シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

己が宿命を受け入れろ

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『己が宿命を受け入れろ』  作者:香月

 

気の迷いだった。ちょっと暇が重なったからといって、生粋の不思議男の妄言に付き合うべきではなかった。自分の馬鹿さ加減と、不思議男の懲りない性格を呪ってやりたくなる。つーか、ここはどこだ? 水路ってことは、水路に入ったわけだからわかってるが……具体的に何区あたりかを知りたい。というか出たい。少し暖かくなってきたとはいえ、水はまだ冷たいんだ。
「完璧にはぐれたな」
 もう何度目の呟きだかわからん。誰か、俺をここから出してくれ。
 リアルにこの水路で1人くらい死んでるんじゃないか? 死体が流れてきても驚かないという、無駄な自信が湧いてきた。
 よくわからんが、時刻は夕方といったところではないだろうか。入った時に比べて、水路の見通しが利かなくなってきてるぞ。
「うーん。結局何も見つからないのかな」
 反響して聞こえてくる声。この口調! 間違いない。俺をこの水路に引きずり込んだ奴だ。この野郎。
 声は先の角を折れた所から聞こえてきていると見た。おそらく、こっちに向かってきている。……脅かしてやろうか。
 そうと決まれば話は早い。音を立てないように角で待機。よし、転ばす。
「うーん」
 今だ!
「オラァ! はぐれた仲間のことも忘れ――」
 予想に反して転ばなかった。むしろ臨戦態勢。俊敏な奴め。
「あ?」
 ……誰だ? 俺が思っていた奴とは違う。男女なところは一緒だが。
「だ、誰?」
「お前こそ誰だよ。こんなところで何してんだ」
 途端、俺の問いに目を輝かせる男女。なんだよ、俺何か良いこと言ったか。それはそうと嫌な笑みだな、いや、普通なら良い笑顔なのかもしれん。だが、俺にとってこの笑みは、面倒事の始まりだ。
「知りたい? 知りたいんだね? なら教えてあげる。白ワニとか、地底人とかを探してたんだよ」
 なんだこいつは。奴に似てる、というか同じじゃねぇか。霧生ヶ谷にはこんなのが溢れてんのか。今のうちに走って逃げるか?
「そういう君は何してるの?」
「見てわかんねぇか? 迷ってんだよ。出口を教えてくれ」
「わかんない。実は僕もそうなんだー。探すのに夢中になってたら、自分がどこにいるのかさっぱり」
 水路に入るとろくなことがない。そんなことは知ってたが、今回で再確認した。もう絶対付き合わねぇ。優しさなんて見せるか。そんなものはモロモロと一緒に水路へ放せ。水に飲まれてしまえばいい。
「僕も帰ろうかと思ってたんだ。出口までご一緒しますよ」
 こんなのでも、いないよりマシだ。多分。そうだと言ってくれ。
「お前の勘ではどっちだと思う? 俺はあっちだ」
「なら僕はこっち」
 ならって。わざと反対指しただろ。帰る気あるのか、こいつ。こんなところで夜を迎えるのは御免だ。

 

