シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

曖昧な境界

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曖昧な境界 作者:あずささん

 

 蹴る。蹴る。蹴る。
 いくらその地を強く蹴り出しても、少しも速く進んでいる気がしない。身体が重く、足元がぬかるんでいるかのような錯覚にすら襲われた。現実にはぬかるんでなどいない。だが山道は枝や葉が乱雑に散りばめられ、足がもつれるのは確かだ。焦りが募る。もっと。もっと速く。もっと!
(いる。なんか、いる)
 日向大樹は後ろを振り返ることもなく、ただ一心に前を目指した。それなのに感じる。何かが追ってきている。自分を、自分の後を追ってきている。
(何だよ、何なんだよ!?)
 訳がわからなくて声を荒げたい衝動に駆られた。しかしそれは未遂に終わる。声を出せば相手に自分の居場所がより知れてしまうし、何より声を出す余裕もなかったのだ。
 それよりも早く逃げなければ。早くここを出て、誰か助けてくれる人を見つけて――。

 どうしてこんなことになったのか。それは数時間前のこと。
 友達の一ノ瀬杏里を訪ねて霧生ヶ谷市に遊びに来た大樹と兄の春樹は、杏里の提案で近場の山へ遊びに来た。その際色々見て回っていたのだが、少し離れて散策していた大樹は一匹の子ウサギを見つけた。動植物などの声を耳にすることが出来るという少々変わった能力を持つ大樹は、その能力が関係しているのかいないのか、とにかく動物が大好きだ。駆けていくウサギを追うのはもはや無意識にも近かった。
 追ってきた大樹に気づいたウサギは、可愛らしくも小首を傾げ、『一緒に遊ぶ?』と誘いかけてくる。この誘いを一体どうして大樹が断れようか。否、断れるはずもない。嬉々としてその誘いに乗り、ウサギが駆けていく場所へついていった。それがまず間違っていたのだろうか?
 ウサギはどうもこの山に詳しいらしく、様々な場所を見せてくれた。そのたびに大樹は瞳を輝かせたし、はしゃぎ回ったのだが。
 気づけば時間がだいぶ過ぎており、陽が落ち始めている。いけない、と思った頃には春樹や杏里の居場所はおろか、自分がどこにいるかすら判断がつかなかった。能力を使ってウサギや木々に道を尋ねることが出来れば良かったのだが、――ここに来るまでにやたらめったらと話しかけまくってしまったのだ。おかげで一時的に能力が尽きかけている。声を“聞く”のはともかく、こちらから“話す”のは明らかに無理だった。これ以上無茶をして能力を使えば、否応なしに眠り込んでしまうだろう。それはまずい。こんな場所で眠ったらどうなるか。
 そして。
 背後から微かな物音をたて、何かが近づいてきたことを大樹は察したのだった。


(来てる!)
 悲鳴に近い思いを堪え、大樹はさらに速度を上げた。風が、霧が重い。吐く息が熱い。鼓動が痛い。
“ニゲテ”
“ニゲテ”
 木々のざわめき。それはひたすら押し寄せてくる。不安と、焦燥と、熱意を持って。
 大樹は頭の中で舌打ちを思い描く。逃げているのだ。思い切り。これでもかというほど! 逃げてというなら、どこへ、どう逃げればいいかを教えてほしいのに!
 しかしこちらから話しかけることは出来ない。アレを撒く前に力尽きるわけにはいかなかった。グラグラと襲い掛かってくる目眩は奥に押し込んでおく。
「何だっけ」
 大樹はふいに呟きを漏らした。投げやりになっていたのかもしれない。だがそれ以上に、この恐怖を打ち消そうとあえて意識を違うことに向けたかったのだ。それが致命的な失敗を引き起こす原因になりうるとしても。
「あれか? あれなのかっ? すぎ、杉……ええと杉田さん? 杉村さん?」
 杏里が前に教えてくれた。そういう昔話があるのだと。

『あのね、人通りの少ない通路で笑い声が聞こえるんだって。それもすごく奇妙なの。その声を聞いたら立ち止まっちゃいけないんだよ』
『へっ? 何で?』
『その正体は杉山さんっていうんだけど、もし立ち止まってたら杉山さんに消し去られちゃうって話』
『うげ!? で、でも昔話なんだろ?』
『うーん、でも実際に見たっていう人もいるらしいよ? そういえば最近は聞かないけど……あ、大樹、怖がってるでしょ』
『んなっ……べべ別に怖くなんか!』
『ふふー。顔真っ赤。どもりすぎ』
『ちがっ、これは! 特技で! 発声練習で!』
『あは、大樹の怖がり~♪』
『違うって言ってんだろーっ!』

