シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

夏の夜桜

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夏の夜桜:しょう

「『桜の樹の下には屍体が埋まっている!』」
 何故か、やけに芝居がかった調子でキリコが開口一番のたまった。
 アラトは無視して準備を続ける。七m×七mのビニールシートが四枚、それに重石用のレンガが万が一の事も考えて十五丁。これだけでかなり嵩張る。それと、自分用に水分補給のペットボトルと携帯式扇風機。さて、あとは何が必要だろう?
「『これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ』」
 キリコはまだやっていた。時々チラチラこちらを見るという事は、構ってくれという事なのだろう。というか、多分構うまでこれは続く。きっと暗誦しきる。それはそれで凄いし、キリコの声は綺麗でよく通るから聞いていたい気もするが、用事がある身としてはそうもいかない。適当に構って切り上げよう、と思ったのが間違いの元。
「梶井基次郎ですね。それがどうかしたんですか?」
「あら、知ってた? アラト君の癖に、ツマンナイ」
「人をなんだと思っているんですか、あなたは」
 待ってましたとばかりに人差し指を立てて左右に揺ら揺ら。
「聞きたい?」
「いりません」
「えー、たくさん考えたのに」
「考えないでください」
 どっと疲れた、もうカエリタイデス。
 とは言え、まだまだ帰れない。何故かと言えば。
 花見の場所取りが待っている。
 桜の華が咲いた。それだけなら極普通だ。ただし、季節が大問題。夏も盛りの八月真っ只中。何を思ったのか、中央東公園の四本桜が開花した。それもポツリポツリではなく、鮮やかなまでに満開。空も大地も桜色に霞むほど。
 当然の如く、『何事か』とケーブルテレビや新聞で騒がれたが、式王子大学の教授による『異常気象による狂い咲き』とのコメントによって、急遽市を挙げての花見会が行われることとなった。
 しかし、アラトは知っている。この突然の開花が、異常気象が原因などではない事を。
 ほんの暫く前、霊子アンテナの出力を上げざる得ないことがあった。どうもそれによって霊子の濃度バランスが変化し、その所為で真夏に桜が開花なんていう出鱈目な事態が生じたらしい。すべてキリコの言で、途中からご機嫌に酔っ払ったキリコが酒瓶振り回しながら位相次元がズレて捩れて繋がったと思っときなさいとのたもうたことなので、どこか間違っているかもしれない。
 まあ、実際桜の花芽は一定時間以上の低温にさらされないと形成されないので、自然状態で夏に開花なんて事態は起きようがない。もしやろうと思ったら桜の樹を丸ごと二ヶ月近く巨大な冷蔵庫の中に放り込むしかない。いや、キリコならやりかねないが、目立って仕様がないからやっていない、に違いない、と思いたいのですが?
 そんな訳で、夏の桜の開花の異常性の証明終了。帰っていいですか?
「懐中電灯は持っていったほうがよいわよ?」
「はい?」
 思考世界へ旅立っていたのでアラトはキリコの言葉を聞き逃した。
「だから、懐中電灯」
「どうしてです。ライトアップくらいするんでしょう?」
 聞いたところによれば、出店も数多く出るそうだし。
「そーなんだけどね。アラト君、しらなか……。そうか、今年の花見は平松神社の境内でやったんだっけ」
 ええ、実に罰当たりな事に。
 すっとキリコが息を大きく吸った。そして、声を乗せて吐き出す。
「『一の桜は一葉桜
  いつも一枚葉が残る

  二の桜は二度桜
  二度目の花こそ心に残り

  三の桜は細雪
  さっと消え逝く雪の花

  四の桜は枝垂れ彼岸
  枝垂れし枝こそ彼岸の境

  伸びたる枝に気をつけよ』」
 思わず、聞き惚れる。
「そ、れは?」
 喉はカラカラ。キリコの歌声は何度も聞いているはずだけど? まあ、アニソンが殆どというか、全てなんだけど。だからだろうか。吃驚した。
「四本桜の謂れ歌。本当は五本あったとか、十本あったとか言うんだけどねぇ。まぁそこはそれよねぇ。歌にあるみたいに四の桜はあんまり好かれてないのよ。縁起が悪いってことで。そー言う訳で、殆どうちの専用になっています」
「だったら、場所取りも要らないのでは?」
 チッチッチッ。再び人差し指がユーラユラ。
「あまーい。殆どって言ったでしょ。偶にいるのよ、変わり者が」
「じゃあ、うちの部署は変わり者の集団ですね」
「当ー然」
 否定さえされませんでした。どうしたものでしょう?
