙と、物言わぬ薫の背中が、優希にはたまらなく怖い。
 背中からは、感情が読み取れない。
 単に自分のプライベートを覗かれて、羞恥心に震えているのか。
 それとも、怒っているのか?
 ひょっとしたら、自分を軽蔑しているのかもしれない。
 恐怖が想像を呼び、想像が恐怖を深くする。
 舌が、喉が、痺れたように上手く回らない。
 魂を削るような沈黙を、破ったのは薫の方だった。

「―――――――――すまない」

 砂から搾り出したような、掠れた、小さな声は、謝罪だった。
 そして謝罪は、優希が全く想像していなかった言葉だった。
 驚きで真っ白になる優希の耳に、もう一度、薫の声が届く。

「すまない…」

 今度は、はっきりと聞こえた。
 すまない、と。聞こえた。


 薫は続ける。

「すまない…私は…、君を……君の友情を裏切った。…すまない」

 そのフレーズで、優希は薫の言わんとしていることが理解できた。
 薫は、自分を―――友人を性欲の対象にしたことを、謝っている。
 それが理解できたと同時に、優希は薫の声と背中が、酷く震えていることに気付いた。

「赦してくれ等とは、言わない。ただ…すまない。
 ごめん…なさい」

 まるで親に罰を受けるのを待つ子供のように、裁きを待つ咎人のように震える薫。
 普段の、腹立たしいまでのふてぶてしさや、呆れるほどの自信が、欠片も見られない少年の背中。
 気付いた時には、優希は立ち上がり――――薫の背中を抱きしめていた。
 突然のことに、身を硬くする薫。
 背中を抱きしめる優希は、自分でも何をしているのか分からなかった。
 ただ、自然と抱きしめていた。抱きしめたいと思い、抱きしめていた。
 そして、同じように自然と、言葉が口から零れ出た。

「―――嬉しいよ」

 その言葉に、優希はさっきからずっと胸中で氾濫し続けていた感情の方向性を、理解した。
 それは、喜びだった。
 薫が、自分のことを異性としてみてくれていた。想ってくれていた。その事に対する喜び。

(オナニーのオカズにされて喜ぶなんて…僕って変態だなぁ)

 内心は呆れ苦笑するものの、けれども想いと言葉は止まらない。

「謝らなくて良いよ?僕、嬉しいから、謝らないで」
「…ユーキ?どうして…」
「だって僕も…私も、想ってたから。
 薫のこと――好きです」

 数年間、胸につかえてきた想いは、実に簡単に、あっさりと、自然に口から零れた。


 一度出てしまえば、もう簡単だった。

「好きだよ…薫のこと、好きだよ。僕も、何回も薫でしたよ?
 薫を想うと切なくなって、苦しくなって、熱くなって、何度も一人で慰めたよ?
 今も、薫を想うと凄く切ないよ?」
「…ユーキ」

 薫が振り返る。
 体を離して、顔を上げると薫の顔があった。
 驚いたような、嬉しがっているような、信じられないと言うような、複雑な表情。
 薫の体は、もう震えてなかった。
 優希の方と背中に、薫の手が添えられる。
 大好きな大きな手。
 言葉もなく、ごく自然に、優希は少し背伸びをして、薫は身を屈めて、距離はゼロになる。


 唇が、とても柔らかかった。


645 :書く人:2007/02/08(木) 21:18:00 ID:gilIV+o2
 体に直接当たるシーツの感触。ベッドの上には、優希が身に着けていたほとんどの物が、脱ぎ散らかされている。
 ついばむようなキス。もう何回目だろう。
 キスを終えた後、優希は恐る恐るといった感じに問う。

「僕の体……どうかな?」

 優希は既に、ショーツだけになっている。
 恥ずかしそうに自らの体を抱きすくめる優希。視線が向くのは、自分に覆いかぶさるようにする薫の顔。

「ああ」
「…それじゃわかんないよ」
「そうだな…その…綺麗だ」

 珍しく歯切れの悪い薫の返事。

(薫も緊張してるのかな?)

 だとしたら、嬉しいかもしれない。
 お礼の意味を込めて、優希も感想を口にする。

「薫も――綺麗だよ」

 薫は、上半身だけを全て脱ぎ捨てた格好だった。メガネは外され、端正な顔にあった二重の目が見える。
 薫の体は優希が見慣れた体育会系の異性とは異なり全体的に細身で、けれど女の子とは違って余計な脂肪も付いていない。
 白い肌の下に、うっすらと筋肉の存在が見て取れる。
 綺麗だと、優希は思った。
 だが褒められた当人は、あまり気に召す表現ではなかったようだ。

「……褒められているのかね?」
「そのつもりだけど?」

 不機嫌そうな顔をする薫に、優希は微笑み返す。
 少しだけ、両者の間から緊張が取れた。

「胸を触ってもいいかな?」
「…うん」

 薫は、いつもの無意味に自信ありげで率直な物言いで許可を求め、優希は躊躇いがちに胸を突き出す。
 薫の右手が優希の胸にふれた。


「…っ」

 優希は反射的に体をビクつかせる。薫は一瞬だけ躊躇うが、それでも止めずに愛撫を始める。
 全体を優しく持ち上げるようにしながら、手のひらで乳首を押しつぶす。

「上手…だね…」
「そうか?良かった」
「……ひょっとして、経験者?」
「いや、恥ずかしながら童貞だよ、今はまだね」
「そっか…」

 つまり自分が初めての相手という事。優希はその事にくすぐったい嬉しさを感じる。
 薫はもう片方の手を空いたほうの胸に伸ばす。
 だが、右手とは異なり、乳首には触れない。
 乳首には、顔を近づける。

「吸わせてもらうよ?」
「…ゃっ!」

 許可を求めるためのではない、確認のための言葉。
 優希が上げた声は拒絶か驚きか、自分でも解らなかった。薫はそれを拒絶とは取らなかった。
 色素の薄い乳首に、手とは違う暖かく湿った感触がきた。

「…!――ふぅっ!」

 優希は唇を噛み声を堪える。
 その努力を無視するように、薫はより一層熱心にキスを続ける。

「……、ひっ、ぁ…」

 染み込むような舌の感触と、吸引の刺激。
 交互に押し寄せる感覚に少しずつなれた優希は、視線を自分の胸元に寄せる。
 肌の感覚が知らせている通り、そこでは薫が自分の胸を吸っていた。
 一心不乱。そんな感じだった。
 その姿に、優希はなぜか愛おしさを覚えた。

(かわいい…赤ちゃんみたいだ…)

 だとしたら、ずいぶんと大きな、可愛げのない赤ちゃんだ。
 優希は両手で抱え込むように、薫の頭を撫でる。

「?どうしたのかね」
「ううん。なんでも―――あっ」

 赤ちゃん。その単語で、優希は重要な事を思い出した。避妊のことだ。


 コンドーム、と考えてその案を否定する。
 自分はもちろん、多分薫も持ってないだろう。
 今から薬局まで買いに行かせるのもなんだし、それに――

(今回は、何もつけないで…して欲しいな)

 自分の中に、愛しい人以外の存在を入れたくない――少なくとも、初めてだけは。
 幸い、優希は排卵期はとっくに終えて二、三日後には生理―――つまり今は安全日だ。

「どうした?」
「う、ううん。なんでもないよ…。
 それより…ごめんね?」
「何がだね?」
「その…おっぱい、ちっちゃくて…」

 恥ずかしげに言う優希。
 薫の持っていた『本』に出てきた女性達は、みんな胸が大きかった。
 具体的には男のアレを簡単に挟めるくらい。
 それに、今日の昼にも薫は委員長――桃子の胸に言及していた。
 やっぱり、大きい方がいいのだろう。
 少し気持ちが萎える優希。だが、薫は否定する。

「そんな事はない。むしろ想像以上だ」
「け、けど…桃ちゃんとかより全然ちっちゃいし」
「それは仕方ない。彼女が一般的に言うところの『巨』であるからだ。
 それは先天的な特質であり、言わば彼女はエリート。乳貴族だ。
 一般人に過ぎない君と比較するのが間違っている」
「…なんか、よく解らないんだけど…いいの?この胸で?」
「ああ、なんと言っても君の胸だ。
 それに吸い心地、揉み心地も抜群ぬごっ?」
「も、揉み心地とかいうなぁっ!」

 あまりに明け透けな感想に、思わず拳打を放ってしまう優希。
 だがゼロ距離だったのと、愛撫による脱力で、威力はいつもに比して極めて小さかった。 
 いつもにも増して平気な顔で、薫は口を開く。

「さて、程よく緊張がほどけてきたところで、次のステップに進んでよいかな?」
「ぅ、け、けどあまり特殊なのは駄目だよ?」
「では―――コレは特殊か?」

 薫は言うと、優希の下半身―――蜜に濡れた花弁に手を伸ばす。
 ショーツの布越しに触れる。

「ぁっ!や、やぁっ!」
「ふむ?そうは言いつつ濡れているな」
「だ、だって…薫が、あ、ふゅ…!」

 至近距離に近づく薫の顔をから、顔を背けるように首を振る優希。
 薫は、見えていないはずなのに、まるで見えているように、指で的確に弱い場所を愛撫して行く。
 いや、厳密には違う。既に優希の秘花は爛熟し、その土手に触れる刺激の全てが快感と認識するほどに出来上がっていた。
 まして、触れるのは薫の――自慰に際して、想像していた指なのだ。

「ぅ、ぁっ!ぇぁ…!」

 優希は薫の愛撫のなすがままにされながら、声を堪える。
 堪えるのは優希の羞恥心ゆえの行為だったが、薫にはそれが気に入らなかったようだ。
 いや、むしろ気に入ったからこそ、もっと苛めたくなったのかもしれない。
 とにかく、彼は優希の耳元で囁いた。

「直接、触れるよ」


「ぁ、な、何にぃ…?」

 快楽に濁った意識は、薫の言葉の意図を取れなかった。
 薫は応えずに上体を起こし、彼女の足を持ち上げ、ショーツを引っ張る。

「糸を引いている…」
「ぁっ!イヤァ…!」

 優希のほっそりとした足をショーツが通り抜ける時、パンツと優希の秘裂の間に、銀色のアーチがかかって、そして切れた。
 自分の愛液が、あんなに粘ついて…。
 それを見せ付けられ、優希は泣きたくなるほどの羞恥心に襲われる。
 だが、薫は泣く暇すらも与えるつもりはない。
 止め処なく愛液をあふれ出す泉に、顔を近づける。
 薫の意図に気付き、そこで初めて優希は抵抗を試みた。

「だ、だめぇっ!汚い!汚いよぉっ!」
「…すまない。止まらない」

 言葉少なく、薫は優希の中心に襲い掛かった。

「!?はぅ!」

 どうにか押しのけようとした優希だったが、彼女が薫を止める前に、薫の舌が優希の花弁に届いた。
 湿った布越しとは全く異なる、はるかに強い刺激が、背筋を突き抜け脳で弾ける。

(ビリビリ、くるぅ…!)

 その刺激に堪える事に必死で、もう薫を押しのける余裕などない。
 薫は容赦なく、口撃を咥え、さらには両手も加勢する。
 片方の手で優希の太ももを愛撫し、もう片方の手は、その指先でピンク色のラビアを引っかくように刺激する。
 そして口は、まるで先ほど乳首にしたように、優希の体の中で一番敏感な、肉芽を吸い上げた。

「~~~~~~~っ!」

 最大級の刺激。
 快感や苦痛という枠を超えた刺激に、全身が硬直する。
 流石に強すぎたと悟ったのか、薫のクリトリスへの責めは弱まったが、それでも乙女に過ぎない優希には強すぎる刺激だった。


「ふっ!ふえぇ!だ、だめぇ!ひゃ、あ、だめ!あああん!イク!イっちゃう!あん!きゅふぅぅっ!」

 澄んだ高い声が奏でる嬌声。
 その音色に誘われるように、薫はより熱心に愛撫を続け、愛撫はより一層、その音色を引き出す。

(と、止まらない!イってるのに―――止まらないぃっ!)

