次の日の朝。
 僕にとっては、転校初日。
 新生活に――主に一人暮らしができるという部分で――割と期待で膨らんでいたはずの胸は、
 小さくしぼんでしまっていた。
 ……隣の、それなりに豊満な胸の持ち主が、その原因だ。
「♪」
 僕と腕を組んで登校する勇気は、これ以上無い程に嬉しそうな表情を見せていた。
 可愛いというよりは、凛々しいと言った方がいい、素のままの、十年前から全くこれっぽっちも変わっていない笑顔を。
 外見はそれなりに女の子らしくなっている。というかむしろ、黙っていれば美少女で通るかもしれない。
 だが、身にまとう雰囲気は、あの頃から全然変わっていないように思えた。
「………………」
 対する僕はといえば――
「どうした薫。なんと言っていいやらどうしていいやらさっぱりわからないというような途方に暮れた顔をして」
 ――まさにそのような表情を浮かべていた。
「……いや……ホントにどうしろって言うのさ」
「どうしろも何も、見ればわかるだろう?」
「見ればって……」
 請われて、客観的に僕らの今の状態を見てみた。
 腕を組んで――というか、無理やり捕まれて――高校へと向かう道を歩いている。
「……腕を組まされて、歩かされてるね」
「嫌なのか? だったらやめるが」
 動揺も何もなく、あっけらかんとした口調で勇気が言う。
「……あー、えー……嫌、ではないけど」
 対して僕は、逡巡しながら本心を口にする。
 ……だから困る。だから困るんだよ。
 具体的に言うと、ちょっと胸の感触が腕にあったりとか、そういう所が。
「だったら問題は無いだろう。私たちは恋人同士なのだしな!」
「………………」
 沈黙。
「どうした?」
 相変わらず、動揺も何も無く、あっけらかんと勇気は問いかけてくる。
「………………」
 それに対して、僕は沈黙で返すしかない。
「体調が悪いようなら、保健室に寄って行くか? うちの保健室はやけに充実していると評判でな――」
 楽しげな口調で話す勇気の言葉をどこか上の空で聞きながら、僕は思っていた。

――ホントに、どうすりゃいいんだよ――と。

もうちょっとこうステップというかなんというかそういうものを踏んだ上で恋人同士とかそういうのはなるべきであって
 いきなり恋人宣言されてもこまるというか心の準備ができていないしだからって嫌いというわけでもないから余計困るのであって
 むしろ嫌いか好きかって言えば断然好きだし向こうが好きだって言ってくれたのも十年前から嬉しかったし今でも変わらず 僕の事を好きでいてくれるのは嬉しいどころか幸せなんだろうけどやっぱり何もかもがいきなりすぎてわけがわかんないというのが 一番に来ちゃってもうちょっと色々考える時間をくれと小一時間程問い詰める暇があったらさっさと考えればいいから考えてるんだけど 考えりゃ答えがでるって問題でもないわけでそれにしても体つきは随分女の子らしくなってるし胸なんかこう柔らかくてとかそういう 事はさておきやっぱりこう物事には順序があるというのが道理なわけでステップというかなんというか――

 千地に乱れる思考。
 外見は多少男らしくなっても、僕の中身はまだ女々しいままだったりするのだった。
 そういう意味では、僕もあの頃と――十年前と変わってないという意味では、お互い様なのかもしれない。
 とほほ……。
「――というわけで、教頭の机の下の赤いボタンをポちっとな、とばかりに押すとその瞬間に……と、着いたな」
 ……ちょっと待て、なんだその話は。気になるじゃないか。
「ここが鮫島学園高等部の校舎になる。入ってすぐ右手に職員室があるから、まずは薫はそちらだな」
「あ、ああ」
 ……教頭の机の下の赤いボタンの話は、また今度聞こう。何故か、今聞いてはいけない気がする。
 僕は校舎を見上げた。かなり立派な建物だ。流石小中高一貫教育で名高い鮫島学園の校舎だ。
 時刻がかなり早い――僕が早めに学校にこなければならなかった為だ――せいか、人影はまばらだ。
 運動場らしき広場の方からは、朝練に勤しむ生徒たちの声が響いてくるが。
「……ところで、勇気は学校でもソレなのか?」
 僕は、ふと気になった事を聞いた。いや、赤いボタンの話ではなく。
「ん? ソレ、とは?」
「いや、そういう喋り方なのかなぁ、と」
「ふっ……甘く見てもらっては困るぞ、薫!」
 勇気は、何故か右斜め四十五度の角度で、ポーズを決めながら言った。
「この学園では、私は大人しいお嬢様として通っている!」
 なんでやねん。
「むしろ、話すとすぐに地が出ると言った方が正しい」
 だから、なんでやねん。
「黙っていれば猫を被る時間も、当社比100倍だ」
「………………」
「薫が来た時に、私が薫の望んだ女の子らしい女になれていないと思われてはいけないからな。
今まで細心の注意を払ってきた!」
「………………あのー、勇気さん?」
「どうした?」
「じゃあ、なんで今僕に対して地なの?」
「………………」
「………………」
「細かい事は気にするな!わははは」
 ……いや、なんか本末転倒というか、そういう言葉が浮かぶんですけど。
 こういうのも男らしいと言うのだろうか。
 ……きっと『馬鹿』って言いそうな気がするけど、あえて男らしいと言っておこう。あえて。
 僕は頬を少し赤くしながら苦笑した。
「……わかったよ。気にしない」
「それがいいぞ、うん!」
 勇気は、豪快に笑いながら僕の背をバンバン叩いた。ちょっと痛い。
 顔色にはまったく変化は無いが、ひょっとしたら照れ隠しなんだろうか。
「じゃあ、僕は職員室行くから」
「おお、じゃあ"また後で"な!」
「ああ、また後で」
 右手に職員室が見えた所で、僕らはそう言って組んでいた腕を離した。
 その瞬間、少しだけ――少しだけ、勇気が残念そうな顔をしていたように思えたのは、気のせいではないのだろう、多分。

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最終更新:2007年10月08日 00:37