「投光器は後から持っていってあげるから感謝するように。じゃ、アラト君は場所取り頑張れ」
「はい」
 抱えた荷物がとても重かったです、ええ。

「はぁ、なるほど」
 アラトはパンプレット片手に桜の木を見上げる。
 中央東公園。中央なのか東なのかはっきりしろっとネタにした後、中央区の東にあるから中央東公園? とまとめて、でも東って言うより南よりだよねここ、と落とすのが流行りだそうで。
 何がといえば、公園の名前。実際の所、中央区の東というよりは南東より、とは言え中央南東公園ってのも語呂が悪いよなという結論に至る。多分中央公園が別にあるからその所為だろう。まあ、その中央東公園に四本桜がある訳だ。
 で、その桜。江戸時代、遠方の藩から花嫁を迎えた際、友好の証も兼ねて送られたものだとか。それがどう馴染んだのか、一様に巨木となり、それぞれに花期の異なる品種である筈が、毎年同じ時期に満開となる。すこし不思議な桜達ということになるのだろう。それにしてもこれは想像以上だ。
「本当に、人いないし……」
 他の三本の桜はライトアップされ、人も集まり出店も出ている。なのに、四の桜、枝垂れ彼岸の周りには閑古鳥が鳴いている。正直寂しい。ついつい皆が早く来ないかと時間を気にしてしまう。はっきり言って手持ち無沙汰。
「あれー、アラちゃん」
「なぬ」と顔を上げる。直ぐそばににっこり笑う少年がいた。いや違う、これでも一応大学生。
「上月君か、どうしたの」
「バイト中。今から料理を届けるところ」
「って事は、司も?」
「うん、ツカちゃんは向こうで店番しているよ。よかったら顔見せに行ってあげて」
「あーうん」
「で、アラちゃんはどうしたの? こんな所にお店を広げて」
「や。花見の場所取りです」
「そうなんだ、じゃ、これあげるね。『ノシガエル』がお勧めだよ」
 ニパッと笑って上月は手書きのコピーらしいメニューをアラトに押し付けた。
「ありがとう。けど、良いのかい。料理」
「あ、届ける途中だった。じゃーねー」
 上月が走っていったのは幹を挟んでほぼ反対側。枝垂れた彼岸の花の下。そこにいたのは。
「あ……」
 というものの名前が出てこない。兎に角、虚空蔵山で会った優男。あの時とは違う女性を前にしている。両手を忙しく動かしながらなにやら力説している。
 あ……。女性の肘が鳩尾に入った。痛そうだ……。そこにタイミングを合わせたように上月の声が響き渡る。
「河童の木琴スペアリブお待たせしましたぁ」
 元気だ。ついでに宣伝にもなっている。因みにメニューによると『河童の木琴スペアリブ』:新鮮な河童のアバラを特製のタレで香ばしく焼き上げました、との事。ついでに上月お勧めの『ノシガエル』は六道剃刀蛙を一匹丸ごと使用しましたって、アレ『希少生物指定』されてなかったけ? と、なんかすっきりしたんだかしないんだかよくわからない気分になりながらも、水を一口含む。
 なんだかんだでここに着いたのが六時半過ぎ、集合は八時だった筈だから、後三十分位は暇という事になる。
「携帯ゲームでも持って来れば良かったかな?」
 因みに、今のアラトのマイブームは『モロモロパニック』
 画面横から泳いでくる赤、青、黒、白、黄のモロモロを、それぞれ対応した色の網で掬っていくというもの。シンプルながら、かなり中毒性が高い。二百コンボ毎に降ってくる金のモロモロのリアクションもはしゃいだり、べそをかいていたりと、楽しい。噂によれば、三千コンボを突破すると悩殺ポーズを見せてくれるらしい。アラトはまだ見た事がないが……。
 まあ、実際に持ってきていたとしてももう大分暗くなってきているからゲームをするにはちとしんどいかもしれない。
 ムウと伸びをして背中から倒れこむ。
 視界一面が薄紅に染まる。
 まるで花弁が近づいてくるような錯覚。
 自分が桜の海に落ち込んで行っている様な感覚。
 枝垂れた枝に咲く花が皆、下を向いている。アラトを見ている。
 その瞬間に騒がしいその声が聞こえなければ、アラトはそのまま囚われていたかもしれない。魅入られていたかもしれない。それ位圧倒的で、魅惑的。
 我に返り、視線を桜から引き離す。なんとなく体がだるいような気がする。騒がしい声に感謝するべきだろうか?