 優希は、押し寄せてくる快感に恐怖を覚えた。
 自慰によって辿り付ける終着点など、とっくに越えていた。つま先は丸まり、太ももは痙攣している。
 だが薫の愛撫は、さらにその先、さらにその奥へと自分を押し上げ、あるいは引きずりこんでゆく。
 戻れないところまで、連れて行かれる!
 優希は無意識にすがる物を求め、近くの枕を見つけて思い切り抱きしめる。

「ぅ、ふぅっ!…ぅぅっ!」

 薫の匂いがする枕を抱きしめ、顔を埋め、自分が消し飛びそうなほどの快楽の嵐に、優希は必死に耐え―――そして耐え切った。
 薫が、優希の泉から顔を上げた。
 顎まで垂れた愛液を拭って、一言。

「結構なお手前で」
「ば、かぁ…」

 荒い息をつきながら、優希はそういうのが精一杯だった。
 蹴りの一つでも叩き込んでやろうかとも思ったが、下半身が言う事を聞かない。
 叩き込まれた快楽が、甘い痺れになって残っている。
 だから優希は、せめてもの意思表示と、自分でも解るほど惚けた表情を無理やり引き締めて、薫をにらめつける。

「次…イヤって言っても続けたら…怒るからね?」
「つまり、今回は起こってないということだな」
「!――屁理屈言うなぁ!」

 言われて、自分がそれほど怒っていない事に気づいた優希は、恥ずかしさをごまかすように叫ぶ。
 まったく、さっきのしおらしさが嘘みたいだ。
 優希は膨れっ面でそっぽを向く。
 それを見て、薫は苦笑交じりに近づいてきた。
 なるべく不機嫌を装って、優希は聞く。

「…何?」
「ユーキ、キスをしたい。いいかな?」


「…勝手にすれば」

 キス一つでなんて誤魔化されないぞ、という意思表示をしつつ目をそらしたまま言う優希。

「うん、勝手にしよう」

 薫はそういうと、キスをした。首筋に。

「―っ!?」

 唇に来るだろうと予想して、ちょっと唇を窄めていた優希にとっては、不意打ちだった。
 さらに薫は、まるで優希のが「キス一つでなんか~」と考えていたのを見越していたかのように、次々とキスの雨を降らす。
 しかもキスだけでなく、優希の肌に舌を這わせる。
 首筋に、頬に、額に、顎に…そして最後に、唇に。

「はむぅ…」

 ディープキスだった。
 優希は自分の口内に、薫の舌が侵入したのを感じる。
 一瞬、薫が自分のをさっきまで舐めていた事を思い出し、若干の嫌悪感を覚えた。
 だが粘膜が味わう生まれて初めての、食以外の心地よい刺激に溶かされていく。
 くちゅくちゅと交換される両者の唾液。
 優希は自分と薫が溶け合って繋がっているかのように錯覚する。
 けれどもそれは錯覚に過ぎず、やがて薫はその融合を解く。

「あっ…」

 思わず上げてしまった優希の切なげな声。
 離れようとする薫の体を、抱き寄せる。
 薫は少し困惑したように、彼には珍しい曖昧な微笑を浮かべる。

「ユーキ、少し離してくれないか?これでは脱ぎにくい」

 優希は薫が自分との体の間で、何かをゴソゴソとしているのに気付き、視線を下げた。
 薫が、ズボンのボタンを開け、チャックを下げていた。
 優希が手の力を緩めると、薫は起き上がり、パンツごとズボンを下げた。
 そこには、いきり立った薫の一物があった。
 血管を浮き立たせ、硬く反り上がったそれに、優希は思わず生唾を飲む。
 これが、自分の中に入る。
 愛おしさとも似た、しかしどこか違う感情が、胸を締め付ける。
 一方の薫は、そんな優希の様子を、怯えていると判断した。
 気まずげに、薫は言う。

「もしも…もしもイヤなら、止めてもいいぞ?」
「薫?」
「君に怒られたくはないからね」
「―――イヤなんかじゃないよ?」

 優希は言うと、薫に迫る。正確には薫の分身に。
 そして、恐る恐る手で取った。


 驚く薫に、優希はうっすらと緊張が見える笑顔を向ける。

「お返し」

 それだけ言って、優希は薫の根を口に含んだ。

「ぅぉっ…!」
「ん…」

 口の中で、薫が跳ね上がる。
 薫の熱と、匂いと、そして味。
 そんな体験した事もない感覚に驚きながらも、優希はさっき見た薫の本と、そして少ない知識をフルに活用して、薫の先端を舐め上げ茎をしごき上げる。

「や、めろ…ユーキ!」
「っぷはぁっ!ふふ、イヤだよ。お返しだもん。ん、ちゅりゅぅ…」

 優希は一度口を離して、悪戯な笑顔を浮かべる。
 そう、コレはお返し――仕返しなのだ。さっき、イヤだといったのに散々自分のを嘗め回し、弄り回した薫への罰だ。
 自分以上に切なく、気持ちよくなってもらわなくてはならない。
 優希は、薫の喘ぎ声を心地よく思いながら、薫の分身を舐め上げ、しゃぶり上げる。
 だんだんと薫のペニスはより一層に太く、固く、熱くなり、優希が仕返しという大義名分も忘れかけた頃、破裂した。

「で、出るっ…!」

 びゅるりと、最初の一撃が口の中に溢れた。

「ん!?」

 ドクドクと、二撃三撃と口の中に精液が流し込まれていく。
 最初の一撃では目を白黒させた優希だったが、3度目の震えの時にはそれが射精だと、口の中に溢れるのが精液だと理解した。
 となれば、後は本に描いていた通りにするだけだった。
 その独特の匂いはきつかったが、薫のものだと思うとイヤじゃなくなった。

「ほら、吐き出したまえ」

 枕もとのティッシュを手に取り、口元に広げる薫。
 その気遣いをありがたいと思いつつも、優希は無視して、その粘り気に苦労しながら飲み込んだ。


「ぅぇ…なんか、喉がイガイガするね」
「当たり前だ。アレは本来飲むものじゃない」
「けど、本ではみんな飲んでたよ」
「彼女達は特殊――その道のプロだ。君がそこまでしなくても…」
「けど、薫は一人でする時、飲んでもらうのを想像してたんでしょ?」
「……」

 沈黙する薫。優希は適当に言ったのだが、どうやら図星だったらしい。

「僕は…薫がして欲しいって思うこと、出来る限りしたいって思う」
「無理は…しなくていいんだぞ?」
「してないよ、無理なんか」

 けれどあまり変態チックなのはイヤだよ、と付け加えるて微笑む優希。対する薫の鉄面皮も、どこか柔らかく感じた。
 和やかな雰囲気を交わす二人だったが、しかし心臓は大きく早く鳴り響いていた。
 二人とも、なんとなく気付いていた。
 ついに…その時が来ると。

 優希の手に薫の手が重なった。
 そして、優希はそれを握り返した。

「ユーキ…」
「うん…」

 薫は優希の肩を抱き、優しく押し倒す。
 優希は祈るように胸の前で両手を組んで、呟いた。

「薫…僕を―――私を、女にしてください」

 薫は無言で頷くと、その先端を優希の中心に向けた。
 一度、射精したはずのそれは、しかし十分な硬度を保っていた。
 薫の亀頭が優希の花弁にあてがわれる。優希は来るであろう痛みに目を閉じると薫にしがみ付く。
 薫は片手で一物の方向をそろえ、もう片方のてで優希の肩を抱き――貫いた。

「んっっっっ!?」

 何かが、自分の中で裂けるような感じがした。
 錯覚かもしれない。だが今まで誰にも許した事のない深くに、自分以外の誰かが到達したというのが、解った。
 胎内で薫を感じながら、同時に薫を抱きしめる。

「ほ、本当に…入っちゃったぁ…。薫が、入っちゃったよぉ」

 惚けたような表情で、優希は全身で薫を感じる。
 それは薫にしても同じだった。優希のもっとも深い聖域に到達しながら、それでも足りないという風に優希を抱きしめる。
 互いの呼吸が落ち着いてから、薫が優希に尋ねた。

「もう、大丈夫か?ユーキ」
「うん。痛いけど想像や、友達に聞いていたのよりは、痛くなかった。
 鷲に内臓を啄ばまれる様な痛みだって、脅かしすぎだよ」
「それはまたギリシャ神話的表現だね。それで、もう動いても平気か?」
「う、うん。けど、ゆっくりだよ?」
「ああ、善処する」

 薫は言うと、まずは動きやすい体勢を作ろうと体を起こし…その瞬間、優希の体に電撃が走った。


「っはひゃん!?」
「ユーキ?」
「ば、バカッ!ゆっくりって言ったのに…!」
「痛かったか?」
「痛くは…ないけどぉ…」

 涙声で言う、優希。
 電撃の正体は、薫の一物が優希の中を擦った刺激だった。
 外気に触れた事のない敏感な膣壁にとって、肉棒との摩擦はかつてない刺激だった。
 そして…、それは間違いなく快感だった。

「すまん…コレでもゆっくり動いたつもりだったんだが…」
「今度は、気をつけてよね?」
「ああ」

 薫は応えて、今度は慎重に動かし始める。

「ふぁ、ぁ、ぁぁっ…」

 一呼吸程の時間をかけて、抜ける直前まで引き抜き

「きゅふぁ、ぁぁぁっ…!」

 同じだけのペースで根元まで突き込む。

「どう…だ?」
「う、うん、いい、よぉ…」
「なら…続けるぞ?」

 薫はそういうと、まるで機械のように同じペースで優希の中に肉棒を打ち込む。
 一呼吸ごとに突きこみ、引き抜く。

「くぅふ…ひふぅ…!ぅぁっ…はぁぁ…!」

 単純二拍子の粘膜刺激に、優希は酔いしれる。
 だが、それが続くにつれてその刺激に慣れ、体はもっと求めるようになる。
 もっと欲し。もっと激しく、もっと強く…!
 優希はそんな自分に戸惑いながら薫を見る。
 そして、薫の表情が険しくなっているのに気付いた。
 焦れているような餓えているような、まるでお預けを食らった空腹の犬のような表情。

(薫…もっと激しく動きたいんだ…)


 薫が必死で我慢してくれている事に気づいた優希は、その事を嬉しく、そして申し訳なく思いながら、鎖を解き放ってやる事にした。
 抱きしめ、耳元で囁く。

「いいよ」
「…ユーキ?」
「好きに動いて、いいよ。もう、慣れてきたから」
「だが、辛いんじゃ…」
「ううん。大丈夫。大丈夫だから…ね」
「…止まらないぞ?」
「うん」

 優希の頷きに応えず、薫は止めていた腰を動かし始めた。
 今度もまたゆっくり引き抜いていって、しかし今度は一気に突き込んだ。

「あんっ!」

 優希が弾むような嬌声を零す。
 それに触発されるように、薫の動きは激しさを増す。
 一呼吸で一往復。それも、突くたびに息が荒くなり、速度が増す。

「あん!やん!はぁん!あん!きゃん!」

 声が弾み、速度が増す。
 やがて薫の腰が優希の尻とぶつかり合い、パンパンという音を立て始める。

「ひぅ!あひっ、やぁ!あっ!へふっ!ひぎゅぅ!んんぅっ!」

 薫の一物に抉られるたびに、優希の膣はヒクつき艶声が上がる。
 それに刺激され薫はより一層激しく優希を攻め立て、一物自身も固く大きく膨れ上がる。無限連鎖だった。

「あああっ!はっ、い、イくぅ!は、初めてなの、に!ん゛ンっ!
 イく!イっちゃう!やぁ!あ゛っ!あああぁっ!イクゥゥゥッ!」

 ついに絶頂を迎える優希。薫は止まらない。
 先ほど、クリトリスを吸われたときと同じ要に、連続的にイきつづける状態に陥る。

「りゃめぇ!これ以上、イクの、だめぇ!イク、イ゛グゥゥゥッ!
 はへ!はへぇ!ま、たぁっ!あ、ぎぃっ!ひ、ひくぅっ!あん!ああっ!」

 数えるのも馬鹿らしいくらいの絶頂の波。
 まるで雲に乗っているような浮遊感と体の芯を走り抜ける刺激。
 手足の末端と、下腹部から広がる痺れるような甘い感覚。
 それに意識が飲まれ始める。
 それは優希が体験したことのない感覚―――本物のオーガスム


「あ゛あっ!へぁ、ひぃん!ああん!な、なんか!何か来る!
 怖い!薫!薫!薫、薫ぅっ!」

 どこかに飛んでいってしまいそうな、消え去ってしまいそうな感覚に恐怖し、優希は薫を抱く腕に力を込め、無意識のうちに背中に爪を立てる。

「ユーキ…ユーキィ!」

 薫も、限界が近かった。狂ったように、それ以外の全てを忘れたかのようにひたすら腰を叩きつけ、一物を叩き込む。
 そして…先に果てに達しのは優希だった。

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!」

 一瞬で全身が緊張し、そして脱力。
 己が消え去ったような感覚の中、優希は抱きしめたかおるの体が震えたのに気付いた。

「くぅっ…」

 薫の声が聞こえたような気がした。
 それと同時に、体の奥で薫の一物が振るえ、何かが注ぎ込まれるのを感じた。

(射精…してる)

 本能的に、優希は察した。
 薫が…自分を犯している雄が、自分の中に精子を注ぎ込んでいると。
 薫の射精は、口の中で感じたのよりはるかに長く、勢いよく、多量だった。
 薫に、犯されている。
 薫に、奪われている。
 自分を薫の物にされている。
 薫を自分の物にしている。
 薫と一つになっている。

