シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

討魔物語 雪女

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討魔物語  雪女

作者:清水光


 人は光にて闇を払おうとする。その試みは成功には至っていない。
 居酒屋から漏れる明かりが、深夜を薄闇に和らげようとも、一つ道をたがえれば、そこはもう人知の及ぶところではない。
 一人の小柄な少女が、裏路地を滑るように駆けぬけた。
 真っ白な長髪、青地に白をあしらった和服姿に、アクセントして首には銀のネックレスが輝く。
 深雪ささめ。現在、人里にてバイト中の雪女。
 彼女は走ることをやめようとしない。
 その足取りに一切の余裕の色はなかった。時に振り返っては、背後に視線をやる。
 まるで猫に追われる鼠を思わせる、必死さで。
「逃がさない」
 低い声音は、ささめの後ろからではなく、前から響く。その事実が彼女を足を止めさせた。
 正面の物陰から、また少女が一人、立ち現れる。
 同じく和装。ただし全身黒一色。髪も瞳も夜に隠れるように暗い。
 灯真深鳥はその怜悧な眼差しで、ささめを射抜く。言葉以上に絶対の意志を物語る。
 ふっと、深鳥は低く跳躍した。自らの足裏を瞬間的に最大発火、衝撃が少女を加速させる。
 夜気を切り裂き、まっすぐにささめに迫りながら、深鳥は右手を伸ばした。
 細い指先は一寸の狂いとてなく、急所に向けられている。
 ささめは動けない。――否、動かない。
「残念」
 不自然な唐突さで、ささめはその面に薄い笑みを浮かべた。
 深鳥の手はささめの頚部を把持したはずだった。だが交錯の後、彼女の手中には何もない。
 冷たい感触がわずかに残るのみ。
「チョトツモーシンのランボー女には、つかまんないよ」
 滑らされた、恐らくそれが正しいのだろう。深鳥は自らの失策を知った。
 急ぎかえりみるも、ささめは再び逃走を開始している。一度はゼロにまで縮まった距離がまた開いていく。
 瑣末なことだ、深鳥は思う。最終的な結果にいささかの揺らぎもない。
 何があろうと魔は許さない、全力でもってたたきつぶす。
 深鳥は走り出す。決して追跡を諦めることはない。
 路地裏を、和服姿の少女が二人。一方は追い、一方は追われる。
 呑気さの欠片もない。追う一方は紛れない殺気を放っているのだから。
 何本もの細い道が絡まっては交じる。よほど地理にたけたものでなければ、すぐに自らの位置を見失うだろう。
 ささめは平らかな地面の上を、すいすいとすべってってゆく。スケートの要領、足もとのみを氷で固め、摩擦を少なくさせる。
 対する深鳥は先と同じく、低位での滑空をくりかえし、ジグザグと直線的な軌道を描いてゆく。
 道とも言えないような建物の間の狭い空間には、そこかしこに廃棄物が立てかけられる。
 それらは深鳥にとっては障害物以外の何ものでもなく、追撃を妨げる。
 結果、ささめの方がわずかに速度でうわまわることになる。二人の差は徐々に開いていく。
 次第に離されていくということに深鳥は気づいた。
 その上、あの雪女は周辺の地図にもいくらか詳しいみたいだ。状況は自分に不利へと傾いている。
 もとより手段を選ぶつもりなどなかった。
 深鳥は中空にて、右手を後ろに引きしぼる。弓の型。一本の炎矢がそこに生まれる。
 うなりをあげて矢は走った。鏃の先には青地の和服の後姿。
 かんだかい悲鳴が上がる。
 和服の右裾を貫き、焼き落とす。無理な体勢がわずかに狙いを違わせた。
 ささめは後ろを見ずにはいられない。実際の殺意を前にして、その瞳の奥はかすかに震えをおびる。
 次は外さない。深鳥もささめもまた、そう確信していた。
 今度こそ自分は炎によって魔を焼き払う。
 今度こそ自分は炎によって心を貫かれる。
 生存への希求が、ささめをさらなる逃走へと駆り立てる。
 高く積み上げられたプラスチックケースの間をすり抜けた。一瞬だけ、深鳥の視界からささめは消える。
 すぐにまたその哀れな魔の背面は、深鳥の前に現れる。振り絞った火矢を、無防備な背中へと、放った。
 さすらうことなく最短距離で、飛行した炎の槍は、人体の中心線、脊髄の真ん中を刺し貫く。
 一片の救いもなく、それは、死を、意味する。