 声はまだ響いている。
「だから、彼岸っていうのは彼方と此方の狭間の事なのよ。わかるわよね、それがどういう意味なのか?」
「さぁ?」
 勢いよく声を大にして喋っているのはスラッとした色白な女の子。見た感じ高校生くらいだろう。後ろに従えている三人を視界に収める為に後ろ向きで歩いていて、時々振り返り足元を確認している。その度にポニーテールにした髪がふわりと揺れる。黙っていれば美人のお嬢様で通りそうな感じがした、多分。気のない返事をしたのは、中性的というかはっきり言って女顔の少年。兎に角眠そうな顔で何度も欠伸を噛み殺している。その後ろで、「駄目だよ」と囁きながら服の裾を引っ張っているのは、少年より頭ひとつぶんくらい背の低い女の子。ショートカットにした髪を髪留めで後ろに流している。美人というよりは可愛いといった感じで、なんとなく子犬を連想させる。
「この桜がこの世とあの世に境界だって事かい?」
 会話の後を継いでフォローを入れたのは一番後ろをゆっくりと歩いている縁なし眼鏡の青年、いや少年か? 随分と雰囲気が落ち着いているので錯覚しそうだが、他の子達と年の頃はあまり変わらないように感じる。
「そうよ。その通りよ。分かってるじゃない、キノ」
「それだったら、ふぁあぁ……。六道辻跡にでも行った方がいいんじゃないですか」
 欠伸を噛み殺しながらの一言、にポニーテールの少女がニッコリと笑った。
「その言い方だとやっぱり分かってて知らない振りしたわね、ムト」
「いや、俺の名前は『ゆめひと』だし、って。だからなんでそこで拳骨握りますかっ」
 自分の不用意な発言で少年は追い回される。ある意味犬がじゃれ合っている様にも見えなくもなくそれなりに微笑ましい。
「とにかく、ここなら『鞄を持った死神』もいるかもしれないわ。皆一生懸命探すのよ!」
「勘弁してください」
 一発喰らってできたタンコブをショートカットの少女に撫でて貰いながらのムトと呼ばれた少年の呟きは完全に無視された。
「仕方がないよ。有珠は花より不思議の不思議萌だからね」
「だから萌って言うなっ」
 最後まで騒がしいまま、四人は桜の花の狭間へ消えていく。
「ったく、いい気なもんだよなぁ、人間は。こっちはこの異常事態で大わらわだってのに呑気に花見かよ。うらやましいなぁ。俺だって花見の一つくらいしたいよなぁ。……ああ。聞こえてる。今中央東公園。なんだって? 虚空蔵山のあっこの洞窟だな。分かった急いでいく。……全くゆっくりと桜も見れないのかよ」
 愚痴が途切れると同時にバサバサと音を立て何か大きな気配が樹上から飛び立った。
 弾かれたようにアラトは空を見上げる。桜に咲く花に隠されて空はよく見通せない。がそれでも大きな何かがいれば分かるだろう。一通り視線を走らせ、何もいないと胸を撫で下ろす。そうだよな、幾らなんでも死神は荒唐無稽すぎ……るという事がないのがこの街だと気づき肩を落とす。大分馴染んできてはいるものの、常識を通り越した不思議な事には何度も身をもって遭遇している。言ってしまえば、ここは怪奇不可思議の吹き溜まりのような場所。桜の下に眠る街、白いワニに地底人、喋る亀、言霊使い、上げていけば限がなくこの中に死神が一つ二つ加わったところで何の不思議にもなりはしない。
 そう思ったら急に薄ら寒くなった。勘弁して欲しい。こちらは平々凡々とした一公務員でしかないのだから。内心『早く誰か来い』と悲鳴を上げた。
 とは言うものの、いきなり背後から押し殺した声で
「おーい、なっとー」
 と呼び掛けられたらどういう反応をするか。
 それが誰の声か深く考える前に体の方が迎撃を開始していた。ポケットに手を入れてそれを引き出す。振り返る動作に重ねて、手にしたカードをスナップ効かせて振る。後ろを向いた。目標確認。追随してくる腕にはカードが展開した形状記憶ハリセン。インパクト。目標を吹っ飛ばす。この一連の動作は『霧幻戦士ミスティエンジェル』の着装プロセスの所要時間を遙かに凌駕していた。