「か、お…るぅ」

 震える声で、愛しい相手の名前を呼ぶ。
 答えはすぐに帰ってきた。
 最初はキス、声はその後だった。

「ユーキ…」

 そして、薫は優希を抱きしめる。
 薫の声を聞きながら、薫の体温に包まれながら、優希の意識は闇に落ちていった。


「誘っているのかね?」

 風呂からあがった薫が真っ先に言ったのはそんな言葉だった。
 先に風呂を頂いていた優希は赤面して言い返す。

「そ、そんなわけないだろ!
 僕のどこが誘っているように見えるのさ!」

 腰に手を当てて仁王立ちしようとして

「うあっ!?」

 と、腰砕けに転んだ。
 転んだ彼女が着ているのは、薫のワイシャツ一枚きりだった。

「大丈夫かね?」
「だ、大丈夫だよ…」

 優希はテーブルに捕まりながら立ち上がり、再び椅子に腰掛ける。
 それから、もう一度胸を張って文句を言い直す。

「で、僕のどこが誘っているように見えるんだよ?
 コレだって見ようによってはワンピースみたいに見えるだろ?
 そ、そりゃ下着はつけてないけどさ…」
「…あー、ユーキ。裸ワイシャツという単語は知ってるか?」
「は、はだっ!?ど、どうすればそんな卑猥な言葉を思いつくんだよ!?」
「……私が考えたものではないんだが…まあいい。
 味噌汁を作ってくる」

 言いながら、薫はダイニングキッチンに向かう。

「あの…晩御飯、ご馳走になってもいいの?」
「良いも何も…それ以外選択肢はない。
 それに、今日は霞が帰ってこないのだろ?
 ならば材料が余ってしまう。処理してくれると助かる」

 薫は振り向きもせずにそう言うと、鍋でお湯を沸かし始める。
 優希はその後姿を複雑な心境で眺めていた。


 気絶するように意識を失った優希と薫(彼も同様だった)が目を覚ましたのは、優希の門限である7時直前だった。
 目覚めた優希は大いに慌てた。


 優希の親は門限に煩い方だ。門限を破ったら外出禁止にされてしまう可能性だってあった。
 だが、帰るには問題が二つあった。
 一つは単純に肉体的な問題。立てなかったのだ。処女喪失に初オーガスムという体験は、堅牢な優希の肉体といえど負担が大きかったらしい。
 まるで歩き方を忘れたかのように、思うように立てない。
 もう一つは、服。特にショーツは壊滅的なほどに愛液で濡れていた。
 こうなればノーパンでズボンをはいて這ってでも…!と悲壮な覚悟を決める優希だったが、そんな彼女を半ば無視する形で薫が冷静に動いた。
 まずは学園祭実行委員の仕事を手伝ってもらい遅くなる。ついでに夕食を一緒にするという旨の連絡を東三条家に伝えた(優希の親にとっても薫は良く知った間柄なので疑わなかった)。
 次いで優希のショーツを洗濯機に放り込み、さらには風呂を沸かして優希を入れ、次いで自分も入った。
 もちろん、その合間に米を研いで炊飯器にセットするのも忘れない。
 実に無駄も卒もない行動だった。
 それこそ、初めて女性を抱き処女を奪ったというイベントなどなかったかのような平然ぶりだった。


(どうしてこうも平然としてられるんだよ?)

 優希はテレビを見ながら、胸中で呟く。
 正確には、テレビを見る振りをしながら、テーブルの反対側で茶を入れている薫を見ながら、だ。
 風呂から上がった後も、薫にはなんら変わった様子はなかった。
 普通に味噌汁を作り、買ってきた惣菜をさらに盛り付け、炊けたご飯を盛って食事。
 それが終わると食器を片付け、洗い、今はこうやって茶を入れている。
 その間に洗濯が終わったショーツを、乾燥機に移した。
 乾燥が終わるまであと十分。優希の足腰も、最低限歩く程度には回復している。
 問題はない。唯一つ、薫が何も言ってこない点以外では。

(…どういうつもりなんだろ?)

 結局、風呂から上がった薫と交わした会話は、必要最低限以上の物ではない。

「足腰は大丈夫か?」
「お代わりはいるか?」

 等の、いわば業務連絡的なものばかり。

(…もっと、いろいろあるじゃないか!)

 「付き合おう」とか「責任は取る」とか「なんか照れくさいね」とか、そういうのがあってもいいはずだ。


 しかし優希の期待に反して、薫がそういうことを言う気配など欠片もない。
 あと10分で乾燥機も止まり、後は帰るだけなのに…。

(…って、ひょっとして。向こうもこっちが何かを言うのを期待してる?)

 優希は、はっとする。
 そうか!向こうも何を言うべきか解らなくて、こちらの出方を伺っているのかもしれない!

「…ユーキ」
(…普通、女の子に言わせるかな?こういう状況で…)

 苦笑する優希。だがそんな彼の性格もカワイイと思ってしまう。惚れた弱みだ。

「…ユーキ?」
(えっと…まずはやっぱり「上手だったよ」って…)
「ユーキ!」
「じょ、上手だったじょ!?」

 優希は唐突に(少なくとも彼女の主観では)かけられた声に飛び上がり、思わず思考中の言葉をそのまま流す。
 薫は胡乱な目つきで優希を眺める。

「何がかね?」
「あ、な、なんでもないよ!で、何?」
「緑茶が入った」
「あ、うん、ありがと」

 バクバクする心臓を押さえながら、緑茶を貰ってすする優希。温度は65度。甘みが出ている。

「あ、おいしいね」
「ああ。良い葉を使ってるからな」

 薫はそう言った後、思い出したようなタイミングで付け加えた。

「ユーキ?」
「?」
「結婚してくれ」
「ぶぷふぅ!」

 緑色の霧を噴出する優希。
 ゲホゴホとむせ返る優希を、薫は厳しい顔で見る。

「勿体無いし汚いね」
「そういう問題じゃないよ!
 付き合おうとか、責任取るとか、全部吹っ飛ばしていきなり結婚!?
 しかもあのタイミングで!?」

 テーブルが間に入っていなかったら殴り飛ばしていただろう剣幕で怒鳴る優希。
 熊も逃げるような迫力に、しかし薫には暖簾に腕押し。

「仕方があるまい。タイミングを計っていたら残り時間が10分だ。
 パンツが乾いてしまったら君が帰ってしまうだろう。
 ならば、今しかないと思った」
「だからって……もっとシチュエーション考えようよ。
 例えばベッドの上で抱き合って、とか。
 一緒にお風呂に入っている時、とか」
「不可能だ。私とて非常に混乱していたのだよ。
 落ち着いた思考を取り戻せたのは、夕食を終えて腹に物を入れてからだ」
「……混乱していたの?そんな風には見えなかったけど」
「混乱しない訳がなかろう?懸想の相手と両想いになり、あまつさえ避妊もせずにセックスしたんだからね」
「セッ―――!ま、まあ、そうだろうけど…」

 言われて、優希は改めて状況を認識する。
 そう、薫のリアクションなどには変化は見られないが、それでも関係は大きく変化したのだ。
 幼馴染から―――両思いの恋人に…

「って、だからっていきなり結婚は飛躍してるよ」
「していない。
 この場合、定型表現としては『もしもの時は責任を取る』だろう?
 それはつまり結婚という事だ。
 もう一つのパターンとしては中絶というものもあるが…私は、産んで欲しい」
「う、産むって…」

 言われて、優希は赤面する。

(それはつまり、ママになるって事?)

 その場合、薫がパパでありつまりは夫で、毎日こんな風に食後にお茶を飲んで、けどそこには二人の愛の結晶が…

「―――もちろん、君がイヤだと言うのであれば、中絶の費用は…」
「するわないだろう!産むよ!―――っぅぁ」

 叫んで、さらに赤面する。
 馬鹿みたいだ。まだ出来てないし、そもそも安全日の今日は出来る確率が低いって言うのに…。
 なんてフォローしようかと思っていると、再び何の前触れもなく薫が立ち上がった。


「えっ?」

 そして、優希の前に立つと

「ありがとう」

 そういって優希を抱きしめた。

「え、ええっ!?」
「大丈夫だ。必ず守る。ユーキも、お腹の子供もだ。経済的には可能だ。株式運用で稼いだ資産が2千万――」
「ちょ、ちょっとタンマ!お腹の子って、まだ出来てないよ!」
「しかし避妊など欠片もしていないわけで――」
「あ、安全日なんだ。生理まで後三日だから、多分、大丈夫だよ」
「……嘘をついているのではないか?
 私に迷惑をかけないようにと、数ヵ月後には姿を消し、遠くの町で母子だけで生きていこうと…」
「するか!本当に安全日なんだって。安心してよ」
「…そうか」

 ようやく信じたのか、薫は頷くと隣の椅子に座る。
 その姿は、どこか残念そうだ。
 それを見て、優希は赤面しつつも聞いてみる。

「あ、あの、ひょっとして…ほ、欲しかった?
 その、赤…ちゃん……」
「いや、それほどでも」
「なんだよそれ!」
「落ち着けユーキ。私達は高校、しかも一年だ。
 私はまだ結婚出来ない。仕込むとすれば早くとも高校三年の二学期だろう」
「ぐ、具体的だね…」
「本気だからね」

 言いながら、薫は湯飲みを口に運ぶ。
 本当に、憎たらしいほどに落ち着いている。

(ひょっとして…あの時写真を見つけられた時のって、演技?)

 違うとは思いつつも、そんな邪推までしてしまう優希。

「まあ、子供が出来るかどうかは関係ない。付き合おう」
「……いきなり素直クールだね」

 変わらないのは不安だったが、変わりすぎても困ったもんだ。


「両想いで、しかもここには二人、万一妊娠していた場合であっても三人しかいない。照れることもないだろう」
「だからそんなすぐに出来るわけないだろう!」
「そうだな。それで…どうだね?」
「どうって…」
「付き合って…くれないだろうか?出来れば結婚を前提に、だ」

 だからなんでそう急ぐんだよ!
 と、優希は言いかけて、思いとどまる。
 この変人の思考や感性を理解するのは不可能に違いないし、それに…

(薫は…真面目だから)

 変な奴だけど、変わった奴だけど、決して悪い奴ではない。
 だが、そう簡単に言ってやるのもつまらない。だから少しひねくれる。

「いいよ。君みたいな変なのに付き合えるのはきっと僕だけだもん」
「うむ、同意だ。君のような無差別打撃兵器の管理を名乗り出るような自己犠牲の精神を持っているのは私だけ痛い痛い頭蓋骨がみしみしいっているのだが」
「無差別じゃないよ!こんな事をするのは君にだけだよ!」

 優希は両手で薫の頭を掴んで握力を加えることで打撃以外の攻撃方法があるのを証明しながら―――

「――こんな事もね」

 ―――その困った恋人に、真っ赤な顔でキスをした。


【終】


705 :書く人:2007/02/10(土) 20:15:25 ID:tCcLQ/L6
『師匠』

 それは、安田桃子の女生徒の間でのみ通じる通称だ。
 中学の時点で脱処女。その後、相手とは解れ現在は別の彼氏と交際中。しかも高校に進学してから既に二人目。
 その経歴だけ見れば、いかにも遊び人な人物像が連想されるが、その実体は三つ編みメガネの委員長だ。
 成績も優秀な部類で、お洒落だってさりげなくセンスが良い。真面目だが気さくで人当たりも良い。
 着やせするタイプなので男子共で気付いている者は少数だがスタイルだって平均以上。

『師匠』

 それが彼女の実体を知る友人達が使用する、彼女の呼び名であり、その名の通りしばしば相談ごと――特に恋愛関係を持ちかけられる。
 そのアドバイスがまた的確で、最近では上級生が相談を持ってくることすらあるほどだ。
 そして今日もまた、迷える少女がその経験にすがるべく、相談を持ちかけてきた。


「―――つまり…優希ちゃんは彼が中出ししてくれないのに不満って事?」
「べ、別に不満ってわけじゃ―――って言うか僕の事じゃなくて僕の友達の事だよ!」

 桃子の確認に相談者の優希は真っ赤になって言い返す。
 ああ、昔の私もこんな風に素直な頃があったなぁ、とおばさん臭いことを桃子は思った。

 彼女の隣で赤い顔で座っているのは優希――桃子の友人だ。
 クラスで隣の席になったことが縁。
 タイプは一言で言ってボーイッシュ。
 小柄で細身。やや太めの眉と勝気な瞳。胸はAとBの中間で、自身は『ちっちゃい』とコンプレックスに思っているようだが、桃子に言わせて貰えば程よい上に形も良くて羨ましい。
 今の優希の服装は着物―――剣道で使うような袴姿だ。
 その袴の裾を弄りモジモジしながら、優希は『トモダチ』の事で相談をする。