気の迷いだ。少し暇が重なったからといって、酔狂な不思議男の妄言に付き合うべきではない。自分の馬鹿さ加減と、不思議男の懲りない性格を呪いたくなる。……ここはどこだ? 水路だというのは、水路に入ったのだからわかってる。具体的に何区辺りかが知りたい。早く出たい。少し暖かくなってきたとはいえ、水はまだ冷たいのだ。
「完璧にはぐれた」
 もう何度目の呟きかわからない。誰か、水路の地図を作ってくれ。
 現実に、この水路で1人くらい死んでるんじゃないだろうか。 死体が流れてきても驚かないという、無駄な自信さえ湧いてくる。
 よくわからないが、時刻は夕方といったところではないだろう。入った時に比べて、水路の見通しが利かなくなってきている。
「うーん。結局何も見つからないなぁ」
 風呂のような反響する音。この口調。間違いない。俺をこの水路に引きずり込んだ男だ。あの野郎。
 声は先の角を折れた所から聞こえてきている。八割方、こっちに向かってきている。報復だ。
 そうと決めてしまえば話は早い。音を立てないように角で待機する。よし、足を払う。
「うーん」
 今だ。
「おい! はぐれた友人のことも忘れ――」
 足払い。避けられた。いつの間にこんな技を身に付けたんだ。
「ん?」
 ……これは誰だ。俺が思っていた男とは違う。男女なところは似ているが。
「誰かな?」
「あんたこそ誰だ。こんなところで何してるんだ」
 途端、俺の問いに目を輝かせる男女。なんだよ、俺が何かしたか。それはそうと、不吉な笑みだな。いや、普通ならば良い笑顔なのかもしれない。が、俺にとっては1日を無為に過ごすことになる合図である。
「知りたい? 知りたいんだね? なら教えてあげるよ。亀とか、アレとかを探してたんだー」
 何者だこの人は。あいつに似てる、というか同じではないか。霧生ヶ谷にはこういうのが溢れているのか。今のうちに逃走するべきか。
「そういう君は何してるのかな?」
「見てわからないか? 迷ってるんだ。出口を教えてほしい」
「わかんないなぁ。実は僕もそうなんだよねぇ。探すのに夢中になってたら、自分がどこにいるのかさっぱり?」
 水路に入ると悪いことばかり起きる。そんなことは知っていたが、今回で再確認させられた。もう絶対付き合わない。優しさなんて見せてはいけない。そんなものは、キムチと一緒に焼いてしまえ。そして狗にでも食わせるんだ。
「僕も帰ろうかと思ってたんだよねー。一緒に出口までどう?」
 こんな変わり者でも、いないよりは良いだろう。おそらく。誰でもいいから賛同してくれ。
「あんたの勘はどっちだと言ってる? 俺はこっちだが」
「それなら、僕はあっち」
 それなら? わざと反対を選んだだろう。この人は帰る気あるのだろうか。こんなところで夜を迎えるのは勘弁したい。


「なんかね。僕の友達に似てるなー」
「俺がか?」
 さっきまでキョロキョロしながら歩いていた迷子A(仮名)が急に喋りだす。本当に似ている奴だ。
「うん。ちょっと年上だけど、雰囲気とか」
 俺みたいな奴はそう珍しくもないだろ。常識人っていう人種だ。お前と違ってな。どこかのマッドサイエンティストと違ってな。いや、彼女が嫌いっつーわけではないんだがな。
「それなら、俺の知り合いにもお前みたいな奴がいるな。不思議なことに呆れるほど詳くて、俺をここに連れ込んだ張本人」
「白ワニは? 地底人は?」
 そいつは見たことがあるのか。と言いたいんだよな。俺に聞いたって、無駄だしな。
「さあな。いつも一緒に来てるわけじゃねぇし。つーか、来てないことの方が多いしな」
 残念そうに肩を落とす迷子A。この辺り、あいつと違って可愛げがあるな。まだ発展途上っつーか。いや、発展しなくていいんだが。
 少しずつ水路の様子が変わってきた。相変わらずどこだかまったくわからんがな。マンホールでもありゃ、そっから出ることもできるんだが。ちょっと重いかもしれんが、そのへんは気合だろ。地下というのはあまり気分の良いもんじゃない。
「寒いね」
「言うな」
 余計に寒くなるだろうが。凍死って意外に楽らしいが。不吉すぎるからやめとこう。
「お前、1人で来たのか?」
「違うよ。友達を連れてきたんだけどね。はぐれちゃったんだ」
「今言ってた奴か?」
「うん」
 その友達とやらに同情せざるえまい。おかしな縁で、厄介な知り合いを持ってしまったお前の宿命だぞ。見知らぬ友よ。出会うことがあれば、握手でもして話をしたいね。俺の人生で、一番短い期間で心友となることだって夢じゃないんじゃないか。
「あれ、何か浮いてるよ。亀? もしかして」
 どうかしたか。亀がそんなに珍しいのか。
「……水路の亀」
 あー、噂では聞いたことがあるぞ。何でも、とてつもない長生きでおまけに喋る亀だとか。そんなのいるわけねぇだろ。そりゃ、ただの亀だ。亀が喋り出したら世話ねぇし、笑えない。
「あのー、道を教えてくれませんか?。この水路から出たいんですけど、一番近い道ってどっちですか?」
 迷子Aが亀に話しかける。ああ、わかるぞ。猫の手も借りたいってやつだな。あれは亀だが。
「また迷子かの?」
「……」
 どういうリアクションを取ればいいのか、さっぱりわからん。お前はなんでそんなに自然体なんだ。亀だぞ、亀が喋ったんだぞ。口が動くのと一緒に人語が発せられているんだぞ。杉山さんの親戚だったらどうするんだ。って、そういう問題じゃねぇ!
「そうなんですよ。そろそろ帰ろうかな、なんて思ってたんですけどね」
 迷子Aが手招きをする。俺はそれどころじゃねぇ。亀が喋ってんだぞ。どう考えても異常事態だ。さすがに俺だって、少しくらい引くわ。
「ん? そこのお若いの。最近会ったばかりじゃの。また迷子か」
「はい?」
 なんだって? また? 水路で迷子になった時に、誰かと会ったことなんて一度しかない。あの外人の爺さんだ。しかし、あれは爺さんだろ。人間なんだだ。亀じゃねんだ。誰か、俺をここから出してくれ。寝てるなら起こしてくれ。
「もう忘れたのか。フィラデルフィアじゃよ。フィラデルフィア・スタンレーじゃ」
 誰か助けてくれ。外人の爺さんじゃなかったぞ!


