その視線に優希は硬質な冷たさを覚えた。
 彼女の視線の先にはカメラを構えた男がいて、その視線は無機質なレンズを透過して、ベッドに座る優希に向けられている。

「さぁ、まずは上から脱いでみようか、ユーキちゃん?」

 男が軽薄な口調で言う。
 趣味の悪いアクセサリーに胡散臭いヒゲ。
 その全てに嫌悪感を抱きながらも、優希は男の言葉に逆らうことは出来ない。
 理由がある。
 彼女にとってどうしても譲れない理由が。
 だから優希は恥ずかしさを押し殺し、男の指示に従って上着に手をかけようとして、しかし脱ぐ前に、少し赤らんだ顔をカメラを構える男に向ける。

「おやぁ、どうしたのかなぁ?脱いでくれないなんて約束が違うぞぉ?」
「あのさ…、撮る前にどうしても言っておきたいんだけど…」
「なにかなぁ、ユーキちゃん?」

 やや掠れた猫なで声で言う男に、ユーキは酷く冷たい視線を投げかけながら、

「その格好や口調、やめてくれない。薫?」
「―――ふむ?雰囲気が出ていて良かったと思うのだが」

 優希の指摘に男―――薫は低音のハスキーボイスをいつもの無感情な口調に直して答えながら、口元の付け髭を剥がす。
 いつもの様子に戻った薫に、優希は渋い顔をしてみせる。

「雰囲気って何だよ?」
「もちろんAV撮影のべびっ」
「え、えーぶいとか言うな!」
「……だ、だが、やっていることは違いあるまい。大衆向けか個人で楽しむかの差はあるがね」
「そ、それはそうだけどさ…」

 腹に直蹴を食らい床に蹲りながらもカメラを取り落とさなかった薫の指摘に、頬を赤らめた優希はうつむきつつも薫を盗み見る。
 正確には、彼が持ったビデオカメラを。

 何でも『がそ』とか言うものが700万するらしいが、機械音痴の優希には良くわからない。ただ値段じゃなくて安心したことだけは覚えている。
 肝心なのは、そのビデオカメラで何をすることだ。
 そのカメラでする事は…

「けど…僕、嫌だよ。そういう言い方。もっと…、こう…ほら、その…」

 しばし逡巡した後、優希は首をかしげながら

「あ、愛の記録、とか?」
「…………………………………………」
「な、何だよ!その居たたまれないような表情は!?」
「あ~、落ち着けユーキ。新たなプレーが与えてくれるであろう快楽への期待に興奮するのもわこぉっ!?」
「期待なんてしてないよ!」
「……君の痴態を撮影しようというのは君の提案だろう?」
「その提案をしなくちゃならなくなった原因は薫じゃないか!?」

 まるで噛み付くかのように歯をむき出して、薫に食って掛かる優希。
 けれどもその紅潮の原因は怒りのみではないのは明白だった。





 なぜ薫と優希が自分達の睦言を記録する運びとなったのか。
 それは昨日のちょっとした出来事が切欠だった。





「やふー!薫るん、お帰り~。優希っち、いらっしゃい!」
「お邪魔してマス、カオル、ユーキ」
「あ、お邪魔してます、薫君、優希ちゃん」
薫の部屋の扉を開けると、三人の美女がいた。
 その三人とも、扉を開けて入ってきた二人――薫と優希の知り合いだった。
 最後に声をかけて来た柔和な印象があるメガネをかけた三つ編みの少女は安田桃子。
 その外見とは裏腹に、二人が通う東山高校において、女生徒達から恋愛関係で師匠と尊称されるツワモノ。
 薫と優希の一年の頃からのクラスメート(今二人は二年で、クラスは持ち上がり)だ。
 片言風の日本語で語りかけてきたのは、金髪碧眼の美女、レジーナ・セルジオ。
 今日は長い見事な金髪をそのまま下ろし、ジーパンにロゴ入りシャツという、部屋着といっても良いほどのラフなスタイル。
 だがその大陸的ナイスバディ故に、まるで雑誌のモデルをそのまま連れてきたような印象すら感じられる。
 そして最初に軽いノリで声をかけて来たのは長身の女性だった。
 175に届きそうなスラリとした長身と、ショートの髪。声はハスキー。顔は中性的で、たった今帰ってきた部屋の主である薫のそれの細部を、女性的にデフォルメするとこうなるのではないか、というほどに瓜二つ。
 それもそのはず。彼女の名前は大野霞。薫の姉である。
 それぞれの属性は異なるものの、三人が三人とも、甲乙つけがたい美女達だ。
 ただそこにいるだけで、空気が華やぐようなうら若き乙女たち。
 そんな彼女たちはフローリングの床に直接座りながら本を読んでいた。