 ――ああ、そうか。杉山さんだっけ。杉田でも杉村でもなく。そうだよな、ここ山だし。田んぼじゃないし、村じゃないし。
 ――いや違う。関係ない。そもそも出るのは人通りの少ない通路だって。笑い声じゃないし。ああもうそうじゃなくて!
 思考の糸は絡みに絡みまくっていた。大樹はそれを解くことを放棄する。それよりどこに行けばここから抜け出せるのか。春樹は、杏里はどこにいる!?
 必死に周りを見渡した瞬間、背筋がザクリと凍った。近い。そう認識するより早く大樹の足は地を滑る。
「っあ!?」
 打ち付けた痛みが鈍く響く。だがいつまでも伏しているわけにはいかない。大樹は反射的に両手を地につき起き上がろうとし、
「……っ」
 今までの疲労が一気に押し寄せてきた。息が苦しい。身体が重い。動かない。
「や、」
 ばい。やばい。やられる……っ!?
 硬直した身で視界に映ったのは、黒い影だった。

「風輪大蛇!!」
「!?」

 ――何が、起こったのか。
 大樹が理解出来たことは、たった二つ。一つは、誰かが間に入ってきたこと。もう一つは、その誰かが太刀を振りかぶった瞬間、大きな蛇らしきものが出てきてあの黒い影を食べてしまったこと。
 次に訪れたのは静寂だった。木々の囁き、風の笑い声。鳥たちの呟き。徐々に現実が戻ってくる。
「え、と……?」
 混乱がひどくなる。大樹は呆然と目の前の相手を見上げた。
 対し、相手はのんびりとこちらを見下ろす。歳は自分より大きいだろうが、とりあえずまだ少年だ。おっとりとした表情に害は見られない。
「大丈夫ー?」
「へっ?」
「怪我はないー?」
「あ……おうっ。ダイジョーブ!」
 慌ててうなずく。実際、転んでも擦り傷すらないようだった。打ち付けた痛みもそうひどくない。しかし疲労は確実に身体にのしかかり、すぐに立てそうにもなかった。そのことに気づいているのかいないのか、少年は手を差し出してくる。その手に引っ張られ、大樹はふらつく足を叱咤して立ち上がった。
 助かった。助けてくれた。じわりと、ようやく安堵が広がってくる。
「えーと、君……」
「ありがとなっ!!」
「うわぁ!?」
 思い切り飛びつくと、相手が驚いたように短い悲鳴を上げた。
 大樹はハタと気づく。またやってしまった。よく兄から「むやみに飛びつくな」と注意されているというのに。
 しかしこのホッとした気持ちを一番表せるのはコレだと思う。だから大樹は謝りはせず、もう一度「サンキュー」と述べて軽く離れた。少年は気を悪くした様子もなく、「うん」と笑う。
「んと、オレは日向大樹ってゆーんだけど。そっちは?」
「おれは加阿羅(カーラ)だよー」
「かぁら?」
 不思議な名前だ。少なくとも友達にはいないタイプの名である。
「それより、君……大樹くんだっけ。何でこんなところに?」
「こんなところ、って」
 瞬く。ここは杏里の家に近い小さな山だ。確かに時間は遅いが、そう不思議そうな顔をされる場所でもない。
 ぽかんとしたまま答えに困っていると、加阿羅は「あのねー」とのんびり口を開いた。
「さっきのは怨鬼(おんき)レベルのやつだし、見えたとしても影みたいなものでそんなに大きな害はないんだけどさぁ。追いつかれたら一時的に性別変わっちゃうくらいだしねー」
「ぶっ」
 まぁ、人間にしてみれば不気味だし怖いやつだけどねー。
 そう言って加阿羅はわずかに微笑を苦笑に変える。さらりと奇妙なことに触れていた気もしたが、大樹はあえてそれを流した。それより聞き慣れない言葉がある。
「おんき?」
「うーんと、そっちで言うと平社員、課長、社長の内の平社員みたいな感じ~」
 その例えは大樹にすら「ちょっと違くね?」と思わせるものだったが、それはさておき。
 そして結局杉山さんではなかったんだな、とも思ったがそれもさておき。
「この辺はそーゆうのが多くて、ふつう、人間は滅多に来れないんだよねー」
「え? マジで?」
「うん。だからどうして君がここにいるのかなぁって」
「それはウサギとか花とかに……あ、えっと」
 とっさに口ごもる。動物や植物に誘われるままに迷い込んでしまっただなんて、言ったところでおかしいと思われるだけだ。春樹にも自分の能力のことは他言しないよう言われている。だが目の前の少年は自分を助けてくれたのだし、そんな彼に嘘をつくのは心苦しい。そもそも大樹は嘘が信じられないほど下手だ。
 迷っていると、加阿羅は「まぁいっかぁ」と、これまたおっとり呟いた。どうやら深くは気にしていないらしい。
「とりあえず、気をつけて帰るんだよー? それじゃあ……」
「あ、あのさ!」
「うん?」