「不満って言うか…不安なんだよ、その子は。
 その子の恋人って、普段はそんなそぶりはないんだけど、二人きりになると…なって言うか、真面目な素直クール系?でね。
 初めての(ゴニョゴニョ)した後すぐに『結婚しよう』って言って来てさ。その時は出来なかったかったんだけど。
 それで、まあ、二人は付き合い始めたんだよ…その、結婚を前提にね」
「ふんふん。それで?」
「それでね、その後、何回か…その…したんだけど…安全日だよ、って言ってもコンドームをつけるんだよ。
 アイツも僕―――じゃなくて友達も初めて同士だし、病気とかもないのに…。
 だからさ、その子、不安なんだよ。…なんていうか、つまり、えっと…」
「その彼が、生でしてくれないのは、自分のことを本当は好きじゃないんじゃないかって?」
「う……うん」

 桃子に言われて、優希は赤い顔で頷く。
 桃子は、呆れながらため息を付く。
 当然のことながら、優希の相談内容は友達のことではなく、優希自身のことだ。


 秋の初め頃、優希は彼女の幼馴染の薫と付き合いだした。
 本人達は秘密にしているようだったが、傍から見れば一目瞭然――ではなかった。
 表面上、二人の関係が以前と変わらなかったからだ。

(そもそもあの関係で二人が付き合ってなかったのが異常だったのよね)

 かなりの確率で一緒に登下校し、ほぼ毎日一緒にお弁当を食べ、普段から呼び捨て。
 しかしお互い照れ屋なのか、人前ではキスは愚か手すら繋がない。
 唯一解る表面上の違いは、歩く時の距離が少し縮まった事ぐらいだ。

 閑話休題。

(正式に付き合いだしたんなら教えてくれても良かったのに)

 なんとなく、秋ごろから二人の様子が違うと思っていたら、もうこんなに進んでいたのか。
 自分は二人の間を積極的に取り持ったはずなのだが、それなのに、正式に付き合い始めたのを報告しないなんて。

「も、桃ちゃんはどう思う?」

 固唾を呑んで回答を待つ優希。
 一瞬、『あ~、アンタ、そりゃ分かれたほうがいいわよ』と、某もんた風に言ってからかってやろうかとも思ったが、

(それじゃ、可哀想かな)

 と思い直す。優希は初心な上に真面目であり、下手な事を言うと拗れてしまう可能性もある。
 結局、真面目に応えてやる事にした。

「う~ん。多分、それはその子の勘違いだと思うよ?」
「勘違い?」
「うん。だってその彼氏さん、真面目で優しいんでしょ?
 だったら避妊するのは当然よ。だって妊娠したら、困るのは女の子のほうよ。
 安全日だって絶対安全、って訳じゃないし」
「で、でも…結婚まで考えてるって…」
「それならなおさらよ。結婚するってことは、産んで育てるってことなんだから。
 経済的な理由とか進路とか、しっかりお互いの将来の事を考えているから避妊をしっかりするんじゃないかな?」

 桃子は、それとも、と言ってから眉根をひそめる。

「ひょっとして…その子、彼氏の事、信用してないの?」
「し、信用しているよ!」
「そうかなぁ?ひょっとして…子供出来ちゃったの、承認してね、とかいって無理やり繋ぎとめようとしてるんじゃ…」
「桃ちゃん!いくらなんでも怒るよ!?」

 流石に険しい表情で睨んでくる優希。
 しかし経験値の差か、桃子は一転して表情を笑顔――それもチェシャ猫のような笑顔に変える。

「あれ?何でそこで優希ちゃんが怒るの?優希ちゃんのことを言ってるんじゃないのに」
「そ、それは………っと、友達のことを悪く言われたら怒るのは当たり前じゃないか!」
「はいはい。そういうことにして置いてあげる。
 けど…よかった。薫君とは上手く言ってるみたいね」
「!……!?…!!!」

 どうやらバレていないと思っていたらしい優希は、いよいよ真っ赤になって、口をパクパクさせる。


 優希が何かまともな言葉を放つより早く、

「東三条!準備できたぞ!」

 先生の声が飛んできた。

「~~~~~~~っ、い、今、行きます!」

 先生に返事を返してから優希は泣きそうな顔で両手を合わせる。

「も、桃ちゃん!この事は誰にも…!」
「はいはい。了解。ほら、行こう」

 こんなにカワイイ女の子を捨てるような男はいないと、桃子は思いながら手を取った。


(流石桃ちゃんだな…あんな簡単にばれちゃうなんて…)

 校庭で、優希は『師匠』の実力に慄いていた。

(まぁ、今日までばれなかったんだから、よくやった方だよね)

 実はとっくにばれていたのに気付かずに、自分を納得させる優希。
 そんな彼女の耳に、マイク越しの声が聞こえた。

『それでは、東三条優希さんによる東三条流剣術演舞です』
「さぁ、頼むぞ」
「はい」

 隣に立っていた教師に応えてから、優希は進み出た。右手には木製の黒漆塗りの棒―――鞘。
 落ち葉が掃き清められた校庭には人垣根が出来ており、その中には三本の巻き藁が立っていた。


 東高――公立東山高校はスポーツ、特に武道が盛んである。
 『健全な肉体に健全な精神が宿るとは限らんが、肉体が健全なのはいいことだ』
 というのが、校長の言で。
 だが、やはり今日この頃の風潮ではやはり入学希望者は増えない。
 おまけに数年前に設立された私立西川高校に圧され、今年はついに定員割れが危惧されるまでになった。
 そこで企画されたのが、生徒による武術の実演である。
 そしてそのメイン企画として、優希の演舞が企画されたのだ。


(あんまり、見世物にするような物じゃないんだけどなぁ)

 苦笑が浮びそうになって、しかし引き締める。
 どんな理由で振るうにせよ、これは真剣だ。
 下手に振れば怪我をするし、礼を欠く。

(薫がいなくて良かったよ)

 今日、薫は遠くから来る友達を迎えに行くといって、先に帰ってこの場にはいない。

(もしいたら、気が散っちゃうからね)

 もし薫がいたなら、格好良く見せようと意識が向かっていただろう。
 一応、ギャラリーを見回してみる。
 見物人の半分はブレザー姿の東高の生徒。残りは学生服やセーラー服の、多分中学生。
 そしてちらほらと一般人。中には金髪の外人の女性や、目の部分に穴を開けた紙袋を被った不審人物までいる。
 どうやら、全員あまり武芸に詳しい面子ではないらしく、結構好き勝手に騒ぎている。
 戸惑いながら愛想笑いを浮かべて周囲を見ると

「かわい~~~!」
「がんばって~~~!」
「あれって男?女?」
「Oh!袴美少年Moe~~~!」

 無視決定。
 重要なのは薫の姿はないことだ。そのことに残念半分安堵半分。

「さて…切り換えよ」

 優希は呟き目をつぶる。そして小さく息を吐き、吸い、目を開く。

 切り換わった。



「あ、スイッチ入ったわね」

 ギャラリーの中で桃子は呟く。
 その横で金髪の外人の女性が

「Wow!Cuteデース!持ってるニホントーが巨大サイズなところが萌pointsデース!
 けど、ちょっと大きすぎじゃないデスカァ?」

 と感想を漏らしている。
 そのコメントの後半部に、桃子は少し感心した。
 優希が持っている剣は柄まで入れておよそ6尺近く――刀身だけでも4尺以上ある。
 少し解説してあげようかと思ったがそれより先に、桃子がいるのと反対側の隣から、解説が入った。

「ユーキが持っている通常の日本刀よりはるかに長大な大太刀と呼ばれるものだ。
 東三条流は特殊でね。作法が緩いだけでなく、あのような巨大な剣を使うのが特徴なのだ。
 鞘の鯉口近くに数十センチの切込みがあり、抜きやすくなっている」
「Hum~、詳しいデスネ。アリガトウ、カオル!」
「えっ!?」

 優希は驚いて、声のしたほうを見る。
 そこには、目の部分に穴を開けた紙袋を被った、長身の男がいた。
 優希が剣を抜いたのは、その時だった。


 右手で鞘、左手で柄を逆手で持つ。
 抜刀。
 涼やかな音がすると、白刃が現れる。
 喧騒が、一瞬で静まる。
 優希の静謐な表情と動作、そして日本刀特有の神秘的な輝きが、まるで神事のような印象を与える。
 神秘性すら感じる雰囲気に、全てが飲まれていた。
 誰もが自然と息を潜める沈黙の中、霊を降ろした神子の様に左手に逆手の日本刀、右手に鞘を持って、優希が進み出る。
 校庭の中央に巻藁――藁を束ねた試し切りの相手――が三つ、正三角形の配置で並んでいた。
 優希が立ち止まったのはその中央。
 背後に一本、前方左右に一本。
 構える優希。張り詰めた空気に、観客達はまるで物言わぬ試し切りの藁が生きた敵であるような幻想を持つ。
 だが、その仮想の敵たちは、自分達の領域に踏む込んできた人物に打ち込めない。
 それほどまでに、優希の構えは隙がない。
 数秒の拮抗の後、優希の切っ先が僅かに揺れてから―――優希は、背後に向けて山形に鞘を投げる。
 多くの者の視線が鞘に集まった瞬間――

 ――優希が疾った。

 方向は左。すれ違いざま、逆手に持った刀で、巻藁が斜め下から斜め上に斬り上げる。
 真っ二つ。
 立ち止まる優希は右斜め後ろに一歩。それと同時に頭上に上がった柄に空いた右手を添え、左手に持ち帰る。
 振り下ろす。
 二本目を、斜め上から斜め下に切断。
 鞘に気をとられた観客の大多数が優希が動いたのに気付いたのは、その頃だった。
 最初に斬った巻藁が地面に落ちた音がする。
 優希は振り下ろした刀身の重みを足腰のバネで支え、その反動で跳躍。
 後方に向けて身を捻らせつつ、空中で放物線の頂点に差し掛かった柄を追い抜く。
 視線の先にあるのは最後の巻藁。
 一足飛びに最後の一本の前に立つ。その時点で、刀は腰ダメに構えられている。
 震脚、紫電一閃。
 最後の巻藁が、真横一文字に両断された。


 優希は空いている左手を宙に。
 そこに測ったかのように鞘が落ちてくる。
 当然キャッチ。手のひらと鞘が当たるぱしっ、という音と最後の巻藁が落ちるどさっ、という音が同時に聞こえた。
 優希は深く、ゆっくりと息を吐きながらそれを受け止め立ち上がる。
 それから右手で刀を逆手に持つと、鯉口から先端に向けて入っている切れ込みに被せるようにして、鞘に戻す。
 かちん、と音がして、刀身が完全に鞘の中に飲み込まれる。
 その後、優希は刀をもって振り向き、ゆっくりと礼をする。


 歓声が爆発した。


「すげぇぇぇぇっ!」
「きゃぁぁぁぁぁっ!カッコイイィィィィッ!」
「こっち向いてぇぇぇっ!」
「私…ここに入学してよ」
「あ、あたしも。そしてあの先輩と…キャッ♡」
「抱いてぇぇぇぇぇっ!」
「つきあってぇぇぇぇっ!」
「兄貴って呼ばせてくれぇぇぇぇぇぇっ!」
「いや、東三条って女だぞ、あれでも?」
「はぁっ!?マジか!?」
「だ、騙されたぜ…!」
「剣道美少女キタ―――(゚∀゚)―――!!」
「えっ、女の子!?……けどそれもありかも…」
「本場のJapanese美少女!激Moeデェェェェェス!」

 何やら突っ込みどころが無茶苦茶あったが、とりあえず無視する。
 一々突っ込んでいたらきりがない。
 目立つのもイヤなのでさっさと帰ろうとするが、その途中、紙袋覆面の言葉が聞こえた。

「ふむ、相変わらず見事なものだなユーキ」
「…!?」

 思わず刀を取り落としそうになりながら、怪しい紙袋男を見る。
 私服のそいつが紙袋越しに伝えてくる声は落ち着いた―――というより棒読みに近い無感情なハスキーボイス。

「薫!?」
「ふむ、ようやく気付いたか」

 謎の覆面男は紙袋に手を破る。

「こんにちは、ユーキ」
「な、なんでそんなもん被ってたんだよ!」
 
 紙袋から出てきたのは、予想通りの無表情。
 文句を言いつつも、優希は顔が緩むのを感じた。
 さっきの演舞は中々いい出来だった。それを薫が見てくれた。
 だがそんな良い機嫌も、薫の余計な一言によって帳消しになる。