 ――――エロ本を。

「……………。
 ユーキ?気絶してもいいかね?」
「えっ!?ちょ、逃げないでよ薫!こんなの僕ひとりじゃ対処しきれないよ!」
「えっと…『こんなの』の中には私も入ってるのかな?」
 頬を若干ひきつらせながら言ったのは桃子。どうやら彼女の自尊心をわずかならず傷つけてしまったようだが、優希は特に気にした風もなく答える。

「あたりまえだよ!か、彼氏の部屋にいったらいきなりその姉と知り合いと友達がエッチな本を持ち込んで読書会なんて開いてたら、こんなの呼ばわりするしかないだろ!?」
「なははははっ、そりゃそうよねぇ~。けどね優希っち、別に持ち込んだわけじゃないんだよん?」
「え?」

 それはどういう、というセリフを続ける前に、霞が

「あっ、レジりん、桃たん!この子、優希っちに似てない?」
「Oh!確かに!けれどユーキの方がLineが締っててきれいデス」
「けど薫君はこのページを愛用してるみたいよ。かぴかぴしてるし、開き目が付いてるし」
「Wow!流石オネーサマ!目の付けどころがが違いマス!」
「いや、実に効果的な着眼点だと思うが?
 私の尊厳を蹂躙粉砕するにはね」

 声は、顔を寄せ合って品評している三人の上から聞こえた。
 そして次の瞬間、三人が見ていたエロ本が、にゅっと伸びてきた手につかまれて、むしり取るように奪われた。
 
「No!人が読んでる本を横から取るなんてZINGIに反しマス!
 そんなに待てなくなるほど溜まってたんデスカ!?」
「それはないと思うわよ、レジーナさん。たぶん二人ともエッチする気満々でこの部屋に来たんだろうから、したいなら本じゃなくて本人ですると思うわ」
「Ah me!そういうことなら私たちも混ぜてもらいまショウ。
 けどholeに対してstickが圧倒的に不足デス。ひとっ走りバイブとって来マスカ?
 双頭の新作があって、ぜひオネーサマに使い心地のほどを試していただきたく思ってマース!」
「あ、私も混ざるー!弟の性徴ぶりも見たいしね♪もちろんOK三連呼よね、薫るん?」
「だめだNOだ不許可だ」

 否定を三連呼してから薫は自分を落ち着かせるように一呼吸置いてから

「突っ込みどころとしては仁義という単語の用法から、隅田君の呼称とそれに付随するだろう守備範囲の変化までいろいろとあるが、とりあえず聞かせてもらおう。
 どうやって金庫を開けた?」
薫の視線の先、三人が車座になっている場所からさらに向こう側に、金属製の箱が見えた。
 金庫だ。電卓のようなスイッチがついたダイアル式ではなくボタン式の金庫。
 中には薫の個人資産が詰まっている通帳と印鑑、そしてエロ本が入っていた。
 金庫の中にエロ本何ぞ入れるなと言うべからず。それほどまでに薫は、姉のエロ本ハンターぶりに追い詰められていたのだ。
 だがその抵抗も、無意味に終わったらしい。

「四桁入力で組み合わせは一万通り。わざわざすべてを試したのかね?」
「またまた~、そんなわけないじゃん。
 恋せよ乙女、命短しっていってね。女の子には時間が足りないのよ?そんな暇ないわよ」
「時間がないならこんなところでこんなことをするな。
 ではどうやって開けたのかね?合鍵でも作ったのか?それともどこかから端子を入れて電子的に開けたのかね?」
「だ~から、いったでしょそんな暇はないって。これ使ったのよ」