*****

 帰る道がわからないのだと答えた大樹に、加阿羅は快く案内を引き受けてくれた。大樹はホッとして彼の後に続く。さすがに暗くなってしまったが、彼が一緒ならそれでも心強い。
「な、な」
「あ、ちょっと待ってー。戻るのが遅れるって連絡取らないといけないから~」
「連絡……?」
「――よし、オッケ~」
「そ、そっか……?」
 全く連絡を取っているようには見えなかったのだが、いやむしろ何もしていないように見えたのだが、加阿羅は「うん」とうなずいた。
 ――このように訳のわからないことを連発する彼だが、まあ、心強いのだ。きっと。多分。
(にしても……)
 ちらりと加阿羅を見上げる。彼は一体何者なのか。さっきから「人間にしては」など「人間」とよく聞くのが引っ掛かる。
 とはいえ、それを直接聞いていいものか大樹には判断がつかない。仕方なく無難に質問を投げかけることにした。
「なぁ」
「何だいー?」
「さっきのさ、アレ何だ? 蛇みたいなのが出てきたやつ」
「風輪大蛇? 風の霊子を集めて、それを大蛇の姿に変えたんだよー」
「ふーりんだいじゃ? れーし?」
 ちっともわからない。聞いたことのない単語ばかりだ。
「難しいかなー?」
「むー……よくわかんねぇけど、でもカッコ良かったぜ!」
「それは嬉しいなぁ」
「えと、じゃあさ! カーラはこの辺に住んでるのか?」
「うーん、どうかなー」
「?」
「それより、ほら。あれ、大樹くんの知り合いじゃない~?」
「え」
 曖昧に濁した加阿羅が先を指差した。大樹はつられてそちらを見やる。最初はうすらぼんやりとしか見えなかったが、徐々にそれが春樹であることが知れた。その瞬間表情がパッと輝くのが自分でもわかった。先ほどよりもずっと大きな安堵が跳ねるように広まっていく。
「春兄!」
 叫び、駆け出す。あんなに走りにくいと思っていた山道が嘘のようだった。ぐんぐん駆け抜け、そして春樹もこちらに気づき――
「大樹……!」
「はるにっ、」
 すぱぁん!
「い、てぇえ!? 何すんだよ春兄! ボーリョク反対っ!」
「うるさいっ。どこに行ってたんだよ、こんな遅くまで! 心配しただろ!?」
「だからってハリセンで殴るなんてひでー!」
「自業自得だ、自業自得。……と」
 頭を抱えて喚く大樹から視線を外し、春樹が加阿羅に気づいた。瞬き、大樹と加阿羅を見比べる。彼は曖昧に眉を下げた。困惑しているらしい。
「どちら様でしょうか?」
「おれは~」
「カーラだぜ! 迷ってたとこを助けてくれて。オレの友達!」
 割って入る形になったが、構わず胸を張って答える。すると加阿羅は目を丸くした。
 春樹が大樹の頭を小突き、加阿羅へ軽く頭を下げる。
「こいつってば誰にでもすぐ友達扱いしちゃうんです。気を悪くされたらすいません。それと弟を助けてくれたようで、どうもありがとうございました」
「あ、ううん、そんなことー」
 笑った加阿羅がパタパタと手を振ってみせる。それは前者についてか、後者についてか、それとも両者についてか。おそらく両者だろう。大樹はいい気分になり笑みが溢れてくるのを抑えることが出来なかった。
「改めまして。僕は日向春樹です」
「おれは加阿羅だよー。よろしくね~」
 にっこり笑い、加阿羅が手を差し出す。ハイ、と微笑した春樹もその手を握ろうとし――なぜか彼はぴたりと動きを止めた。
「春兄?」
「…………」
「どうしたんだよ、春兄ってば」
「……わ、わからないけど」
 硬直した様子の彼はやや顔色が悪い。大樹は本気で彼を心配した。礼儀正しい彼が握手を止めるなんてらしくない。
 首を傾げていた加阿羅は一旦手を引っ込め、その手で頭を掻いた。
「もしかしてお兄さん、カラス嫌いー?」
「え?」
 呆気に取られ、思わず大樹と春樹は顔を見合わせた。