「変装に決まっているだろう?」
「どこが変装だよ?そんなの小学生の工作じゃないか」
「今目の前に、その小学生の工作で見事に騙された人物がいるのだが?」
「ぐっ…け、けど何でまたそんな不審な格好を…」
「気遣いさ。小学生の変装に引っかかる、幼稚園児並みにお子ちゃまな君の事だ。
 知り合いが見ていると知ったら格好をつけようとしてミスをするかと…」
「するわけないだろ!っていうかなんだよ―――」

 と、近づいていつも通りの一撃を咥えようとして…

「美少女GEEEEEEEEEEEEEEEEET!」
「うわぁっ!」

 唐突に、柔らかいものが優希の顔面を覆った。

「本物デェス!本物の生美少女デェス!Ah…美少女の体臭ハァハァ(´Д`)」
「にゃ、うわゃ!うわぁぁっ!?何だ!?何だよこれ!?」

 頭の上から降ってくる日本語っぽい何かに一層混乱しながら、どうにか顔に当たるそれを手で力任せに引っぺがす。
 何とか数十センチの距離をとり、優希はようやく、自分の顔に押し付けられたものの正体に気付く。
 それは―――おっぱいだった。

「デカ!?」

 それも特大サイズ。
 生乳ではない。それはスーツに包まれていた。冬物レディースのスーツ。
 だがその厚手の生地すら圧倒する、ボリュームとインパクト。
 その未体験の存在感に、優希は畏怖し、恐怖し、狂乱する。
 ありえない!こんなもの人間が持っていていいもんじゃない!
 恐る恐る見上げると、そこにいたのは金髪碧眼の…

「な、南蛮人!?」
「そう言う君は何時代人かね?」

 混乱する優希に、冷静な薫の突っ込みは届かない。

「ほ、ほ、ほ、本物!?これ、本物!?パックンやケント・デリカットみたいな偽者と違う!?」
「Yes!手術なしの天然デスヨ?」
「わっ、マシュマロが!マシュマロが!」
「Aha!ハクチュードードー揉むなんてイヤデェス。あ、もちろんコレは日本語特有の『イヤもイヤよも好きのうち』という奴デスヨ?」
「うわわわわっ…」

 もう一度抱き寄せる外人さん。香水の程よく甘い香りにくらつく優希。
 抵抗できない優希を撫でながら、外人さんは背後で無表情に立っている青年に問う。

「カオル?お持ち帰りはありデスカー?」
「なしだ。落ち着きたまえ」
「Muu…いつにもましてColdネ、カオルゥ…」
「かかかかか薫!?こ、このオッパイさんとしりあいデスカー!?」
「君も落ち着きたまえ、ユーキ。口調が感染しているぞ?」

 応えながら薫は状況を確認。
 隣を見てみると、怒涛の展開で硬直している桃子。
 うむ、黒田君は使い物にならんね。
 薫は自分で何とかしなくてはならないと確認すると、重々しく頷く。
 こういう場合は仕方ない。目の前の優希に抱きつく友人の冥福を祈りつつ、

「ユーキ、この場合は仕方ない。殴って止めることをゆす。得意のメガトンパンチで解決したまえ」

 言われた優希はとりあえず、条件反射で薫を殴った。


 ともあれ、コレが優希と困った金髪美女――レジーナ・セルジオとの出会いであり、ちょっとした事件の始まりだった。


 つづく


784 :書く人:2007/02/24(土) 23:39:19 ID:q2fXpazw
 東山高校の近くに、生徒の集まる店がある。その名も重食喫茶店『満腹亭』―――『軽』食ではなく『重』食。
 食べ盛りのスポーツ少年、少女をターゲット層にしたレストラン――というより食堂だ。
 サンドイッチが厚めの文庫本と同じくらいのサイズだという事実と、その店名からどんな店かは一目瞭然だろう。
 かつて倉庫だったものを改築した店内は広く二階建て。しばしば打ち上げなどの場所になる。
 優希も頻繁に利用している、リラックスできる気安い場所だった。
 そのいわゆるホームで、今日の優希はアウェーにいるかのように緊張していた。
 胸を必要以上に張り、肩は上がり、手は膝の上で握りこぶし。
 擬態語をつけるならカチンコチン。
 彼女が硬化している理由は、四人用のテーブルを挟んで反対側に座っている人物だった。
 性別は見まごうことなく女。その豊満なシルエットを男と思うことなど不可能だ。しかし、いやらしい印象はなかった。皺のないレディースのスーツとシックな夜会巻コームでまとめられたロング。化粧は濃いはずなのに上品。
 言わば大人の女性【完全版】。それだけでも優希には慣れていないタイプなのに、もう一つ絶対的に彼女を緊張させる要素がある。
 ブロンドの髪とエメラルドの瞳。
 彼女は明らかに日本人ではない。海外からいらっしゃったお客様―――外人さんだ。
 苦手科目英語の血統書付き日本人の優希には、鬼門というべき相手。
 対するレジーナには緊張は見えない、というよりむしろリラックスした、どこか嬉しそうな表情を浮かべて話しかけてきた。

「私、United Statesから来まシタ、レジーナ・セルジオと言いマス」
「えっ!アメリカじゃないの!?」
「……ユーキ。United Statesはアメリカだよ。それと何でアメリカだと思った?」

 返事を返したのは優希の隣に座る薫だった。先ほど優希に殴られた額に氷入りのグラスを当てている。返された質問に優希は戸惑いつつ応える。

「えっ、だって外国から来たならアメリカからかなって…」
「君の脳内世界地図には日本とアメリカしか存在しないのかね?」
「うっ、煩いなぁ!
 えっと、ふぇ、ふぇあ、あーゆー、けぇいむふろぉむ?」
「Oh my。ゴメンナサイ、ユーキタン。私、英語と日本語以外にはFrenchとChineseしか喋れまセン」
「ユーキ、彼女は語学には堪能だが平仮名英語は喋れない。日本語で頼む。あと正しくWhere do you come from?だと思うぞ」

 申し訳なさそうに言うレジーナと中学生レベルのミスに明らかに呆れたように言う薫。


 優希は自分の英語力の不足を思い知らされながら、とりあえず言い直す。

「えっと、セルジオさん。その「ゆないでっとすていつ」ってアメリカのどの辺り?太平洋側?大西洋側?」

 その質問にレジーナは目を見開く。それからゆっくりと目尻を下げ蕩けるような笑みを浮かべながらユーキを指差し

「カオル、ヤバイデース。抱きしめてもいいデスカ?」
「ダメだ。と言うよりもわざわざアメリカではなく合衆国と言ったのは確信犯かね?」

 薫の指摘にレジーナは子供のようにペロっと舌を出し

「Sorry。なんと言うかリアクションが一々可愛くてつい…」
「まぁ、気持ちはわからんでもないがね」
「……えっと、馬鹿にされてる?僕、馬鹿にされてるの?」
「NO!むしろその小動物的可愛さを褒め称えているところデスヨ、ユーキタン」
「ああ、獰猛な野生動物も小型な種は可愛い場合があると言う事を話し合っている」
「誰が獰猛だ!あとセルジオさんもその変な呼び方やめてください!」
「OK、ユーキ。その代わりユーキも私のことレジーナって呼んでネ」
「わ、わかりました。レジーナ…さん」

 呼ばれたレジーナは嬉しそうに頷く。

「それはそうと、何でユーキは、私の出身地にこだわるんデスカ?」
「えっ?べ、別にこだわってないけど…」

 思わぬ指摘に優希は鼻じろむ。優希がレジーナの出身について聞いたのは、自分の英語力で聞けるのがその程度の内容だったからだ。
 まあ、相手は日本語喋れるからそんなの気遣う必要ないとか、喋るべきことがないなら黙ってればいいとかいう説もあるが、初の生外国人との遭遇で、優希もそれなりにテンパっていたのだ。

「けれど聞いて―――Gee!そういう事デスカ!?
 オネーサンちょっと困っちゃうデス!」
「そういうこと、て…?」
「Ah me!照れちゃって!ユーキは…私に気があるんで「あるわけなかろう」Ouch!」

 優希の否定の前に、薫の突込みが入った。薫のでこピンがレジーナの額を捕らえ良い音を立てる。


「珍しいね、薫が突込みなんて…」
「不本意だがね。しかしレジーナは放っておくと一日中ボケ倒す。君も外国人という属性に騙されずに、相手をコテコテ大阪人とでも思い、容赦なくドツキ突込みを入れたまえ。息の根を止めるつもりで頼むよ?」
「Yes!むくつけき男にでこピンされるより美少女に『なんでやねん』ってされる方がはるかに気持ちいいデス!なんならピンヒールで踏んでくれてもかまいまセンヨ?」
「えーっと、ごめん、薫。これ、僕には手におえそうにないよ。
 …っていうか、学校につれた来たのって、僕に突っ込みを入れさせるため?」
「いや、それだけでもない。彼女は仕事で日本に来ているのだが、今日は休日でね。旧知である私を訪ねに来たのだが、その際、今日の演舞を思い出したのだよ。
 レジーナは普段はこんな感じの異常者だが、「異常は酷いデース!」普通の異邦人と同様アキバ系以外の日本文化への興味があってね。ちょうど良い機会だから見せてやろうと思ったのだ」
「Uh-huh!無視デスカ?シカトデスカ?コレがいわゆるJapanese I・ZI・ME!?」
「人聞きが悪いな。別にイジメは日本特有の物ではない」
「イジメのところは否定なしないデスカ!?」

 子供っぽく頬を膨らませながら不機嫌そうに言うレジーナと、面倒くさそうに辛らつな事を言う薫。だがそれほど怒っているようにも見えなければ、本気でうざったく思っているようにも見えない。
 口ではなんのかんの言いながら、気安い感じだった。
 それを見て…

 ちくり

(あ、あれ?)

 痛みが胸の奥に生じた。そして痛みの後、妙な感じの胸騒ぎがした。
 気持ち悪く、居心地悪く…

「こういうわけだが、理解してくれたかな、ユーキ?」
「あ、うん。仲がいいんだね。どういう経緯の知り合い?」
「うむ。一昨年まで霞がアメリカ留学をしていたろう。そのホストファミリーがレジーナの叔父だったのだよ。その繋がりだ。」

 薫は優希の内心の変調には気付かなかったようで、続きを言う。


「小学高学年から中学の始めころまで、頻繁に学校を休んでいたろう?」
「ああ、確か霞さんに呼び出されて…」
「そうだ。毎週のように味噌やら梅干やら納豆やらをもってこいと言われてね」

 頭痛でもするかのように、薫は顔をしかめる。

「…小学生単独で国際便に乗った回数では日本屈指の記録保持者だと自負しているよ」
「大変だったんだねぇ…」
「けれど、私は嬉しかったデスヨ、カオル」
「えっ?」

 優希が見ると、レジーナが能天気な笑顔とは一転した、穏やかな笑顔で言う。

「私にとってカスミはもちろん、カオルも大切なFamilyみたいなものデス。
 特にカオルは弟が出来たみたいで嬉しかったデスヨ?
 カスミが帰って、カオルも来てくれなくなって、私、すっごく寂しかったんデスカラ」
「レジーナ…
 ―――単に私が一緒に持ってくる漫画がなくなって残念だっただけではないのかね」
「いや、それもありマスけど~♡」

 薫の冷めた言葉に、レジーナは再び一転。HAHAHAという擬音が似合いそうな表情に変わる。
 冷たい視線を照射する薫。その隣で、優希は言い知れぬ嫌な感情を覚える。
 理由はレジーナの表情と、言葉。
 レジーナが先ほど浮かべた表情は、同性である優希から見ても魅力的なものだった。まして異性である薫から見たらどんなものか。薫はいつもどおり口では突き放している。けれども本心では?
 さらにレジーナの言葉が優希の不安を増す。レジーナは薫の事を弟のようなものだと言っていた。だけれど、それは本当だろうか?弟以外の存在としてみていないだろうか?
 例えば…異性として。

「やっぱり聖地で買ってきてもらったのと、通販で買ったものじゃあ違うじゃないデスカ、オーラとか」
「同じだ。というかオーラなぞ知らん」

 軽口を交わす二人。薫とあんな風に話せる女は、自分と霞くらいなものだった。けれど、目の前で近い位置で言葉を交わしているのは、自分でも薫の姉でもなく、新たに来た飛び切り魅力的な女性。

「―――ユーキ?」
「えっ?」

 呼ばれて、はっとする。薫が不審そうに言ってくる。

「どうしたのかね?レジーナの巨乳でも見てエロイ妄想でもごぼっ」
「しないよ!薫こそなんだよ!鼻の下伸ばしてデレデレしてさ!
 レジーナさんも気をつけたほうがいいよ?コイツはムッツリスケベなんだからね」
「…スケベは認めるがムッツリではないのだがね?
 とりあえず、トイレに言ってくるよ。ユーキはレジーナが何かしないように見張っていてくれ」
「Muu、信用ないデスネ」

 不服そうに言うレジーナを置いて、薫は店の奥のトイレに入っていった。


 薫がいなくなると、自然と会話がなくなる。困るのは優希だった。

(ど、どうしようかな…)

 もちろん、最初の頃より大分緊張はなくなっているが、それでも何かを話すべきかわからない。優希自身は人見知りするタイプではないが、それでもいきなり国際派になれるわけでもない。

(英語でしゃべらナイトをもっと見とくんだったなぁ)

 益体もない事を考えているときだった。

「ユーキ?つかぬ事を聞くですがいいデスカ?」
「ん?何?」

 向こうから話し掛けて来てくれたことに安心しかけたが、それは罠だった。

「薫とは肉体関係デスカ?」

 ぶびゅ!