「よしっ」とガッツポーズをとるアラトの鼻先に細い指が突きつけられる。
「え?」
 アラトが住む十六夜寮一階のコンビニ『ミセスマート』のバイトの女の子だった。確か名前は鈴凪綾緒さんだった筈。本田経由での又聞きだから間違っているかもしれないけれど。
「メッ、なんですよ。いきなり人を叩いたりしたら。メッ、なんです」
「え? え?」
 何がなんだか分からないアラトに更に別の声が掛かる。
「おう、なんか知らんが気合がはいっとるなぁ」
「部長……」
 という事は。恐る恐る張り倒した標的を確認した。
「そんなに嫌だったんならもう言わないから許して、アラト……」
 枝垂れ彼岸の幹に逆さにぶつかって目を回した本田がいた。
「すまん、本田」
 心の底からそう思ったアラトだった。
 時計の文字はいつの間にか八時近くを表示していて、続々と人が集まってくる。生活安全課の面々が来るのは当然として、享子ちゃんや食堂のオバちゃんまでやってくるのは何故だろう?
「おーいきちんとお使いできたみたいね、えらいえらい」
 手を振りながらあまりに失礼なことを叫びながらキリコもやっと来た。白衣のままだから良く目立つ。それ以上に悪目立ちして人目を引いていたのは、黒い帯か何かに雁字搦めにされて引きづられている銀髪の人影だったが……。よく見れば、スノリ・ヴェラントだった。
「何やってんですか、キリコさん!!」
「んー、誘ったんだけど、嫌だって言うから強制連行?」
「それは拉致誘拐って言うんです。直ちに開放してください」
「はいはい」
 面倒くさそうにキリコが指を鳴らすと、スルッとスノリを縛り付けていた黒布が解け、影の中へ吸い込まれた。開放されたスノリがゼーゼーと乱れた息を整え、走り出そうとして、コケた。一本残っていた黒布がスノリの足にしっかりと結びついていた。寄りにも寄って舫結び。
「放してくれ、今は『下弦の月』に行かなければならないのだ」
「大丈夫、断りの電話入れといたから」
 スノリの必死の訴えを、キリコはバッサリと切って捨て、更にゴミに出してしまった……。
「そんな今回こそ仕事を手に入れたいと……」
「大丈夫よ。またバイト紹介してあげるから」
「キリコの言うバイトはあのメ、ゴボゴボゴボ」
「まあ、気にしない気にしない、ぐっといってみようっ」
 スノリの口に突っ込まれた一升瓶には『呑龍永眠』とある。九十九酒造の麦焼酎。ウワバミでさえ酔い潰すという口当たりが良いくせにアルコール度数が馬鹿みたいに高い酒だ。それが、コポポポポッと小気味良い音と共に勢い良く消えていく。
 ポン。気の抜ける音で空っぽになった一升瓶が口から引っこ抜かれるとスノリの目は据わっていた。手にした一升瓶相手に。
「本当は今日オークションに出るつもりだったんだ、私は。なのに何故こんな所にいるんだ?」
 物凄く声をかけ辛い雰囲気にアラトはスノリをいないものと見なして、キリコに問いかける。
「えーと、荷物何処ですか?」
 キリコが手にしていたのは、そこで管を巻くスノリと今は空となった一升瓶だけだ。他には何もない。投光器も、食べ物も何も。だと言うのに花見の参加者は既に三十人近い。まさか、今から買出しですかと不安になる。
「大丈夫、大丈夫」
 アラトの表情から不安を見て取ったのか、ヒラヒラと手を振り、「アクマロ」と自分の影に向けて呼びかけた。
 ズルリと平面が立体に組みなおされ、ゴスロリ少女が現れる。両手に大きな風呂敷包みを持ち、後ろには黒布に包まれたブルーシートや卓袱台のような雑多なものが色々くっついてきていた。どうやら先ほどスノリを拘束していた黒布はアクマロの仕業であったらしい。
 しかしいいのか、確かパズスって風の魔人で、イナゴの恐怖が神格化したものだったはずだけど、その配下だったにしてはアクマロって……。いや、パズス自体無貌の神の一形態だなんて話もあるから問題ないのか? などと考察に耽っている内に、キリコ専用メイドと化しているアクマロが花見会場の設置を終え、宴が始まった。