「なんだかねぇ。僕の友達に似てる気がするなぁ」
「俺が?」
 さっきまでキョロキョロしながら歩いていた迷子B(仮名)が急に言う。
「うん。ちょっと年下だけど、雰囲気とかがねー」
 俺みたいな奴はそう珍しくもないと思うが。常識人という人種だ。あんたと違い、な。どこかの女子高生も然りだ。彼女のことが嫌いなわけではないのだが。
「それなら、俺の知り合いにもあんたみたいな奴がいる。不思議なことが大好きで、俺をここに連れ込んだ張本人だ」
「亀とか、アレとか見たことあるの?」
 俺が見たことあるか、という問いではないだろう。仮に俺への問いだとしても、期待には沿えない。
「さあな。いつも一緒に来てるわけじゃない。むしろ、来てないことの方が多いからな」
 そうなんだぁ、とそれほど気にした様子もない迷子B。なんだか慣れている感じがする。完成形というのか。いや、完成しなくていいが。
 少しずつ水路の様子が変わってくる。相変わらずどこだかまったくわからないが。マンホールでもあれば、そこから出ることもできるんだが。少しくらい重くても、根性でどうにかする。俺は地下より空がいい。
「寒いね」
「言わないでくれ」
 余計に寒くなるだろう。凍死ってそれほど辛いものではないと聞いたことがあるが。不吉なことを考えるのはやめよう。
「あんた、1人で来たのか?」
「違うよー。友達を連れてきたんだけどねぇ。はぐれちゃったんだ」
「今言ってた奴なのか?」
「うん」
 その友達とやらに同情する。おかしな縁で、おかしなな知り合いを持ってしまったあんたの宿命だ。見知らぬ友人よ。もし出会うことがあれば、俺のバイト先でお好み焼きを奢りたい。何か飲みながら話をすれば、きっと心友になれることだろう。
「あれ、何か浮いてるよ。キムチかな? もしかしてアレ?」
 水路にキムチが浮いてる? どういう経緯でそうなったんだ。
「……アレって、アレか?」
 ああ、噂では聞いたことがある。何でも、モンゴルあたりで騎馬隊を率いていたとか、戦国武将に仕えていたとか。そんなの嘘に決まってる。あれはただの、水路に浮いてる〝ただの〟キムチだ。それはそれで謎だが。
「あのー、道を聞きたいんだけど。この水路から出たいんだけどね、一番近い道ってどっちかなー?」
 迷子Bが亀に話しかける。ああ、その気持ちはわかる。猫の手も借りたいというやつだろう。しかしあれはアレだし、あんなのに尋ねるのはもっとアレだが。
「迷子か?」
 思わず吹き出しそうになった。形だって定かではない謎のアレが、あろうことか喋った。いつぞや、誰かさんが夢を語ってくれた時とは少し違うかもしれないが、漬物というジャンルは一緒である。杉山さんの従兄弟とかかもしれない。いや、そういう問題ではないな。
「そうなんだよ。そろそろ帰ろうかなぁ、なんて思ってたんだけどねぇ」
 迷子Bが手招きをする。俺はそれどころじゃない。アレが喋ってるんだ。どう考えても異常事態だろう。さすがに俺だって、少しくらい引く。
「ん? そこのお前。我を覚えておるか?」
「はぁ?」
 なんだ? 俺は喋るアレなんかと会ったことはない。会ったのは、ツキの夢の中で、しかも若干キャラが崩壊している俺だろう。まあ、あれはツキの夢だからキャラが変わってても不自然ではないが。いや、そうじゃなくて。誰か俺を水路から引っ張り出してくれ。爽香、助けろ。
「もう忘れたのか。楊家軍と嘘をついてやったであろう」
 あれはツキの夢の話だろう。俺はあんたと会った覚えなんかない!