 飲みかけたアイスティーのほとんどが噴出し、一部が気道に入る。

「Oh,ダイジョーブですか、ユーキ」

 激しく咳き込む優希に、レジーナは心配そうにハンカチを差し出す。アイロンがかけられ綺麗に畳まれた―――メイド服を着た犬耳少女がプリントされたハンカチ。

「……ありがとう」

 一瞬躊躇ってから、優希は受け取って顔を拭く。

「イエイエ…で、どうなんデスカ?」
「どうって…そんなんないよ、僕は」

 ほとんど条件反射で首を横に振る優希。恥ずかしいと言う感情がまだ強いのだ。


 だが、優希はその判断を後悔することになる。

「そーデスカ!良かったデス」
「――っ?」

 レジーナの言葉に、優希は凍りつく。

「うむ、待たせたね」

 どういうことかと優希が問う前に、薫がやって来て席に着く。

「お帰りカオル、早かったデスネ?いわゆるソーローという奴デスカ?」
「……用法の間違えだとは思うが、酷く傷ついたよ?あと普通に用を足してきただけだ.
 で、さっきと言い今と言い、どうしたのだね、ユーキ。顔色が悪いが?」
「…何でもないよ。なんだよさっきから」
「―――そう、か」

 優希は、内心の動揺を抑えて返事をする。その中に僅かに余人には感じられない程度の違和感が出る。そして、薫はそれに気付く。
 問い詰めようと思ったが、しかしどう切り出していいか思いとどまる。
 その微妙な雰囲気に気付かず、レジーナが切り出した。

「カオル?ちょっといいデスカ?」
「ん、何かね?」
「実は今日来たのは観光以外にも理由がありマス」
「というと?」

 レジーナは、にへら、とした笑顔を引き締め、背筋を伸ばし襟を正す。

「アメリカに来て欲しいんです。
 私のパートナーとして」

 レジーナの、奇妙な語尾を廃した誠意を感じる言葉。
 その響きと内容に、優希は頭の芯が凍りつくような感じがした。

 つづく



(一体どうした事なのだろうか?)

 薫は、困り果てていた。
 大野 薫はそれなりに自分の知能に自信があった。だが、その頭脳を以ってしても、現状の把握は困難だった。
 現状とは即ち、自分の唇を優希が積極的に吸っている―――キスしている状態だ。

「…っ…ぁん…ちゅ……ぷちゅ…ん……」

 積極的に舌を絡ませ、唾液を交換する優希。
 普段は消極的――というよりマグロといってもいいほどにさせるがままの優希の口撃に、薫は戸惑いいつもと逆の立場で蹂躙されている。
 嫌ではない。

(むしろドンと来いといったところだが…)

 しかし、何か違う。何かがおかしい。
 具体的には優希の様子だ。
 いつもの優希は恥ずかしがりながら、おっかなびっくりといった風にこちらを求めてくる。三歩近づいて二歩下がり、しかし耐え切れずまた寄ってくる。
 さしずめ野生動物の餌付けのような感じだ。

(今日のユーキは違う)

 今日の優希はまるで餓えた野獣のように、こちらをひたすらに求めてくる。
 餓えて、空腹に追い詰められた獣。

「っはぁ…はぁ……」
「ユーキ、今日はどうして…ぅむっ」

 問い返そうとしたら、またキスで口をふさがれた。
 そしてそのままベッドに押し倒される。
 そのベッドは、薫の使い慣れた物ではなかった。仰向けにされた視界は天井――の、鏡。
 そう、鏡。天井全体を覆うガラス体。部屋の壁も一面が鏡でもう一面はガラス張りの向こうに風呂場。
 ラブホテル。

(なぜ私はここにいるのか?)

 優希の舌を感じながら薫は三十分の事を回顧する。


「アメリカに来て欲しいんです。私のパートナーとして」

 レジーナの言葉に衝撃を受けたのは優希だけではなかった。同じ以上に、薫は驚いていた。

 実は、薫はアメリカの一部――株・証券取引業界では少々有名人だった。
 転んでもただでは起きないというか、薫は霞に呼び出された時、その元を取るべく行動した。
 それは、大学に通うことだ。正確には大学の講義を聞くことだが。
 潜り込んだ先は経済学部。ちょうど霞のホームステイ先の人の伯父が教授をやっていたため、厚意で受けさせてもらえた。そして霞が帰国する直前、薫はアメリカでの勉強の集大成として株価のシミュレートソフトを作った。
 ネット上にフリーソフトとして公開されたそれは、機関投資家に大きな衝撃を与えた。偶然そのプログラムをDLして、プログラムが示す通りに投資していった配管工が、一ヶ月で二百ドルを二十万ドルにまで増やしたのだ。
 その噂がネット上に広まり、薫の作ったプログラムは多くの人がダウンロードした。その使用者の多さのあまり株の動きが変化し、薫のプログラムの予想を外れてしまったほどだ。
 市場という系の中に想定していなかった自己という要素が加わり、結果として薫のプログラムは予想を外し、多くのダウンロードした者達は、配管工が単に幸運だったと結論付け、薫のプログラムを捨ててしまった。
 一方そのプログラムの優秀性を認めた投資家は、そのプログラムの製作者を血眼になって探した。しかし、よもや日本から姉にお使いを頼まれてやってきた十三歳の少年が、力試しに作った物とは考えもよらず、薫に辿りついた者はいなかった。
 ただ一人、一緒に隣り合って講義を聞いていた経済学部のセルジオ教授の娘、レジーナを除いては。


「―――と、まあ、大体こういう経緯でね」

 満腹亭から出た後、レジーナとの会話の間、ずっと沈黙していた優希に言った。
 レジーナは既に去っている。電話で霞に飲みに誘われたからだ。

「一緒に来てくれるなら共同経営者の椅子も用意しマスヨ?」

 レジーナは23歳の若さで、既に年商億ドル単位の投資ファンドの経営者だ。会社自体は父親のそれを株分けしてもらった物だが、親の七光りなどでなく、彼女が本格的に経営に乗り出してからは業績を伸ばし、経営規模を拡大していてる。その辣腕と美貌は注目を集め、雑誌の拍子になった事さえある。


 その人物からの誘い。薫自身は金や地位や名誉などといった物にはあまり価値を見出さない性質だ。しかし、

「…どうするの?」
「―――何がだね?」

 優希の呟きに、まるで心を見透かされたような気がして、薫は少しバツが悪くなりながら答える。

「残念ながら彼女とコンビを組んでアメリカでデビューする気はないよ。
 するとすれば吉本でだね。強烈なハリセンを開発してからの話だが…」
「真面目に…答えてよ」

 いつもの張りがない優希の声。盗み見るが、俯き加減の優希の顔は、前髪に邪魔されてみる事ができない。
 少し迷ってから、薫は正直に答えた。

「―――惹かれていない、といえば嘘になるね」

 自分の能力が認められ、そしてそれを欲せられるというのは、悪い気がしない。

「そう…」

 優希は、ただそれだけ答えた。
 薄い反応に、薫は不安になり、何かを言おうとして―――唇を、奪われた。

「っ!?」

 その行為に薫は驚く。
 優希は、極めて恥ずかしがりやだ。二人きりのときですらキスを躊躇う。まして人通りのある路上でなど。
 しかし現実、優希はキスをしてきた。唇を重ねるどころか舌を入れる。通行人の何人かがこちらを見てくるが、それでもやめない。
 十秒ほど経ってから優希は唇を離す。


「ユーキ?」

 戸惑う薫に優希は答えずに手を掴むと、強引に引っ張り無言で歩き出す。

「…?ユ、ユーキ?どこへ…」

 それでも優希は答えない。薫の手を引いて歩いてゆくのは、裏の路地だ、そこを抜けて進んでいく。
 答えを得られないと判断した薫は、抵抗を完全に諦めれると、手を引かれるままに優希についていく。
 右へ左へ…。やがて二人はいかがわしい店が集まる地区―――いわゆる歓楽街に入っていく。
 薫は私服だが優希は学校指定のブレザーのまま。流石にまずいだろうと、薫は優希を止めようと思う。それより早く、優希が立ち止まった。ビルの前だった。
 薫は不審に思って顔を上げて、固まった。

「ここ、入るよ」

 優希は薫と視線を合わせずに宣言すると、固まった薫の手を引っ張ってそのビルに入っていった。
 そのビルこそがラブホテルだった。


(つまりどういうことだね?)

 回想を終えて薫は現実に戻ってくる。
 現実世界では、ベッドに腰掛けた薫の一物を、優希が咥え奉仕していた。


「んっ、んっ、ちゅっ、じゅぱっ、ちゅりゅるるぅっ!…ちゅ、はぅ、むぅ」

 一心不乱に舌を這わせ、吸い上げ、扱き上げる。普段より雑だが、勢いと思い切りがよく、いつもと違う感覚に薫は少しずつ追い詰められていく。
 手のほうはといえば、片方は肉棒を支え、もう片方は自分の秘裂にやり、引っかくように刺激している。薫の位置からは見えなかったが、既に指の一本が埋まり、奥まで刺激していた。
 唾液の音と混じり、淫液が空気と掻き混ぜられ、泡立つ音さえ聞こえてくる。

「今日は…激しいね、ユーキ」

 かけた言葉にも、ユーキは反応せずにひたすら口淫と自慰に没頭する。
 その様子に、薫の中の違和感はだんだんと増していく。
 心が食い違っている感覚。
 手を伸ばせばすぐ触れれるところにいるはずの優希が、だけれどもずっと遠くにいるような感覚。
 心が、触れ合っていない。

(このような状況で、抱くわけにはいかないね)

 セックスは、体と一緒に心が触れ合ってこそ。薫はそう考えている。
 幻想だとは思っていない。生理的な開放、快楽が欲しいなら自慰で十分事足りる。
 それでもなぜ人間は、わざわざ相手を探すなどの手間や妊娠のリスクを得てまでセックスをするかといえば、それは体温と、受け入れあうことの充足感を得るためだ。
 今、優希を抱いたら、生理的な快楽も、体温も手に入る。だが…

(心は、得られない)

 今日はやめておこう。
 薫は優希の顔に手をやり腰を引き、そっと自分の一物を優希の口内から引き抜く。

「もういい、ユーキ」
「じゃ、入れるよ」
「それもいい」
「…っ!」

 床に跪くようにしていた優希が、打たれたように顔を上げた。まるで裏切られたかのような、ショックを受けた瞳。
 その目に、理由のわからない罪悪感を覚えるが、それでも言うべきことは言わなくてはいけない。

「今日はもういい。今日の君を、抱くわけにはいかない」

 言い終えると薫。優希は再び俯き…

「そんなに…」

 そして叫んだ。

「そんなにレジーナさんの方が良いの!?」

 何を言っているのか、そう問い返す前に、薫は押し倒された。

「ユーキ!落ち着…」
「渡さない!僕、嫌だよ!薫は僕のだもん!渡さないんだから!」

 かんしゃくを起こしたように叫びながら優希は薫に跨る。
 優希はその体格からは想像がつかないほどに力が強く、そして重心のあつかい方も心得ている。その資質と技術は、男女の力差を十分屈返す。
 薫を押さえつけながら、優希は薫の一物を自分の中に導こうとする。
 まだコンドームをつけていない一物を…

「ユーキ!ダメだ!避妊を…!」
「嫌だ!」

 一周すると、優希は秘裂に薫の先端を押し付けて、力を込めた。
 だが、薫の一物を簡単に飲み込めるほど、優希の淫孔は開いていない。
 愛液に滑る花弁を擦りあげるだけ。

「あ、あれ?入らない…僕のに、薫が入らないよ」

 焦ったように優希は腰を動かすが、それでも優希は自分の中に薫を導くのに失敗する。
 優希は手で薫のそれを掴んで方向を決めて入れようとするが、一度焦った意識はその動作を失敗させる。まして、いつも挿入は薫がやっていて、優希はひたすらマグロだった。
 焦りと経験不足で、優希は薫を導き入れれない。
 その姿を、薫は痛々しいと思った。
 原因は解らない。何を優希が思っているのかも解らない。
 しかし、それでも優希が辛そうなのは―――泣いているのは事実だ。