「それでは、桜が咲いたので、花見をします。乾ぱーい」
 意味があるんだかないんだかな口上で乾杯をし、暫くするとカラオケ大会が始まった。機材はアクマロの荷物の中にあり、電源は……、延長コードがアクマロの影へと消えていた。深くは考えてはいけない。唯一つ言えるのは、悪魔って意外に便利かもしれない。激しく認識として間違っている気がしなくもないが。
 さて、スピーカーから景気良く流れ出すのは。
「残酷な天使のテーゼ」「空色デイズ」「Climax Jump」「真っ赤な誓い」「ELEMENTS」「ハヤテのごとく」「Rolling star」「桜キッス」「ダイヤの花」「ハレハレユカイ」「七転八倒至上主義」「誕生! 勇者王」などなど。
 なんだと問われれば、キリコ・オン・ステージの曲目録としか言いようがない。あ、でも、「ハレハレユカイ」の時だけはチョコの差し入れに来た白瀬雪乃さんが強制的にステージ上げられて、もう一人こうパリッとしたスーツ姿の女の人がふらっとやってきて、キリコと三人で振りから歌から何から何まで完璧に演じてみせていた。言うまでもなく、キリコは真ん中だった……。
 謎として残るのは、スーツの女性が誰なのかと、『雪乃さーん』と声援をあげていた何処からともなく現れた強面のオニイサンだろう。どちらも、曲が終わると同時に姿を消してしまったので、詳しいことは良く分からない。キリコと雪乃さんがそれぞれ『ヒノエ』とか『谷口さん』とか言っていたような気もするが、聞き間違いかもしれないし。なにより、霧生ヶ谷で上手くやっていくコツの一つは拘りすぎない事だ、きっと。
「あー、歌った、歌った。楽しかったぁー」
 そんな感じでアラトが納得していると全身に『満足』と書いてあるご機嫌なキリコがやって来た。代わりにマイクは本田が握ったようだ。享子ちゃんにいい所を見せようと言うのだろう必死に歌っているがいまいち滑っている模様。さっきまであれだけノリのいい歌が流れていたのが、行き成り露骨にラブソングになれば、そうなっても仕方がないだろう。まあ、頑張れ。心の中で合掌する。無駄な努力も努力には違いないのだし。
「アラト君、お酒」
「はいはい」
 コップに並々と注いだ『九頭竜殺し』を一気に空け、心底美味そうにキリコは息を吐く。
「美味しい。流石にあれだけ歌うと喉が痛いわ」
「本当に楽しそうでしたよ」
「まあね。雪乃達がタイミングよく来てくれたからね」
「息ぴったりでしたね」
「そりゃあね。高校の時からのつきあいだもの。徹カラなんてしょっちゅうだったわねぇ。雪乃なんて呆れながらも毎回付き合ってくれたし。友達って貴重よ? アラト君も大事にしなさい。……何よ。その鳩が豆鉄砲食らったような顔は?」
「いえ、キリコさんにも高校生だったときがあるんだなぁと、痛いじゃないですか」
 無言でデコピンを貰った。
「いたい。ひたひひぇひゅっひぇひゃ。ひっひゃりゃにゃいひぇ」
「失礼な事を言うのはこの口か、うりうりうり」
 そのまま喉の奥に『九頭竜殺し』を流し込まれました。ああ、勿体無い。
 かっと喉から胃にかけて熱くなり、熱がそのまま顔へとあがって来る。一気に酔いが回り、頭がクラクラする。気分が良いというよりも、薄皮一枚で世界から切り離されてふわふわと揺らめいているような感じ。
「ちょっと勘弁してください。どうせ片付けも俺なんでしょう? これ以上酔っ払ったら動けませんって」
「安心なさいな。アクマロも手伝いにつけるから」
「お心遣い感謝します……」
 アクマロにぶちぶち言われながら片づけをしている自分が容易に想像できるのが、何か悲しい。しかし、それにしても。