 言って霞が差し出したのは鉛筆。カッターで削ったようで、先端が歪だ。

「鉛筆の芯の部分を削って粉にして、それを文字盤に吹きかけたのよ。
 そうすれば頻繁に触って、手脂がついているところが分かるでしょ?」
「…あとはそのボタンを組み合わせてすべて試すだけ、というわけか」
「そ!液晶は四文字表示で使ってる文字は三つだけだったから一文字ダブるとしても全部で18通り。簡単よん?
 ま、お金をケチってダイアル式にしなかったのが敗因かしらね?」
「参考までに聞くがダイアル式にした場合はどうしてたかね?」
「もちピッキング~。大抵のカギなら三分あればなんとかなるわね。電子錠ならもうちょっとかかるけど」
「………イスラエルに固執するユダヤ人の気持ちがよくわかったよ。確かに他者に侵されることのない場所というのは必要だ」

 ああ、我が安息の地はいずこ?
 絶望する薫の肩に、救いとなるぬくもりが来た。それは優希の手だった。

「ユーキ、君もこの非常識共に何か言ってくれるのかね?」

 援護射撃に喜びつつ、しかしそれを感じさせない無表情で振り向いた薫は

「……薫、どういうこと?」

 うつむき加減で幽気を漂わせる優希の様子に凍りついた。
「……ユーキの幽気とはこれいかに?」
「笑点な電波受信しないで答えてよ薫?
 あの本、この部屋にあったってことは薫のだよね?」

 言いながら、肩をつかむ繊手に力が籠る。

(そういえば林檎を握りつぶせるのだったね)

 肩甲骨の危機を感じながら薫は、下手な言い訳は通用しないことを悟る。

「うむ。確かに三人が読んでいる本は私の所有物だ」
「…なんで……そんなもん持ってんだよ?僕じゃ不満なの?」

 ああ、そういうことか、と薫は理解する。
 どうやら自分の恋人は、自分が一人で頑張る時に使用する副菜に嫉妬しているのだ。

(実に可愛いね)

 薫は体全体で振り向くと、優希を安心させるように両肩に手をおく。

「いや、そういうわけではない」
「…じゃあどうしてだよ?」
「ふっ、簡単なことだ」

 誠意と、そして優希なら理解してくれるだろうという信頼をもって、薫は言った。

「恋人とエロ本は別腹だ。それくらい男らしい挙措動作とシルエットの持主の君ならわかるだろう?」



 世界が、右にぶっ飛んだ。



 本当は世界が動いたのではなく、自分が地面と水平方向に左に飛んだと気づいたのは壁に叩きつけられた時だった。
 自分の飛翔の原因が、優希の攻撃だと理解したのは、涙目の優希のこぶしが、右頬をとらえてからだった。

「薫のばかぁぁぁぁぁっ!」
 衝撃が頬から脳へと抜ける。
 浮遊感は三半規管の麻痺の証拠。
 痛みの枠を超えたインパクトが収まる前に、次の打撃が左から入る。
 衝撃。後は数えるのも追い付かないほどの滅多打ち。

「別腹ってなんだよ!
 男らしいってなんだよ!
 どうせ女っぽくないよ!
 何で他の人でエッチな気持ちになれるんだよ!
 薫のど変態!」

 ああ、どうやら自分は一言ごとに打撃を送られているらしい。
 なんとなく理解する薫。
 その一方で、だんだんと目の前が暗くなっていった。
 耳朶をふるわせる音も、口の中に広がる血の味も、鼻孔をくすぐる血の匂いも消えていく。

(ふむ、そろそろ落ちそうだね?)