「ユーキ」
「っ!?」

 薫が優希の頬に手をやって涙を拭う。優希が驚いたのは薫の手のためか、それとも自身が知らないうちに流していた涙のためか。
 その時が、満腹亭をでてから初めて、まともに優希と目が合った瞬間だった。
 優希の目には、怯えが見えた。
 だから薫は、少しでもその恐怖が和らぐようにと撫でながらいう。

「ユーキ。落ち着いてくれ」

 自分の鉄面皮を呪いながらも、それでも可能な限りの笑顔を作って…。
 自分のぶっきらぼうな物言いを呪いながらも、それでも可能な限りの優しさを込めて…。

「ユーキが泣いていると、私も悲しい」

 抱き寄せる。
 優希は先ほどまでの暴れっぷりが嘘のように、軽く倒れこんでくる。
 薫自身が若干のコンプレックスを抱いている『板』というにはあまりに薄い胸板に顔を埋めてから、優希は力なく、言葉を零した。

「ゴメン…薫…ゴメンナサイ…」

 その言葉の後に、堪えるような嗚咽を、薫は自分の胸元から聞いたのだった。



 薫の胸板に顔を押し付けながら、優希は自己嫌悪に浸っていた。

(僕…最低だよ…)

 あの時、レジーナが薫を誘った時、優希は今まで感じた事のない恐怖を覚えた。
 薫がいなくなるという、恐怖。
 優希には確信があった。薫の良さを知っていて、悪いところを受け止めれるのは自分だけだと。
 それは自信、あるいは慢心と言っても良かった。今まではそれでよかった。薫に異性として好意を持つ者が、現れなかったから。
 その状況を、レジーナが壊した。
 自分の知らない薫を知り、自分の知らない薫の魅力を知り、そして薫の欠点を受け止めれる女性。
 自分なんかよりずっと女性的な体。社会的地位や知性などでは最早比べようがない。

 自分より遥かに魅力的な人が、薫を求めている。

 その事が堪らなく怖くなった。
 薫が自分を捨てて遠くに行ってしまう。
 それを止めたくて、けれど止めれる要素が何もなくて、絶望する。
 その時、不意に桃子との会話が頭をよぎった。

「…子供出来ちゃったの、承認してね、とかいって無理やり繋ぎとめようとしてるんじゃ…」

(もしも…僕が妊娠すれば…)

 予定だと排卵日は五日後。少しでも排卵が早まれば妊娠する。
 薫はああ見えて責任感が強い。
 もしも自分が妊娠したら、責任を取ってくれる。ずっと一緒に…いてくれる。

(汚いよ…卑怯だよ…僕…)

 あの瞬間は、それが良いと思った。それしかない、たった一つの冴えたやり方だと思ったのだ。
 だから薫の手を引いて、ラブホテルに駆け込んで、そして無理やり薫としようとした。
 薫を―――レイプしようとした。
 けれども、そんな自分に薫は優しく言ってくれた。

「ユーキが泣いていると、私も悲しい」

 優しくなでられて言われた時、優希は目が覚めた。
 薫のペニスを中々入れられなくてかっこ悪く焦い、そんな自分。
 そんな自分の姿を、優希は汚らしいと思った。浅ましいと思った。

(僕…最悪だよぉ…)

 軽蔑されてしかるべきことをして、けれど薫はそれでも自分のことを気にかけてくれている。
 そして自分は薫の優しさに甘えて、泣いている。それどころか、心のどこかで赦してくれる事さえ望んでいる。

「ゴメン…ゴメン、薫…」

 何も言う事もできず、考える事もできずに謝る優希。

「…ユーキ」

 薫が頬をなでてくる。
 それでも、何を答えて言い変わらず、怖くて顔を見ることも出来ない。
 しばらく優希の頬を撫でていた薫は、優希の肩に手をやった。

「あっ…」

 抵抗出来ずに優希は横に倒され、二人は体勢を入れ替える。
 身を硬くする優希。薫は無言のまま優希の足を抱えて、覆いかぶさってくる。
 何を、と優希が思った時だった。

「ふきゅぅっ!?」

 無言のまま、薫が優希の中に押し入ってきた。
 不意打ちな敏感な粘膜への刺激と、下からの突き上げに、優希は声を上げる。

「な、何をっ…ぅんっ!」

 声は、キスで塞がれた。
 全てが突然の展開に、優希は目を白黒させる。
 けれども、全身で感じる薫の体温は押し返すには心地よすぎた。

「っ…ちゅ…くちゅ…、ん―――んっ……ん…っはぁ」

 情熱的に絡まされた薫の舌が、優希の口内から引き抜かれる。
 キスを終えた薫はそのまま動かず、呼吸を合わせるように優希の頬に自分の頬を寄せる。
 優希は自分の深く差し込まれた熱い塊を感じる。その感触は何度か感じだ物とは異なっていた。
 初めての時以来、何度か薫としたが、それは全てゴムをつけてだった。唯一、生でしたのは初めての時で、その時は痛みやら刺激やらが激しく良く覚えていない。
 初めて体の最奥で感じる、何もはさまない薫の体温。
 薫の心音に合わせて胎内の薫もピクピクと動く。
 それを感じて薫の先端のさらに先で、子宮が疼いた。

(い、いやだぁ…僕、喜んでるよぅ…。子宮が喜んでるよぉ…)

 自己嫌悪をしていたにもかかわらず、現金にも喜ぶ自分の雌性に、優希は死にたくなるほど恥ずかしくなる。
 顔を赤くして薫の方に顔を埋める。
 その耳に、薫が囁いた。

「よく、わからない」
「えっ?―――ふはぁぁっ!?」

 意味を問い返す前に、優希は体を引っ張り上げられた。
 腰に腕を回されて、挿入されたまま胡坐をかく薫の足の上に座る。対面座位だ。重力がより深く薫を導きいれさせる。
 その圧力を受けた優希の子宮が、もう一度キュンと疼く。
 反射的に薫の腰に回した足が痙攣する。
 虚空を見つめる優希に、薫は言葉を続ける。

「ユーキ。私はユーキが好きだ」
「か、薫…?」
「しかし情けない事だが、私はユーキが何を考えているのは解らない。
 今日、なぜ君が積極的に迫ってきたのかも、正直理解できていない」
「それは…」
「言わなくていい。言いたくないから、理由を言わずに行動したのだろ?」

 薫は優希の背中を、まるで幼子をあやすように擦る。

「私は君の意図するところは解らないが、けれども、君がコンドームなしでしたがっているのは明白だ。
 だから、する」
「…いいの?妊娠、しちゃうかもしれないよ?」
「君はそれを望むのだろ」
「赤ちゃんできたったら、僕、薫に責任とれって言っちゃうよ?
 それでもいいの?」
「かまわない」

 真っ直ぐに見返しながら、薫は即答する。

「初めての後に言ったはずだ。責任を取る、と。
 妊娠を避けているのは、法的に責任を取る事が――結婚できない年齢だからと、そして君の学業の妨げにならないようにだ。
 だが、君がそのリスク以上に避妊をせずにしたいというなら、断る理由は無い」
「けど…薫はいいの?それでいいの?」

 レジーナの誘いを受けれなくなるだけではない。
 自分を妊娠させるという事は、その責任を取るということは、薫の可能性を大幅に捨て去る事だ。
 そこまでさせる権利が、自分にあるはずが無い。
 そこまでさせる価値が、自分にあるはずが無い。
 優希はそう思うが、けれど薫の目には、やはり迷いは欠片も無かった。

「いい。私にとって一番大切なものは、今こうして抱きしめている」

 優希をきつく、しっかりと抱きしめながら、薫は言った。

「私は―――笑顔の君が傍にいてくれれば、幸せだ」
「ぁっ…」

 薫の腕の感触と言葉に、優希は安堵を覚えた。
 薫は傍にいてくれる。
 そしてその確信と同時に優希は一種の諦観に達する。

(もう…僕、ダメだ。完全に…薫に惚れちゃったよ)

 自分さえいてくれればそれでいい。
 漫画やドラマにすら使われる事も無いような陳腐な台詞。優希も以前、薫にこんな事を言われたら、と想像した事があったが、その時は一笑にふした程度だった。
 実際に言われてしまえば、その台詞のなんと甘美な事だろう。
 愛している相手に――それこそ彼さえいてくれればそれで幸せになれると思っている相手に、自分さえいてくれれば幸せだと言われる。

ああ、もうダメだ。
 薫の声が、匂いが、体温が、挙措動作が、全てがまるで麻薬のようだ。
 その麻薬は、精神的にも肉体的にも依存生が高い凶悪な奴で、一度味わえばやめられない。
 あっという間に中毒者の出来上がりだった。それなしでは、生きていけない体になる。
 泣き笑いの表情で、哀れな中毒者は言う。

「反則だよ、薫…そんなこと言われたら、僕、もう薫から離れられないよ」
「もちろん、元から離れてもらうつもりは無い。
 というわけで…」

 薫は言いながら、腰を引きながら優希から抜けていく。
 流石に中に出すつもりは無いのかと、優希は少し残念に思った。それが、隙になった。

「そら」

 亀頭が顔を出す直前まで来たところで、一気に突き入れた。

「あん!」
 
 普段の正常位では到達しないほどの深部を、普段の正常位とは異なる力の方向で擦られ、優希は一気に軽い絶頂を与えられる。

「ふむ?軽くイッたかね?」
「ば、ばかぁっ!いきなり何をするんだよぉっ!?」
「何といわれても、入れた後に動くのは当たり前だろう?
 まさか、あそこまで私を誘惑しておいて、お預けなどというプレーではなかろう?」
「う…ううっ」

 言われて、優希は考える。
 理由である薫がレジーナに奪われてしまうのではないかという心配は消えている。けれども、ここまで強引に誘っておいて、いきなりやっぱなし、って言う訳にもいかない。

(それに…お腹が薫の精液を欲しがってる)

860 :書く人:2007/03/11(日) 03:59:14 ID:WUq3scU4
 ゴムを付けていない薫の感触。
 物理的な刺激だけで言えば、気をつけて感じなければわからない程度の違いだ。
 けれども、薫ともっとも深いところで、なんの障害も無く接していると思うだけで、普段のセックスとは全く別物のように感じる。
 この感触を、拒絶できるほど優希は禁欲的ではなかった。
 しかし「早くぅ!僕の子宮にちんぽ汁びゅくびゅくしてぇ~!」などと言えるほど、優希は熟練者ではない。

「薫がしたいなら…いいよ?」

 相手の求めを期待した、少し意地を張った言葉。
 その意図を正確に汲んだ薫は、笑顔で答える。

「よし、ならばやめようか?」
「えっ!?―――あっ」
「ふむ、随分と切なげな声くふぉっ」
「このまま薫としたいです!これでいい!?」

 真っ赤になりながら、優希は半ば自棄になって叫ぶ。

「―――最初から素直にそういえばいいのに、なぜわざわざ打撃と言うプロセスを経るんだね?」
「薫が馬鹿だからだよっ!」
「君に馬鹿呼ばわりされるのは心外だが…その議論は後にしよう。
 そろそろ私の理性と我慢も限界だからね」

 薫はそういうと、ゆっくりと腰を動かしだす。

「んっ…っ…っ。このままの…ふっ…格好でっ、するの?」
「ああ…」

 会話しながら、だんだんとこつを掴んできたのか薫の腰の動きが早くなってくる。
 言葉は少ない。どうやら薫が限界が近いのは本当らしい。
 そしてそれは優希も同じだった。
 初めて体験する体位故の興奮と、違う擦られ方。そして生でしているというシチュエーションが、優希を快楽の頂点へと押し上げる。
 すぐに、優希の太ももが震え始める。小さな絶頂を連続的に迎え手いる状態――いわゆる、逝きっぱなしになってしまった証拠だ。
 その痙攣は薫の征服欲を満たし、どうじに更なる征服欲を喚起する。
 もっとイかせろ!自分の肉棒でこの女をイかせまくれ!
 早く出せ!射精しろ!この女の胎内を、自分の遺伝子で満たせ!
 二つの正反対の欲求にはさまれながら、薫はぎりぎりで堪え続ける。
「はへ、はへぇぁ!はぁ、ああっ、ああん、ああん!」

 舌を突き出し、薫の与えてくる快楽に酔いしえる優希。

「っ!…くぅっ!」

 歯を食いしばり、優希の与えてくる快楽に耐える薫。

「ふぁっ!あん!あ、あ、あ、あっ、あっ、はあっ、はぁっ、はっ、くぁぁっ!」

 一際大きく喘いだ優希が、薫を強く抱きしめる。
 細く絞まって筋肉質だが、それでも女性らしい柔らかさが失われていない優希の肉の感触。それが止めになった。

 どくん!