 クラクラグラグラと世界が揺れている。回る視界の中では、本田が未だにマイクを握って頑張っている。大量の料理を手に忙しく走り回っているのは石動と上月だ。注目を集めているのは白瀬雪乃がいる一角で、多分その理由はシュネーケネギン謹製チョコレートを自棄食いしているスノリだろう。幾ら男装をしていても元が美人だからちょっとしたキッカケでスノリが女性だと言うのはわかってしまう。まして、酔っ払っているから演技なんて欠片もしてやいないし……。
 泣きながら食べているのはそれほどまでにチョコレートが美味しいからなのか、それとも食べた後のことを考えながらも、それでも食べずにはいられない自分が悲しいのか、どちらにしてもしょっぱいチョコレートに違いない。それ以外の面子もそれぞれ思い思いの場所で宴を楽しんでいる。なんか職場関係者以外の知り合いの顔も増えている。
「随分大勢集まりましたよねぇ」
「折角だからね。片っ端から声かけて回ったのよ。これで見納めな訳だし」
 アラトは、どういう意味ですか? と問おうと思い言葉を作った。音にする前に、キリコの『今何時?』という問いに掻き消されたが。
「……十時、五分前です」
「そ、じゃあ、そろそろね」
 いきなりごろんと仰向けになるキリコ。
「ほら、アラト君も横になる」
「あ、あ、いや」
 ほんの三時間前の感覚が蘇ってくる、前に強引に押し倒されました。押し倒された事もないのに……。そういう訳だから、目を瞑れる訳もなく再び視界が花弁に覆われる。薄紅色が支配する。だけどどこか違った。
 煌いている。輝いている。風はないはずなのに花弁が揺れていて、囀りが聞こえた、囁きが聞こえた、ような気がした。それはまるで、人が集まり桜の下で騒いでいる、それを見下ろし、人が花を愛でるように桜が人を愛でているようだと、アラトは自然に思う。それは錯覚だろうか、それともアルコールが見せた幻か……。
「植物が綺麗な花を咲かせるのはそれによって昆虫や動物を集めて花粉を媒介させる手伝いをさせるっていうあくまで植物自身の都合によるものだけど、桜に限ってだけ言うならば、恐らくこれ以上ない位人間の都合って奴が関与しているわ。より綺麗な、より華やかな花が咲くように交配を重ねられた結果、百を超える品種が生み出された。その意味で、桜の花は誰かに見られることに依って初めて価値を認められるわ。だって、春のほんの一時満開の花を咲かせる為に一冬かけて準備をするんだもの。仮に、空間が捩れて抉れて繋がった末の『何処か』の桜だとしても、誰にも見てもらえないのはきっと寂しいでしょうね」
 横で続くキリコの講釈をそういうものなのか、と朧な意識で認識する。だとしたら、この桜は今『喜んでいる』のだろうか……。
「ほら始まったわよ。しっかり見ときなさい。そうそう見られるものじゃないから」
 淡い紅がほどけていく。
 ハラリハラリ、クルリクルリと花弁が枝に永久の別れを告げる。流れる飛沫に似た音を立てながら桜が散る。誰もが声を失い、薄紅に覆われた空を見上げる中、キリコがポツリと何かを口にした。
「え?」
「なんでもない。ただの独り言みたいなものよ」
 空を、舞い散る花弁を見あげたままキリコはそれっきり沈黙を守る。だから、アラトが耳にしたと思ったキリコの『だから、お詫びみたいなものかな。あたし達の都合でこんな風に咲いて、あたし達の都合で散ってもらわなくちゃいけない……』という呟きが正しいのかどうか確かめる事はできなかった。
 やがて、舞い落ち煙る桜の花弁は、キリコが諳んじた歌にあったままに、まるで淡雪が溶けて消え去るように跡形もなく姿を消した。花弁の一枚さえ残さず、そこに満開の桜があったことなど想像も出来ないくらいにあっけなく。後に残るのは、青々と葉を茂らせる本来あるべき姿の四本桜と、そして夢から覚めたような顔をした霧生ヶ谷の住人達。
 そんな風にして、時期外れの市を挙げた花見会は終わりを告げたのだった。

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