 亀の道案内。もう出れるなら何でもいいや、みたいな感じで俺はついていった。
 そして、やっと出口に辿り着いた。
「やっと会えたねぇ」
 その時、上月と俺に似た奴と、形容しがたい何かが現れた。

 アレの道案内。もう出られるのなら何でもいい、と無心で俺はついていった。
 そして、ようやく出口に辿り着いた。
「会えるとは思ってなかったなー」
 その時、ツキと俺に似た人と、堂々とした亀が現れた。


「貴様。フィラデルフィア・スタンレー」
「久しぶりじゃのう。ジェフリー・スカイラーク」
 上木涼成と石動司が、「名前が大袈裟だ」と突っ込みを入れる。というかそんな名前だったのか、アレ。
 しかしそんなことはどうでもいいようで、スカイラークとスタンレーが一歩前に出て対峙した。尋常ではない緊迫感。その場に居合わせた人間は、人外の放つ何かに気圧される。都築薫、上月修は少し楽しそうでもあった。
「再び我の前に姿を現すとはいい度胸だ」
「こっ酷くやられた奴のセリフとは思えんのわい。小僧」
 瞬間、突風が水路を吹き抜ける。4人は思わず眼を覆った。
「はぁ!?」
 司が声をあげる。涼成も、その景色に呆然とした。
 そこには中国を思わせる、どこか日本とは色彩の違った原野が広がっていたのだ。
「固有結界かなぁ」
「すごいね!」
 都築上月コンビは、また別の意味で驚いていた。常識人は状況把握に努める。だが、人外を常識で計ることはど出来はしないのだ。
「本気じゃの。黒備えの騎馬隊3千と、徒7千」
 アレことスカイラークは具足を身に纏い、馬に跨っていた。整然と丘の上に並ぶスカイラークの軍は、見事の一言に尽きる。というか、前言ってた数より増えてはいないだろうか。
「儂もちと本気になるかのぉ」
 こちらもまた、どこからともなく騎馬が現れる。白き狼と畏れられたスタンレーを中心とした、5千の騎馬隊が一匹の大きな獣を思わせた。
 先に動いたのはスカイラークの黒い騎馬隊だった。丘という、高所を利用した逆落し。喚声をあげ、スタンレーの首を取るべく疾駆する。
 ぶつかった。スタンレーの騎馬隊が潰走した。ように司と涼成には見えた。だが、違う。スタンレーはスカイラークの逆落しを巧みに受け流し、そのまま二つに分かれた。
 再びまとまって、スタンレーはスカイラークの歩兵7千に向かって駆ける。スカイラークはそれを遮るように動いた。
「む……」
 止められない。スカイラークはそう判断すると、歩兵の背後に回るように動く。
 遮るものがなくなったスタンレーの騎馬隊5千が、小さくまとまっている7千の歩兵へと駆ける。衝突の直前、スタンレーの騎馬隊から2千騎ほどが離脱した。
「突撃はせぬのか」
 スカイラークの予想は外れる。スタンレーは騎馬の一部を離脱させて尚、スカイラークの歩兵に突っ込んだ。スカイラークは一瞬戸惑ったが、すぐに次の判断を下す。突撃を受けるのはもはや必然。時は遅いが、歩兵を真中で割る。
 多少の衝突はあったものの、お互いに損害はそれほどない。スタンレーの騎馬隊が飛び出してきた。ここでぶつかり、歩兵が体勢を立て直せば挟撃の形と取ることができる。
 いきなり、スカイラークの騎馬隊に横から衝撃が走った。離脱した2千の騎馬。そう気付くのに時間はかからなかった。
「若いのう」
 老亀スタンレーの言葉に、アレことスカイラークは激高する。潰走しかけている騎馬隊を引き摺るように、前へと出る。背後から追いすがってくるスタンレーの騎馬に歩兵をあて、スカイラークはスタンレーに向かって馬を走らせた。
 近づいてくる。剣。気付けば、馬から叩き落されていた。スカイラークの騎馬隊と歩兵は潰走している。
「まだまだ、父には遠く及ばんのう。あやつが死ぬ時まで、儂は翻弄されておったんじゃが。結界を解くのじゃ」
 原が消えた。さっきまでの光景が嘘のように、狭い水路に戻っていた。