「~~っ!?」

 中ではじけた感触に、優希は目を見開く。
 射精自体はコンドーム越しに何度も感じた感触だったが、その先が違った。

「な、中で…広がって…」

 中で薫が欲望を吐き出すたびに、自分と異なる体温が広がる。
 出され、注がれ、満たされる感触。
 そう、満たされる。欠落していた何かが、求めていた何かが補充されていく感覚。

(ああ、そうか…。僕―――私、こうされるために生まれてきたんだ)

 雄の精を受ける為に生まれてきた、雌としての本能が感じる充足感。 
 大量の精液は膣底に注がれ、しかし一滴も外には漏れてこなかった。鍛えられた優希の体は膣は薫の一物を締め上げ、漏れる隙間を作らない。薫の全てが膣と、そしてその奥にある子宮へと注ぎ込まれていく。
 それに堪らない喜びと安堵を覚えながら、優希は脱力し薫にもたれかかる。

 びゅっ…

 最後の一撃が終わると薫は優希を抱きしめたまま後ろに倒れる。
 優希は薫に覆いかぶさりながら、薫の首筋に顔を埋める。

「まだ硬いね」
「ああ…あまりに気持ちよくてね」
「うれしいよ」

 思わず、素直な言葉が口から漏れた。
 引かれるかなと優希は思ったが、薫の反応はむしろ逆だった。

「んっ」
「…」

 キス。それに呼応するように、優希のヴァギナと薫のペニスが反応する。
 もっと受け入れたいと卑猥に蠢き、もっと突き入れたいと卑猥にビクつく。
 どちらからともなく唇を離す。
 合わせた視線に言葉は要らなかった。
 優希は上半身を起こし、薫の腰に跨る。
 それは、奇しくも最初に薫を押し倒そうとした時と同じ体位だった。
 違うのは、ペニスが優希の秘園を貫いている点。

「んっ…ふっ、んんっ…!」

 上下に動いたり、こすり付けるように前後に動いてみたりと、いろいろ試す。
 薫は優希の尻に手をやり動きをサポートし、動きは優希に任せる。
 その動きは最初は羞恥と不慣れゆえにぎこちなかったが、すぐに覚える。
 あとは、激しかった。
「ふぁぁっ!あぁん!凄い!凄いよぉ!」
「っ、随分、激しいね」
「だってぇっ!僕ぅ!気持ちいいんだもん!はあん!」

 薫の胸に手を置いて腰を振る。
 初めてする自分からの動き。
 時折、薫の表情が僅かに歪む。
 それを見下ろしながら、優希は染まった頬に笑顔を浮かべる。

「はぁ、薫ぅ、気持ち、いいの?ふぅっ!」
「ああ、もう…イきそうだ」

 薫はそれだけ言うと、優希の柔らかな尻を握りつぶすように押さえ、動き出す。

「かふっ!くふぅっ!ふ、深いよぉっ!薫っ、深いよぉ!壊れちゃう!僕、壊れちゃうぅ!」
「すまん…手加減できそうにない」

 突き上げられる動きと快感に、優希の小柄な体は翻弄される。
 その優希の目に、自分と同じように、男に下から突き上げられ弄ばれる少女の姿が見えた。
 それは、鏡に映った自分自身だった。ちょうど薫の頭が向いているほうの壁は全面鏡張りで、そこには薫の一物を出し入れする自分の姿が映っている。

「いやぁ!」

 優希は自分の体を隠すように、薫の体に倒れこもうとするが、薫はそれを許さなかった。
 尻を押さえていた手を優希の胸にやって、揉みしだきながら押し返す。

「いやぁ!薫!見えちゃう!エッチなところ、見えちゃうぅっ!」
「ん?ああ、そういうことか。そういうことなら直のこと倒れさせるわけにはいかんね」
「バカァ!あ、あああっ!」

 しっかりと腰を固定されてしまった優希には、最早腕で自分の体を隠すしかない。
 もちろん、自分の痴態を細腕で全て隠すことなどできるはずもない。

「いやぁん!あん!あぁん!はぁん!見てるよぉ!見られてるよぅっ!」

 淫らな鏡像を見せ付けられている。鏡像に淫らな姿を見せ付けられている。
 倒錯的な状況に、優希はいよいよ追い詰められる。
「薫!僕、来ちゃう!凄いの来ちゃうぅ!
 イちゃう!見ながらイっちゃう!見られながらイっちゃうぅぅっ!
 ああっ!へあぁっ!はぁん!あん!あん!くぁぁっ!はぁぁっ!」

 もう自分の姿を隠すことも忘れ、ひたすら薫をむさぼる。
 薫は乱れに乱れた優希の姿に誘われるままに、加速度をつけて腰を突き上げる。
 そして、最後の一撃を叩き込んだ。

「あああああああああん!」

 一際大きい嬌声が、優希の口から漏れる。
 口の端から唾液を拭う事も忘れて、優希は薫の射精を受け入れる。
 二度目とは思えないほどに、多く、そして濃かった。 

「ふ、ふふ…凄いよぉ…僕の子宮、薫ので一杯だよぉ…」

 優希は微笑みながら鏡越しに自分の下腹部を見る。
 あの奥には、子宮がある。
 女の子の大切な場所がある。その聖域に、愛しい人の精液がドクドクと送り込まれ、一杯になっている。
 そう想像するだけで、絶頂すら感じてしまう。
 それは、薫にしても同じらしい。
 薫は荒い息をつきながら、優希の下腹部にそっと手を添える。

「解るか、ユーキ。出ているぞ」
「うん…解るよ、薫ので、一杯になってる。すごく…幸せ」

 けれど、と優希は付け加えて、微笑んだ。

「もっと幸せになりたいな」

 そう言う優希の胎内で、薫の一物はまだ硬度を保っていた。
 その誘いに、薫が断る理由はなかった。





 数日後、成田空港のロービーで、某虎穴の紙袋を両手に抱えたレジーナと、それを見送る二人の姿があった。
「それじゃあ、もう時間デスネ」
「すまない。折角の誘いだったが、やはりアメリカでは流行らないとおもうからな」
「薫、全然すまなそうに見えないよ?」

 台詞の頭につけた言葉に反してちっとも申し訳なさそうに聞こえない薫に、優希はため息混じりに言う。



 ラブホテルでさらに二回戦を経た後、優希はすっかりダウンした薫に正直に言った。
 レジーナに対する嫉妬と不安。
 薫に対する不信。
 全て聞いた後、薫は言った。

「それに関して君に非はない。信用されないような言動を取り続け、迷うようなそぶりを見せた私に問題がある」

 そう言われたとき、優希は抱かれた時に思ったことを再確信した。
 やっぱり、自分は薫から離れられない、と。
 どうしようもなく不条理で、ボケまくりで、不器用で、誠実な彼から、自分は離れられないと。
 そして、同時に薫に見合うように吊りあうように、自分もがんばろうと思った。
 その第一段階として、まずはレジーナに、自分と薫との関係を正直に言った。



「けれど、正直なところショックデス。ユーキがカオルと付き合ってたなんて…」
「ごめんね、嘘ついて」
「Ah、別にかまいまセンヨ?むしろリアルツンデレ属性を見ることが出来て嬉しかったデス。
 けど…残念なのは本当デスヨ。本気でSteadyの座を狙ってましたカラ…」
「ごめん…」

 寂しそうなレジーナの表情に、優希は鈍い痛みを覚える。
 少し天秤が傾けば、薫の立ち居地は見送る側の自分の隣ではなく、見送る側のレジーナの隣だったかもしれないのだ。
 もしもそうなれば、自分はレジーナのように、笑えただろうか?

(強いなぁ…レジーナさん)

 いつか自分もあんな風になりたいな、と優希は思う。

「恋は水物デス、仕方ないデスヨ。諦めマス。
 その代わり、と言ってはなんデスガ、一つお願いがありマス」
「何かね?」
「一度だけ、Kissさせてクダサイ。それで、未練を断ちマス」
「それは…「いいよ」…!ユーキ?」

 難色を示した薫を遮って優希が首肯した。
 失恋は、きっと辛いだろう。その歩き出す切欠になるなら、キスの一度くらいは譲るべきだ。
 そう思いながら、優希は薫に言う。

「それで納得できるなら、いいよ?薫もいいよね?」
「―――ユーキが、いいというなら…」

 不承不承という感じで薫が答える。
 レジーナはまさか了承してもらえるとは思ってなかったらしく、感極まったように優希に抱きついてくる。

「Thank you!ユーキ、大好きデス!」
「どういたしまして。けど、一回だけだよ?」
「Of course.けれど、たっぷり堪能させてらいマスヨ?」

 笑顔で言うレジーナは、両手の平をパンッ、と合わせて

「というわけで、イタダキマース」

 言ってから、レジーナは獲物にゆっくりとにじり寄る。それから獲物の頬に右手を、顎に左手を添え、ルージュを乗せた唇を少しずつ近づけ…

「ちょっっっと!ストップ!」

 しかし、唇まで数ミリというところで、優希の手がレジーナの顔を押さえる。

「?なぜ止めるんデスか、ユーキ。ちゃんと歯は磨いてマスヨ?」
「いや、そうじゃなくてさ―――なんで、僕にキスしようとしているの?」

 引きつった笑顔で優希に、彼女にキスをしようとしていたレジーナは、掴まれた顔に意外そうな表情を浮かべる。
「なぜって…Kissしていいって言ったじゃないデスカ?」
「だからなんで僕なんだよ!?薫じゃないの?」
「Why!?なんで私がむくつけき男にKissしなくちゃいけないんデスカ!?」
「だってレジーナさんは薫を好きなんじゃなかったの!?」
「そんなわけないじゃないデスカ!?」

 レジーナは大きく息を吸って

「私の守備範囲は萌系美少女デース!」

 ホール全体に響き渡った突然のカミングアウトに、様々な人種が行きかう国際空港のロビーが、一瞬で凍りついた。

「………………え゛っ?」

 日本人と日本語がわかる外国人の視線を集めながら、優希はフリーズしかけた脳でレジーナの言っている事を咀嚼する。
 えっと…?つまりレジーナさんが好きなのは…?

(僕?)

 イやそんなわけはなかろうと、優希は助けを求めて隣に目をやるが、しかしそこに薫の姿はなかった。
 少し探すとちょっとはなれた所の椅子で、紙コップを片手に英字新聞を逆さにして開いている幼馴染の姿があった。

「薫!一人で『私は他人ですオーラ』ださないでよ!」
「はっはっは、何を言っているのかね見知らぬ人?ほら、オトモダチにかまってあげたまえ」
「ユーキ!観念して接吻デース!武士に二言はないはずデスヨ?」
「えっ、ちょ、ちょっとタンマ!

 タコのように唇を伸ばして迫ってくるレジーナを押し返しながら、優希は問い返す。

「だだだ、だってレジーナさんは薫をパートナーにって…!」
「Yes、Business Partnerとして誘いマシタ」
「ちなみに、Business Partnerは純然な共同経営者という意味だぞ、見知らぬ人」
「そ、それじゃあ僕が薫と付き合ってないって言った時ほっとしたり、ステディーな関係になりたいとかって言ったのは!?」
「ユーキがfreeって聞いて安心しただけデス。それにカオルとSteadyになりたいなんて一言も言ってないデスヨ?」
「そ、それって…」

 レジーナの答えに優希は足元が崩れていくのを感じる。
 では、数日前の自分の懊悩や葛藤って…

「全部、勘違い?」

 答える者はおらず、近くに居るのはオタクショップで買った袋を抱えながらこちらを狙ってくる同性愛者と、他人のふりをする恋人。

「さあ!誤解も解けたところであついKissを!」
「か、薫!たす、助けて!恋人がピンチだよ!?」
「はっはっはっ、何を言うかと思えば見知らぬ人、キスしてもいいって言ったのは君ではないかね?」

 冷淡に突き放す薫。ひょっとしたら焼餅を焼いて拗ねているのかも知れない。普段なら可愛いと思えるかもしれないが、目下緊急事態の優希にはそこまで思う精神的余裕はなかった。

「ふっふっふっ…逃がしませんよユーキ。私の舌技を以ってして、一発でこっち側に引きずり込んであげマース!」

 舌なめずりをして、ゆっくりと優希に迫るレジーナ。優希の肌にぶつぶつと、効果音つきで鳥肌が立つ。
 こんな女性になりたいなどという感想など、すでに忘却の彼方である。
 逃げようと思う意識に反して、慣れない種類の恐怖のせいで足が思うように動かない。
 そして、レジーナが間合いに―――入った。

「では改めて――――――――――
 イタダキマァァァァァァァァァァァス!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」



 こうして、このちょっとした騒動は幕を閉じた。
 この後、レジーナがアジア投資の足場として日本支社を強化するために、日本に住むようになり頻繁に二人のところに顔をだすようになるのだが、それはまた別の話である。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2007年03月15日 09:53