 頭のどこか冷静な部分で自己分析しながら、薫の意識はその発端といなった三人組の声を聞きながら、闇の中に沈んでいった。

「立て!立つんだ薫るん!」
「Ah…。男のエロ本を発見して涙目で怒る美少女Moe…」
「ちょっと薫君には悪いことしちゃったかな」
「No!ユーキみたいなcuteな恋人がいるんだからこのくらい然るべきデス!
 っていうか、このあとどうせ仲直りしてサッカリンもかくやってくらいのsweet SEXするでショウシ。
 むしろ羨ましいデ~ス」
「…あら?昨日あんなにしてあげたのに、まだ不満なのかしら」
「Uh,well!?お、オネーサマ?ふ、不満なんてそんな…」
「私は不満だったわよ?けどレジーナさんが呂律が回らない英語でforgive meって言ったからやめてあげたのに…。
 そんなこというってことは、実はまだ不満だったんだぁ」
「そ、そんな…オネーサんむっ!?」
「くちぃゅ…んっ、ん、ちゅるっ。んはっ…。
 うふふっ…新作有るんだって?試してあげよっか?」
「…Yes,オネーサマ…」
「うん。そういうことでそろそろ帰ります。お邪魔しました。霞さん」
「ん、途中まで車で送るよん。私も二人のラブラブっぷりを見てたらあてられちゃって、ちょっと彼氏に慰めて貰いに行くから」

 ああ、自由だな貴様ら。

 それが、薫の意識が落ちる前に最後に生んだ言語化できる思考だった。



「その後、ユーキの膝枕で回復した私と君とで協議した結果、私の所持している物品の破棄の代わりに、君の扇情的な写真や映像を撮影させてもらうと決まったではないかね?
 いまさらやっぱなし、とは言わせないが?」
「うっ、だ、誰もとっちゃダメとは言ってないだろ!ただ…こ、心の準備くらいはさせてよ…」

 ワイシャツにスラックの格好の薫が向けるカメラの前で、優希は恥ずかしげに胸元を隠している。
 ちなみに彼女の今の格好は、薫のワイシャツを羽織っただけの状態。いわゆる裸ワイシャツだ。

「っていうか…なんでわざわざサイズの合わない服を着せるんだよ?」
「論理的に説明するなら、男物の服を着せることで女性特有の骨格の細さを際立たせる効果と、
 うす布を羽織らせることで重要部位の視認率をわずかに下げ、想像力を働かせ刺激を増す効果を狙ってだ。
 また異性のを身につけるということにより、それに付随する異性との行為を想起させる効果もある。
 総括するならば、男の浪漫というやつだ。理解できたかね」
「僕には理解しえないことだってのはよくわかったよ」

 溜息一つ。
 幸福が逃げるという言い伝えはあるが、止めようがない。

(なんで…わざわざ写真とかに撮るんだろう?)

 そこが、優希には分らなかった。

(そりゃ確かに僕だって一人で、その…する時は薫の写真とか使うけどさ)
 
 使うといっても桃子から購入した水着の写真程度。大部分は想像力で補っている。
(それに、もししたいなら、僕はいつでもいいのに)

 実のところ、薫は避妊にはかなり気を使っている。
 最後に生でしたのは半年前以上前、レジーナが来た時に、優希が無理に迫ったとき(その時は幸か不幸か妊娠はしなかった)だ。
 以来いつもコンドームはつけているし、危険日の前後はコンドームをつけてでもセックスはしない。

(本当にしたいなら、僕はいつでもいいのに…)

 流石に街の真ん中や教室で「ユーキ、突然だが勃起してしまった。セックスしよう」とか言われたら殴り飛ばすかもしれないが、
 その後、二人きりになったら確実に体を許すだろう。まして、二人きりの時に迫られたりしたら言わずもがなだ。

(赤ちゃんだって…産んでもいいのに)

 社会的経済的な問題というのは理解しているから、今のところ積極的に妊娠しようとは思わない。
 けれどもし出来てしまえば産むつもりだし、妊娠して欲しいと薫に言われたら絶対頷いてしまうだろう。
 もっとも、基本的に真面目かつ計画的な性格をしている薫はそんなことは言わないだろう。
 もちろん、優希はそれが自分を大切に思えばこそだと理解しているし、うれしいと感じてはいるが…

(なんていうか…気遣いの方法を全力で間違えているよね)
「さあ、そろそろ覚悟はできたかね、ユーキ」

 いつも通りの無表情な、けれどどこか嬉々とした感情を感じさせる薫を見て、優希はもう一度ため息をついた。

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最終更新:2007年10月08日 00:26