俺達は、あのわけのわからん人外共の勝負を見届けた後、水路を出ることができた。
「惜しかったねぇ。アレも頑張ったんだけど」
「もう一回、会いにいきますか?」
 都築はこの、水路を彷徨う常連の上月という名の変人に少なからず尊敬の念を抱いているらしかった。さっきからずっと敬語だ。
 で、俺は上月と水路を這いずり回った常識人である上木にかなりの共感を覚えてた。境遇が似てる。今回、ちょっとくらい付き合っても、と思って水路に入った所とか特に。
「今から行く?」
「はい!」
「そういうことだから。じゃあね、涼成君、司ちゃん」
「気持ち悪い呼び方すんな」
 駆け去っていく馬鹿2人。あの2人は出会うべくして出会ったんじゃないか。これで、俺も上木もお役目を免除される……わけねぇ。
「石動さん。どうしますか」
「どうするって。とりあえず忘れたい」
 今、一番思っていることだ。嫌な思い出は忘れよう。
「ここどこだ」
「北区じゃないですか?」
 うどんロードは行くものの、そこから逸れることはあんまりない。俺1人なら、地上に出ても迷子になってるかもしれんな。方向音痴というわけじゃないんだけどな。
「うどんでも食って、気晴らしとかどうだ?」
「悪くないですね。あえて、不味いもの食って忘れるとか」
「……逆に忘れられるかもな」
 俺は、杉山さんに追いかけられた時に助けてくれた「ユキ☆」が働く店を思い浮かべた。いやまあ、偽名だが。


 俺達は、あのわけのわからない人外共の勝負を見届けた後、水路を出た。
「惜しかったねぇ。アレも頑張ったんだけど」
「もう一回、会いにいきますか?」
 ツキはこの、俺と水路を彷徨った上月とかいう変人に少なからず尊敬の念を抱いているらしかった。さっきからずっと敬語である。
 で、俺はツキと水路を這いずり回った常識人である石動さんにかなりの共感を覚えてた。境遇が似てる。今回、ちょっとくらい付き合っても、と思って水路に入った所とかな。
「今から行く?」
「はい!」
「じゃ、そういうことだから。じゃあね、涼成君、司ちゃん」
「気持ち悪い呼び方すんな」
 駆け去っていく。あの2人は出会うべくして出会ったんだろう。これで、俺も石動さんもお役目を免除される……わけないか。
「石動さん。どうしますか」
「どうするって。とりあえず忘れたい」
 もっともな意見だ。アレと亀の戦いなんか、知らなかったことにしたい。
「ここどこだ」
「北区じゃないですか?」
 少し見覚えがある道だった。もう少し行けば、おそらくうどんロードに出るだろう。俺はあまり行ったことがない場所だ。いくら断り方があるとはいえ、あの客引きはやめてほしい。
「うどんでも食って、気晴らしとかどうだ?」
「悪くないですね。あえて、不味いもの食って忘れるとか」
「……逆に忘れられるかもな」
 俺は、爽香の知り合いが働いている店を思い浮かべた。鶴ヶ丘ひかり、だったか。


