シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

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ナイトテイル 壱:しょう

 光が舞っている。幾つも幾つも。まるで蛍のように。違うとすれば、瞬く事無く、その色も赤、青、橙、白と千差万別なことだろう。
 それを追う人影が一つ。
 麦藁で作った穂をゆっくりと宙で動かす。渦のように掻き混ぜながら慌てる事無く光を追う。
「ほーれ、ほれ」
 時折呟くのはリズムを取る為の掛け声で、年老いて皺枯れたものだ。けれど動きは確りしていて、背筋もシャンと伸びている。
穂の動きに誘われたのか、高い所を舞っていた光の一つが下へと降りてきた。
「ほーれ、ほいっ」
 すぃと滑る様に老人が動き、下りてきた光の前に移動する。そして、穂がその内に光を捉える。
 束ねた麦藁が茜に染まり、老人は嬉しげに頬を緩め、注意深く光を小さな角燈へと収めた。
 覗き込めば記憶の光景が垣間見えるだろう。

 霧が這い上がってくる。ブラックのコーヒーに注いだクリープのように渦を捲いた濃い霧が水路を満たし、道へ橋へと這い上がる。さらに密度を増しながら積み上がり、空へ空へと腕を伸ばす。まるで水の中に迷い込んだかのように濃密で、息が詰まるほどに先の見通せない霧の夜。
 橋の袂で悲鳴が上がった。いつもならば響き渡るであろうそれは白く分厚いベールがやんわりと受け止め吸収してしまう。だから,誰も気づかない。故に、助けなど来よう筈もない。街灯の明かりが白く白く輝く下で、悲鳴を上げたOLはスーツを着た何かに組み敷かれる。何か、そうナニカだ。男の姿をした人でないモノだ。
 人は爛と瞳を輝かせたりはしない。
 人は影から影へ渡る事など出来はしない。
 何よりも、人は口が耳まで裂けぱっくりと開くことなど、ない。
 必死の抵抗は虚しく、助けを求める声は何処にも届かず、男の大きく開いた顎から零れる粘液に汚される。ぎっしりと並んだ乱杭歯はどれもが無慈悲な耀きを宿していた。粘液には麻酔効果でもあったのか、OLの抵抗が弱まり、体から力が抜ける。それどころか、首を仰け反らせ、白い肌を顕にする。肌は微かに上気し、吐息はどこか艶めいて、待ち望んでいた。
 男の唇とも頬ともつかぬ部分が歪んだ。捲れ上がり、赤い歯茎が剥き出しになる。そのまま白い首筋を喰いちぎった。
 血飛沫く。
 ビチャビチャと雫となって飛び散る。それでも足らず、霧に溶け込む。仄かに霧が紅く染まる。まるで桜の花弁が舞うように、霧霞む。それだけであれば、どこか幻想的ですらある。けれど、そこにあるのは哀れな犠牲者とその血を啜る異形のモノの繰り広げる惨劇だ。
 男は血の溢れ出る傷口に顔を埋め、喉を鳴らす。高級そうなスーツを斑に染めながら歓喜の震えで満たされる。やがて上げたその顔は飛び散った血が筋と為って流れていく凄惨なもの。さらには異様に長く細い舌がそれを丹念に舐め取っていく。見るものを不快にせずにはいられない光景だ。
 霧はただ、それを覆い隠す。
 本当に? 本当にそれだけか?
 この街は霧を招く街だ。水路に依って陣を敷き、怪異を封じ、怪異を招き、怪異を生み出す。
 霧は象徴。
 怪異の、不可思議の、そしてこの街の。
 そう、この街の霧は怪異を招き、そして封じる。
 だから、だから、きっと……。
 辛うじて息のあるOLが声を漏らした。
 異形は嗤う。愉悦に、優越に浸りながら。ただ、その掌に他者の命があることを嗤う。
 霧は満ちる。何処よりか這い上がり、舞い降り、流れ着き。集う。
 昔々。水路の施工、その無事の終了を祈って奉げられた人柱。誰かを犠牲にした身勝手で偽善な願いはそれでも叶えられた。だけどそれは遠い空の上の誰かが叶えてくれたのではく、犠牲になった娘が願ったから。遥か昔から街に満ちる霧は強い意志を具現した。誰かの笑顔を、平穏を。ただそれを望む強い遺志。