「よく知ってんな。春兄ってば、ゴミ捨て場を通るだけでぎくしゃくするくらいカラスが苦手なんだぜ。一斉に飛び立ったら『もっと静かに去ってよ!?』とか言いながらビクビクするしオレのこと盾にしようとするし、――いてっ」
「そんなことまでバラすな!」
「だってホントのことじゃんかっ」
「ホントのことだからって言っていいとは限らないの!」
「カラスのことくらい別にいーだろーっ!」
 ぎゃんぎゃん。瞬く間にその場が騒音と化す。お馴染みの光景だ。
 それを見ていた加阿羅が「そっかぁ」と笑った。相変わらずのんびりと。
「それじゃ仕方ないかー。えーと、それじゃおれもそろそろ帰らないとなんでー」
「あ……はい。本当にありがとうございました」
 頭を下げた春樹に、加阿羅はもう一度笑って山道へ戻っていく。大樹はとっさにその後を追った。
「カーラ!」
「……どうしたんだいー?」
「あのさっ、その……また会えるよな?」
「え?」
「今度は一緒に遊ぼうぜ!」
 だって友達じゃん、と笑うと、加阿羅は瞬いた。それもすぐ笑顔に変わる。
「そうだねー。おれもまた会えるのを楽しみにしてるよー」
「へへ♪ またな、おやすみ!」
「うん、おやすみ~」
 ぶんぶんと手を振れば、彼も小さく振り返してくれる。そうして角を曲がると彼の姿は見えなくなった。
 何だか名残惜しい。そういえば、結局彼はどこに住んでいるのだろう。やはりこの近くなのだろうか?
 不思議に思って少しだけ角まで歩み寄る。
 と。
「あれ……?」
 そんなまさか。
「カーラ?」
 そこには誰もいない。次の角まではまだ長いのだから見えないはずがないのに。失礼な話だが、あののんびりした加阿羅が大樹より早く次の角を曲がったとは思えない。
 立ち尽くしていると、ふいに道から逸れたところで物音がした。それは羽音。目をやると、大きな黒々とした鳥が飛び立っていく。それはあっという間に闇へ溶けていった。
 ぼんやり目の前の光景に見入っていると、春樹が近くまでやってきた。もう顔色は悪くないようだ。
「どうしたんだ、大樹」
「へっ?」
「ボーッとしちゃって。見送りは済んだんだろ?」
 春樹に言われ、もう一度道へ視線を辿らせる。そこにはやはり誰もいない。静かな暗闇が佇むだけ。
 なぜか、温かい笑いが込み上げてくるようだった。
「……ん、何でもないぜ! それよりオレ腹へった!」
「平和な奴……」
「あ、何だよそれーっ」
「それより、杏里ちゃんも心配してたんだから。ちゃんと謝っとけよ」
「うっ。お、怒ってたか?」
「怒るのはこれからじゃないの?」
「……春兄~っ」
「僕はノータッチ」
「鬼ぃー!?」
 喚いても、春樹は素知らぬ顔で耳を塞ぐばかり。
 大樹が不満に呻いていると、ふいに手を差し出された。きょとんとして見上げれば、笑ったような呆れたような、兄の顔。
「ほら。帰るよ」
 当たり前のようなソレが、嬉しくて。
「……ん!」
 喜びを全身で表さんばかりに、大樹はその腕ごとに飛びついた。


* * *


「結局どこ行ってたのよバカ大樹ー!」
「何だよバカってぇ!? そんなこと言うならオレが見た不思議なこと話さなっ、ふぎゃ!」
「何っ、何見たの!? 何されたの!? 面白かったっ? ドキドキした? 怖かった!?」
「言うから降りろって、ちょっ、重い! しかもオレ頭打った!」
「レディに向かって重い……?」
「ひゃう!? やめっ、ぅあはは!? くすぐんな、ギブ、ギブーっ!」
「……二人とも、夜中だからもう少し静かにね……」
 一瞬でも、怨鬼より杏里の方が恐ろしいと思ってしまう大樹であった。

 
 

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