 去っていく男女2人を見送った後、常識人コンビはうどんロードに訪れた。霧生ヶ谷市民なら知っている、客引きの断り方を時々使う。
「平和だ」
「平和ですね」
 騒がしいうどんロードだが、さっきまでの戦いと比べると静寂そのものだった。うどん屋の、わけのわからない派手な名前さえ今は愛おしく思える。2人も少し毒されたらしい。数日すれば元に戻るだろうが。
 まずいものを食って、忘れよう。そう決めてここまで来た。混沌としたうどん屋はいくつか、いや結構あるが、まずいと言えばやはり最初に浮かぶのはここである。
「冥土喫茶狂気山脈」
 司がその独特の看板を眺めながら呟く。
「なあ、本当に入んのか?」
「……どうしましょう」
 ここに来て、決心が鈍った情けない男2人。怪我を省みずに馬鹿なダイブを敢行する涼成も、味という攻撃には弱かった。
「つっ立ってるのも迷惑ですね」
「だな」
 2人は足を踏み出さない。完全に臆していた。しかし、それはある意味当然である。今回は可愛い女の子を見に来たわけでも、にコーヒーを飲みに来たわけでもない。食事をしにきたのだ。別のところにすればいい、という突っ込みは無粋である。
「司さん。年上ですから、先に行ってくださいよ。堂々としたところ見せてください」
「年下が先に行け、涼成。その突っ張った容姿はハッタリか?」
「アンダーカバーじゃあるまいし。髪型は気にしないでくださいよ。触っても怒りませんよ」
「最後までふざけた映画だったよな。あれは」
 いつまでも煮え切らない男達である。どうにも受けの態勢を作り気味の2人は、能動というのが苦手なのかもしれない。いや、知らないが。
 不意に、地獄の門が開く。……鬼が顔を出した。
「あれま、上木君」
 鶴ヶ丘ひかり。涼成は即座に踵を返すが、鶴ヶ丘の手はそれより速い。瞬時に涼成の腕を掴んでいた。
「この間はどうも。俺は用事あるんで――」
「いらっしゃいませご主人様ー。んでもって、あなたはユキちゃんの彼氏さんじゃありませんか」
 一瞬弁解しようとしたが、司は黙って涼成と同じく踵を返す。だが、その腕を涼成にがっしり掴まれていた。
「道連れにすんな!」
「逃げるんですか!」
 ここにで食うと決めたのは自分達だということすっかり忘れ、逃れようとする。ひかりは涼成を引っ張り、涼成は司を引っ張っていた。道端で迷惑な3人である。
 と、また別の鬼が地獄の門から姿を現す。外人の鬼らしい。
「スノリさん! この人をどうにかしてください」
 はあ、と困った顔をするスノリ。とくに動こうともしないスノリを「止めちゃダメよ」とひかりはスノリを制止する。釘を刺された。
「えーっと、スノリさん? 無理矢理連れ込まれそうになってるんですっ。このままじゃ、わけのわからないものを食うことに――」
 涼成が司に続く。加えて言うが、ここで食うと決めたのは涼成と司である。
「ああ、と……」
 さすがのスノリも、こういう場合どうすればいいのかは決めかねるのかもしれない。謎の呟きを漏らした。
「別に、食べなくてもいいんじゃないか?」
 いや、彼女は迷ってなどいなかった。ただ、正論を口にする。どちらかというと、涼成と司が何をしているのかわからなかったのだろう。
「なあ、まずいものを食う作戦は諦めるか? どちらかというと、俺はここで癒されたい」
 男らしい意見である。
「そう、ですね。その方がいいですね」
 もちろん、涼成も男である。鶴ヶ丘の存在は気になったが、まあそれほど問題にはならないと判断した。
「なあ、涼成。俺は何か忘れてる気がするんだが」
 店に入る直前、ぽつりと司が言う。
「は? 上月さんとツキですか?」
「いや、違う。ああいう目にあった後は必ず……」
「激アルバイター君。君はよくここに来るの? そっちの君は、新顔ね」
 閻魔様の登場である。「やっぱり」とうなだれる司を、涼成は不思議そうに眺めていた。彼女が誰かと知らないというのは、今だけは幸せなのかもしれない。


「真霧間キリコ? あー……はぁ」
「お前は俺と同じ星の下に生まれたんだな。つくづくそう思う」


「見つからないねぇ」
「まだ時間はありますよー」

 

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