 故に、顕れる。真っ白い霧が人の形に切り取られ、理不尽を覆す為に、今ここに。
「やめなさい」
 凛と霧の中染み渡る。鎖となって縛り上げる。異形が動きを止めた。止められた。おおお、と吼える。自由にせよと、戒めを解けと、悲鳴のような声を上げる。
 白いドレスが霧に溶け込んでいた。けれど、そこに彼女はいる。強く意志を込めた眼差しを異形に向けて相対する。
「血を啜るもの。お前を滅ぼす」
 言葉は霧に同化した。霧がどこか変質する。それを感じ取った異形が未だ怪異を呼び込み、覆い隠す霧の中へと逃亡を図る。
 女は慌てない。ただ、よく通る声で宣言する。古の、言葉がもっと神聖で、力持っていた時のままに朗々と。
「汝の逃げるを封ず」
 霧が絡みつく、そんなイメージと共に跳躍した異形が地面に落下する。爛と光る瞳が憎しみを持つ。捲れ上がった唇より見える乱杭歯が威嚇する。己の足元から伸びる影へ飛び込もうと長く伸びた爪でアスファルトを引掻く。耳障りな雑音に満ちる。それでも呪縛は消えない。
「滅びを与えるもの」
 雑音を打ち消す冷え冷えとした言葉。異形は動きを止める。目の前で起きていることを凝視し、恐怖する。
 霧が女の掌の上に集う。密度を増して形を取る。その姿は白木の杭。鋭い先端を異形に向けて、掌の上でゆらりと揺れる。血を啜るモノ達に致命的な『死』を与える器物の一つ。
「心の臓を打ち貫け」
 言葉のままに滑るように宙を飛ぶ。音もなく、霧そのものに運ばれるかのように滑らかに。
 ダンッ。
 アスファルトを踏み抜いて、異形が女へと飛ぶ。両足は裂傷に似た傷が幾つも開き、紅くその身を濡らしていた。与えられた呪縛は『逃げるを禁ず』、ならば逃げるのではなく立ち向かうのであれば? 屁理屈のようなロジック。それを異形が意識しているのかは分からない。だが、裂傷と引き換えに動きを取り戻した。確かに呪縛は完全に解けてはいない、しかし動きを阻害するほどのものでもない。異形は地を這うように女へ迫る。白木の杭を髪一重で避け、血で汚れた腕で女を薙ぎ……。
 動きを止めた。不思議そうに胸から突き出た杭の先端を見つめる。杭を引き抜く形に手を動かし、力尽き形を失った。灰とも霧ともつかぬものに砕けて消える。
 かわした筈の白木の杭が引き寄せられるように方向を変え、女の言葉通りに心臓を貫いたのだとは終ぞ悟ることもなく。
 女は、ゆっくりと倒れたOLに近づき、身を屈める。虚ろな、焦点の合わない瞳が女の姿を捉える。唇が動く。擦れている。『シニタクナイ』
「大丈夫。あなたは死なない」
 女の言葉は真実になる。現実を変える。
 乾き始めた首筋の傷に手を添え、呟く言葉は。
「治癒」
 青ざめていた肌に赤みが戻る。鼓動が正常に刻まれ始める。苦しげな呼吸は穏やかなものに。瞳に光が戻り、現実を映し出す。
「助かったの……?」
 女はただ微笑む。女にとって言葉は現実。口にすれば如何なる事であってもそれが真実。『光あれ』と叫んだならば、光が生まれるだろう。だけど、それは女の望むところではないから。
 だからいつも同じように、そっと人差し指をOLの唇に当てて。
「このことは全て忘れる。目が覚めたらあなたは自宅の布団の中。だから、お帰りなさい」
 全てを無かった事にしてしまう。
 OLが姿を消し、以前と同じように静寂が辺りを覆う。女は淡い笑みを唇に乗せる。霧が風に揺れた。女の姿はどこかへ紛れていた。ただ、どこか優しい雰囲気が霧と一緒に満ちている。

「言霊は強い力じゃでの、仕方がない事とは言え、ちと哀れじゃわい。喩え自ら望んだとしてものぅ」
 角燈を腰に吊るした老人が呟く。声色はとても優しい。
「しかしまぁ、霧もそのままでよいとは思っとらんようじゃの」
 まこと密やかに流れ始めた一つの噂は、一人の白い女の事を語っていた。霧深い夜何処よりか顕れ、理不尽を覆す、言霊使いのことを……。
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