 次いで、炎は爆ぜる、雪女の肉体をばらばらに打ち砕いた。完膚なきまでに。
 深鳥は立ち止まる。胸の底から息を押し出した。
 これで終わり。
 ――本当にそうなのだろうか。
 違和感、何かがおかしい。根拠はない、本能がそう告げている。
 再び疾走を開始する。殲滅すべき対象は消失したにもかかわらず。
 舌うちが闇夜に響いた。それは深鳥以外の存在がこの場にまだあることを証明していた。
 プラスチックケースの陰から、人影が出現する。
 青の装い。深雪ささめ。破壊したはずの目標。
 それも一つではない。つづいて二つ三つ、同様の後姿が飛び出してきた。
 幻術。その可能性に深鳥は思い当たる。実像はただ一つ、残りすべては虚像にすぎない。
 偽物をいくら殺したところで、本体を葬らなければなんの意味もない。雪女は依然として生存を継続している。
 三度目の追跡劇が幕を上げた。
 これが最後となろう。術の行使によって、深鳥もささめも、どちらもがすでに著しく消耗している。
 どちらかが遅かれ早かれ、崩れる。
 深鳥は執拗に複数のささめを追い回しながら、その後姿を一つ一つ撃ち落としていく。
 ささめはそれに呼応するよう、失われた鏡像を一つ一つ再構築していく。
 闘争に諦念を抱いたものが即時、敗者となろう。
 いったいどれだけの時間がたち、どれだけの距離を走ったのか、誰も知らない。永久にも感じられる濃密、命をかけた鬼ごっこ。
 炎術士はまた一つの幻想を崩壊させる。対する雪女はその失われた虚偽を再生しない。
 深鳥は自らが相手をついに追い詰めたことを知った。
 青い背中は角を曲がる。そこに辿りつけば、終わる。
 ぽつぽつと街灯が立っている。それまでの裏道と違っていくらか道幅は広いが、人通りはいっこうない。
 月もない。夜の世界。
 ささめの姿すらなかった。まったく消えうせていた。
 深鳥は立ちつくす。虚像も実像も変わりなく、一様に消え果てている。
「これで追いかけっこは終わりだよ。じゃねー」
 どこからかささめの声がした。幾重にもエコーをかけられ、それから方向を特定することはできない。
 けれど、深鳥にはそれだけで十分だった。まだ遠くにはいっていない、その事実が確約されるだけで、十分すぎた。
 周辺へと広く感覚を拡散させる。
 建物が一部、意識領域に異物として混じりこむ。その事実を切り捨てる。無視する。
 ただそこにいる魔を滅却することができるならば。それを除いて他、いったい何の有意義があろう。
「ちょっと、まさか」
 深鳥は自身のうちに練りこんだ火炎を、解き放った。
 刹那、昼の明るさが周囲を覆った。広く四方に展開された灼熱は、一瞬だけ闇を犯した。
 道路に面していたのれんや看板の一部が、焼け落ちる。壁にはすすが散っている。
「こんな往来で派手な術なんて使って――」
 ささめは深鳥に向かって激高していた。
 再度立ち現れたその姿に損傷は見られない。
 彼女の身を隠した幻術は氷雪を利用するのだろう。それが炎熱に対する防御として働く結果となったに違いない。
 今、二人は正面から対峙していた。
 互いの間合いからはわずかに外れている。逆を言えば、どちらかが一歩でも踏み込んだとしたら。
「何考えてんの」
「別に何も。あらゆる魔を消滅することができれば、他には何もいらない」
「……いったいどっちが魔なんだか」
 深鳥には問答をおこなう気などはじめからない。ささめの言葉を押し返すよう、前へと踏み出す。
「これで終わり」
 それは誰に向けられてもいない言葉。独り言というにも、あまりに虚ろに鳴った。
 ゆっくりと弓引いてゆく。目の前に立つ、青い装いの少女に向けて。
 あとは、深鳥が手を開いたら、おしまい。この近距離での一撃に、ささめは滅失せざるを得ない。
 タイミングをはかるべく、ふかく、深鳥は息を吐いた。
「ずいぶんと騒がしい夜だ」
 その声はあまりに突然に聞こえた。
 ささめのうしろの闇の中から、第三者、すっとその姿は立ち現れる。
 颯爽とした長身のシルエットに、皮の外套をまとう。銀の髪が淡い光に映える。
 男装をしているものの、声のトーンと雰囲気から、深鳥にはその人物が女性であることがわかった。
 スノリ・ヴェランド。若きルーン術士は青い目線を深鳥に向けていた。

 

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